あきんどマスターへの道
公爵令嬢のディーネは現代知識を活かして内政に励んでいる。
せっかく領地の経営をするならば、近代化はどんどん進めていきたいところ。
たとえば、これまで農民たちに無料でやってもらっていた糸紡ぎを機械化して、引き換えに税金を払ってもらうとする。すると農民は重労働から解放されて得をし、ディーネたちも原料を加工して得た粗利益でいい感じになる。双方Win-Winの関係だ。
こういう地道な変革もときには大切なことである。
「なるほど……それならば、紡毛工場を各地に建設して、私的に利用したい農民からも使用料を取ってもいいかもしれませんね」
「ああ、いいかもね。粉ひき小屋をいくつか潰して、代わりに工場にしてしまうのがいいかも。どうせ使われてないみたいだから」
使用料を取れば、維持管理費の足しぐらいにはなるだろう。
「さて、概算いくらくらい儲かるのかって話なんだけど……」
原毛を毛糸にすると手つむぎ代が加わり、商品価値が高くなる。
ディーネは公爵領で租税として集めた原毛を使うので、原価分はバームベルク公爵領の資産および収入の計算となる。ディーネの取り分はあくまで原毛を加工して得た粗利益のほうだ。
原毛一袋あたりの原価が小金貨一枚ほど(大金貨一枚=小金貨十枚)。
一袋からおおよそ五着から十着分の毛糸が取れる。
服一着の毛糸を紡ぐにはおおよそ一か月~一か月半(五百時間前後)かかる。
服一着分の糸つむぎの手間賃報酬平均は小金貨二枚ほどだ。
つまり、原毛が一袋あれば、最終的に服が五~十着作れ、手間賃が小金貨十枚から二十枚ほどかかることになる。
金額に換算すると――
原価一枚(小金貨)に、職人の取り分平均十枚~二十枚と、商人の取り分平均三枚~六枚を乗せたもの、十四枚~二十七枚が販売時の値段となる。さらに、バームベルク領外で売った場合は一袋あたり銅貨一枚から三枚程度の税金が上乗せされる。
こうまで値段にばらつきがあるのは、原毛から採れる糸の長さが質によってまちまちだからだ。また、この金額は毎年の相場によっても変動する。羊が疫病などで大量に死んだ年は値上がりし、亜麻布などの植物繊維が豊作のときは値下がりする。
ちなみに税額は地域や時代によって違うが、相場としては銅貨数枚といったところだろうか。羊毛はワルキューレ帝国が定める課税対象の品目ではないので、ディーネは領主特権により、バームベルク領内の取引であれば税金を考慮しなくていい。領外、あるいは一部の特権区外で取引をする場合には、その地の領主が定める税を上乗せする。
試算はここ五年の毛糸の値段から平均を出しただけなので、確定ではない。これより下がるかもしれないし、上がるかもしれない。
まだ見込みではあるのものの、紡毛工場を一日フル稼働させて三袋半から四袋を処理をすると、反物換算十七着半~四十着分の毛糸が得られ、小金貨換算四十九枚から百八枚ほどの販売価格がつけられる。今回は羊毛の原価分、小金貨一枚分の価値はバームベルク公爵領の収入として計算するので、そこから原価一枚を差し引いた、四十八枚から百七枚ほどが粗利益になる予定だ。十基分で、その十倍――
つまり一日で大金貨四.八枚から十.七枚分の粗利益が生まれる。反物換算百七十五着~四百着分だ。
「莫大な利益ですね」
「億万長者だよね……」
ハリムが驚くのも無理はなかった。工場が儲かるのは前世知識からいっても間違いないことだと確信はしていたが、ディーネ自身もたったの十基でここまで儲かると言われると、なかなか信じがたいものがある。
実際にはここから紡毛工場の建設費を差し引く。なお人件費は考慮しない。バームベルクには農奴が大量にいるのである。
建設費は一基あたり、大金貨二十枚ぐらいで済むらしい。十基で二百枚。大した金額ではない。いや、大した金額ではないと思わせるぐらいの儲けがあるということが、そもそも異常だ。
