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不穏な発言をする皇太子


 ところで、糸紡ぎにかけるのはなにも羊毛ばかりではない。

 麻や絹も手作業で紡ぐのが一般的だ。


 こちらも工業化しようと思えばできる。


「そういえば、絹糸の工場についてはいかがでしたか?」

「うーん……いまいち。採算がとれるか微妙」


 絹糸はほどいてそのままで使うことはできない。八本、あるいはそれ以上の糸を絡めて回転させ、強度をあげてようやく使えるようになる。これを『撚りをかける』という。


 この作業を水力動力で機械化したらどうかと思ったのだが、安く取引される庶民用の毛糸と違い、高級な布地に使われる絹なので、丁寧に実験をしながら力加減を調整しないと、実用に耐える均一な糸にはならなさそうだということだった。


「研究に時間がかかりそうって言ってた。ただ、絹は単価が高いからね……根気よく狙ってはいきたいけれど」

「では、亜麻布や綿は……」

「そっちは順調」


 亜麻布は茎を砕く作業が、綿は打ち弓で殻を砕く作業の機械化がそれぞれ課題のようだが、あとは問題なく工場にかけられるということだった。


「せめて領内の産地には優先的に工場を建ててあげたいかなって」


 いつになるのかはまだ不明だが。


***


 ディーネは婚約者である皇太子の部屋に来ていた。

 というのも先日の騒動で、単独行動の末に危険な目にあったディーネを心配した皇太子から、『何かをする前には必ず報告しろ』と怒られてしまったのである。まるで直属の上司みたいなことを言うジークラインに不満がないでもなかったが、そこはディーネにもどうしようもない。


 今回は紡毛工場の計画についてだ。


「……というわけでとっても順調ですのよ!」


 ディーネが大いばりで報告を終えると、ジークラインはちょっと笑った。


「そうかよ。そいつはめでたいな」

「ちょっと、馬鹿にしてません?」

「いや。お前はいつも楽しそうだと思ってよ。いいことじゃねえか」


 生ぬるい目つきで言われてしまい、ディーネは憤慨した。その目つきは絶対に馬鹿にしている。アホアホな部下をうまくマネジメントする有能上司みたいなオーラが出ているのが彼女には気に食わない。


「……約束は守っていただきますからね」


 なんといっても婚約の破棄だ。ジークラインとしてもそれは困るといったような反応をしていたので、今回も少しくらいは動じるかと思っていたが、憎たらしいくらい余裕顔である。


 彼はディーネとの婚約を解消しても惜しくないのだろうか?


 なんだかモヤモヤしてしまう。


「もちろん約束は守ってやるさ。お前が約束を果たせば、な」


 無理だろうと言わんばかりの余裕を感じて、ディーネはムッとした。


「ですから、順調ですって報告を今あげたばかりではございませんか。大金貨で一万枚ご用意すればよろしいのでしょう? 以前いただいた競馬場の土地代もきっちり上乗せしてお返しいたしますわ」

「世の中そううまくことが運ぶわけはない……ってな」


 ジークラインのすべてを見透かしたような態度はいつものことだが、このときはやけに癇に障った。


「なぜそう言い切れるのです? すでに八割がた達成しているのですわ、ジーク様」

「見込みだろ? まだ決まったわけじゃねえ。短期間に大金を稼いじまえば目をつけるやつらも出てくる」


 ドキリとするようなことを言われてしまい、ディーネは黙った。

 一番最初にベーキングパウダーを開発したときだって、商人たちから目をつけられていた。彼らとは仲直りしたけれども、いずれまったく別の方角から第二第三の反対勢力が生まれることは避けられない。


「商売ったって行きつくところまで行けばまつりごとだ。ちっとばかり珍しいもんを売って金になったからって、ずっと続くわけじゃあない。分かるだろう?」

「そんなの分かってるわよ……」


 今はよくても、いずれどこかからの妨害や介入があるだろう。


「……忠告はしてやったぞ」


 ぼそりと言われた言葉が妙に引っかかった。まるであらかじめディーネに起こることが分かっているかのような口ぶりではないか。


「ジーク様、また何か隠し事をなさってますわね? 今度は何をご存じなんですの?」

「してねえよ」

「うそ。絶対に何かご存じですわ。それもわたくしが不利になるようなことですわね。長い付き合いなんですのよ、隠したってお見通しでございます」


 にじり寄るディーネに、ジークラインは芝居がかった調子で長い手を投げ出した。


「仮に俺が何か知ってたとしてだ。お前の目的に手を貸してやる義理はねえだろう。お前がおのれの不徳を痛感して、どうしても俺の手助けが欲しいってんなら、まあ、考えないでもないがな」