まだまだ工場は調整段階だが、おおよそ一週で一基のペースで建設し、十二月からは十基が稼働する。
九月に稼働し始めた一基目から十二月の十基目まで、延べの稼働数が四百四十基、その後四か月間十基×百二十日毎日休みなく動かしたとすると……
「まだまだ不確定要素が多いけど、大金貨で七百三十枚から二千五百枚ぐらいの粗利益は見込めそうかなぁ……」
ただしこれも三月末の時点で、製糸の在庫が反物換算二万着~四万八千着分、粗利益換算七百三十枚〜二千五百枚分ほどできるというだけなので、これをどう売るかも考えなければならない。もちろんだが、糸の状態で売るのは効率が悪い。
織物にして、染色を終えてから出荷すべきではあったが、そのふたつの工場までは手が回りそうになかった。
「織物にするところまで領内で賄いたいとおっしゃっていましたが、そちらも検討しますか?」
「うーん、そうね……」
服一着分のシンプルな平織の反物を織りあげるのに必要な時間は一日ちょっとだ。飛び杼の開発で飛躍的に短くなった。本来であれば最低でも三日から一週間はかかっていた仕事だから、コストはその分安く抑えられる。
染色前の反物一着分の価格は毛糸の三、四倍といったところだ。織りが複雑になると値段が跳ねあがる。
毛糸を紡ぐ作業のほうがはるかに時間がかかるのに、反物のほうが利益率はいい。
在庫を捌くには最低でも二万人工必要で……
ディーネはそこで思考をやめた。
二万人工。
都市をまるごと工場にするぐらいの規模だ。
用意するコストがわりに合わない。
「織物は力織機がないとどうしてもね……仕方がないから、いったん三月末までに糸を売り切る方向で考えましょう」
一度に大量の製品を出せば当然買いたたかれもするが、そこは仕方がない。
「ひとまず紡毛工場についてはこのぐらいの規模でいいかな……」
「試運転としては十分かと」
可能であればすみやかにバームベルク領内全域をカバーできる数の工場を建設できるよう特別予算を組みたいところだが、これ以上長期的な資金回収の計画を立ててしまうと一番早い期限に間に合わなくなってしまう。ディーネは最低でも残り半年以内に大金貨一万三千を稼がねばならないのだ。
「しかし……これが領内に普及したときのことを考えると恐ろしいですね。単純計算で、年あたり百万単位の金貨収入につながることになりますが」
真面目な話、工場をきちんと普及させれば、領の借金も楽々返せる計算になる。
「そうなんだよねー。でも、あんまり供給が多すぎてもね。値崩れは当然あるとして、失業者が出るのはあんまりよくないんだよ……そこは様子を見ながらかな? 先に福祉や学校教育のほうも考えておかないとやばい」
ディーネはちらりとピンを刺した地図に目をやった。学校の建設予定地にマークをしてあるが、あれの計画もまだまだ全然進んでいない。進めていきたいのはやまやまだが、今は資金稼ぎのほうが先だ。
「それに、ひとつの事業にかけて大金をつぎ込んでしまうと、失敗したときが怖いからね……」
懸念事項ならいくらでもある。糸を大量に作っても、織機の改良が進まなければ在庫がどんどんたまる一方だ。織機の開発にはまだ時間がかかりそうだから、飽和しすぎないよう、慎重に加減して売っていかねばならない。
服一着分にかかる工程時間の問題で、もともと糸紡ぎのほうが供給不足に陥りがち(糸紡ぎ五百時間に対し、機織り八十時間)なので、しばらくは問題ないが、規模を拡大していくにつれ、市場の価格コントロールもディーネの責任となってくるのだ。なにしろ彼女は公爵令嬢。自分さえ儲かればそれでいい商人とは立場が違う。職人たちの仕事を奪い、失業者が増えれば、それは巡り巡って自分の首を絞めることになる。
リスク分散の意味でも、違う事業をもういくつか手がけておきたかった。