 毎度ながら偉そうなことである。


「忠告はしてやったんだから、よく考えろ……」


 話が途切れた拍子に、ジークラインは大きなあくびをした。見るからに眠そうだ。目も心なしか充血している。けだるそうな様子がなぜだか艶っぽく見えてしまい、ディーネは動揺して視線を外した。


「まったく、世間はドラゴン騒ぎで持ちきりだってのに、のん気なもんだな。なぁ、ディーネ」


 バームベルクの本邸に竜が襲来した収穫感謝祭の騒動を皮切りに、各地に竜が現れては村を荒らして去っていく事件が相次いでいるのだという。


 竜は生半可な人間の手には負えない。となると帝国の直属軍が出動することになる。現在のところ、軍の総指揮官はジークラインがやっているはずだが、この様子を見ると眠る暇もないほど忙しいようだ。


 帝国は強固な中央集権制を取っているが、それは裏返せば転送ゲートなどを駆使した移動網・連絡網が整っているということでもあるので、魔物の襲撃などには強い。民草も帝国になら安心して任せられるということで、不自然に広い領土が保たれている。


 ワルキューレはあまり文化水準が高いとはいえない。政治機能も未成熟だ。

 この発達段階なら本来は地方と連絡を取り合うのも一苦労で、中央政府からの指示を徹底させるのは非常に難しい。常備軍についても同様だ。

 それにも関わらず帝国は強力な軍隊を持ち、皇帝が絶対君主として君臨している。


 その秘密は転送ゲートによる伝達網にあると、ディーネは見ている。馬や鉄道よりももっと早い伝達網があるから、帝国が手綱を取れるのだ。


 転移魔法とはそれほどに便利なものなのである。


「犯人はあのアークブルムの騎士たちなのでございましょう? お分かりになっているのに、捕まえないんですの?」

「俺の一存で捕まえられるならそうしている」


 ということはつまり、皇帝あたりが何かを画策しているのだろう。


「いや、なんか安心したぜ。お前のツラが見れてよかった」


 ジークラインがなにやらうなずいている。


「いい加減しけたツラのジジイばっか相手にさせられて嫌気が差してたんだ。竜退治で俺がいないところに襲撃があったらどうするってんでどいつもこいつも真っ青になってやがってよ。そこにきてお前だ。能天気そうで安心した。女が平和そうにしてんのはいいもんだな」

「まあ……」


 それでやたらと視線が生ぬるいわけだ。

 死人が出るような災害で出ずっぱりのジークラインにしてみれば、全く無関係のディーネがやってきてきゃいきゃい騒ぐ様子はさぞ見苦しかったことだろう。


「お忙しかったのですね。いやですわ、嫌味なんておっしゃらないで、来るなと命令なさればよろしいのに」

「舐めてんじゃねえよ。俺がドラゴンごときに手こずると思ってんのか? お前の繰り言も聞けないほど忙しくした覚えはない」


 ――相変わらず厨くさいことで。

 このうざい喋り方はどうなのだろうと思っていると、ジークラインはふと口調をゆるめた。


「まあ、とにかく。俺が、お前に会いたかったから呼んだんだ。悪いか」

「えっ……」


 ディーネには言葉もない。厨くさいのも困りものだが、ストレートに来られても違和感がすごくて何も言えなくなってしまう。


「会い……た……かった……?」

「そうだ」


 ジークラインの真っ直ぐな視線に耐えられなくなってうつむいた。


 ――こいつ、こんなキャラだったっけ?


 どうにも最近様子がおかしい。やけに甘やかしてきたかと思えば口説きまがいのことまで口にする。喋り方が変なのはいつものことだが、意識して抑えようとしているような、努力の痕跡も感じられる。部分部分で比較するとあんまり差はないが、付き合いが長いディーネにはわずかな違いが分かってしまう。


 微妙な居心地の悪さに悶えつつ、午後はゆっくり過ぎていった。



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