収穫感謝祭 3
「あーっ!」
群衆の悲鳴が聞こえて、ディーネはそちらに視線を奪われた。
「やっぱりそうよ! 公姫さまとご一緒だもの! あの方がジークライン様よ!」
ケーキに殺到していた人たちがきれいに反転し、こちらを向く。
「殿下がいらっしゃるのか!?」
「やっぱりあれは殿下だったのか」
「おい、戦神がケーキ食べてるぞ」
「かわいいー!」
誰かが先駆けてケーキ配布所の輪を抜け、こちらに向かうと、黒山の人だかりはそれにつられて移動を開始した。
罪のない非武装の群衆といえども人数が集まると凶器と化す。
お付きの騎士たちが手慣れた様子で円陣を組んで行く手を阻むが、あっという間に取り囲まれてしまった。
ジークラインは騒ぎに目もくれず、生クリームたっぷりのケーキを普通に食べている。
「お。ディーネ、いけるじゃねえか。この俺の舌を楽しませるとはなかなかやる」
のんびりとした感想をもらすジークラインに、観客がまたざわついた。
ぱっと見で誰よりも背が高く、体格がよく、いかにも総大将といった風格のジークラインがお菓子を食べて喜んでいる姿はシュールで、そんな彼を農民たちが取り巻いてありがたがっているのだから、ちょっと何とも言えない光景だ。
「ジークライン様、どうかお慈悲を! この子はほとんど目が見えないんです! どうか治してやってください! どうか!」
せっぱ詰まった嘆願が聞こえてきて、ようやくジークラインはそちらに身体半分だけ向き直った。
「普段の俺はお前らなどいちいち相手にはしないが……」
むちゃくちゃかっこいい感じの重低音で喋っているが、右手にはまだケーキ用の丸っこくて小さいスプーンがある。のみならず、ジークラインは残りのケーキをさらにひとすくい食べた。どんだけ食いしん坊なのだ。斜めの座り方の感じもかっこいいだけに残念さが際立っている。
「いいだろう。てめえら全員そこに並びな。この俺が手ずから神の加護を授けてやる」
ジークラインの右手から青い炎がほとばしった。
聖書にいわく、預言者は手で触れただけで病人をいやしたという。そのときに立ちのぼったのが魔力による青い炎だというのが、弟子の何某さんによる回想録に記されている。
なので、王侯貴族ならびに聖職者が発する青い炎は万病の薬としてたいへんにありがたがられているのだった。
群衆は沸いた。
パニックになりかけた人たちが押し合いへし合い、円陣の一部が崩される。殺到してきた人たちにもみくちゃにされる未来を想像してディーネがからだを硬くした直後、ジークラインにトンと押されて、気づくとはるか遠くに飛ばされていた。
――危ないから飛ばしてくれたんだ……
いいところもあるじゃないかと思いかけた瞬間、ジークラインがいるあたりで大きな快哉が叫ばれて、そんな気分も吹っ飛んだ。漏れ聞こえてくるうわさによると、本当に男の子の目が見えるようになったらしい。
ジークラインは世紀の大魔術師なので、このぐらいの治療術は朝飯前なのだった。
過剰気味の演出に群衆は大興奮だ。
どこからか万歳のコールが開始され、最初はバラバラだったリズムが次第に統一されていき、大地を揺るがすような大音声の叫び声になる。
――万歳、ジークライン様万歳!
ケーキ人気よりもジークライン人気のほうが上回ったらしく、天幕のほうはスカスカになっていた。
立ち働いていたエストーリオがにこにこしながらこっちにやってくる。おそらく内心ではディーネと同じようなことを考えているだろうと容易に分かる引きつり笑いだった。
「……なんか釈然としないわね」
「同感です」
「あいつはいつもそうなのよ……ひとが一生懸命長い時間かけて準備したことを一瞬でぶっ壊して全部持っていく……」
「お察しいたします」
「しかもあいつはあれで天然なのよ? 苦労なんてなーんにもしたことなくて、こっちの努力とか全然分かってくれないの。むしろなんでそれくらいのことができないんだ? みたいな感じなの。何かができてもそれはマイナスがゼロになっただけのことで、あいつにとってはそれが当たり前のことなのよ……」
「お気を落とさずに。神はあなたの行動もすべて天から見ていてくださいます。私も神に仕える身ですからご一緒に泣いてさしあげます」
やさしすぎる慰めに、ディーネはちょっと泣けた。
やけ食いでもしようかと天幕に目をやると、奥にあるスペースに、見慣れぬ鎧姿の男たちがいた。鎖帷子の上から直接陣羽織を羽織っているのがおそらく従卒の兵で、青黒い鋼鉄の甲冑や手甲でがっちりと重装備をしているのが騎士だろう。
陣羽織には紋章が入っていて、所属が分かるようになっている。砦と川のシンボルは水砦に知行を与えられて住んでいる騎士によくみられる家紋だ。立派な鎧を着ている騎士とその取り巻きは、ジークラインが気になるのか、向こうの方に身を乗り出してひそひそと何かをささやき交わしている。
「……彼らは?」
「彼はホウエルン卿、アークブルム辺境伯の陪臣ですよ。ソフィア川沿いにある水砦、通称ホウエルン城砦の騎士です」
アークブルムはバームベルクの北東に位置する細長く小さな辺境伯領で、ソフィア川を挟んで敵国と隣接している土地柄、川沿いにたくさんの砦を持っている。
陪臣ということは、おそらくそこに住んでいる騎士なのだろう。家紋もなんかそれっぽい。
「どうしてアークブルムの騎士がここに……」
騎士も一応貴族に数えられるとはいえ、しょせんは末席。ゼフィア大聖堂の大司教主や大公爵のクラッセン家と親しく付き合うには格が足りなすぎる。
「ホウエルン卿は騎士といっても辺境の領地を大きく任されているようで、北国との交易や水運の通行料などでかなり儲けているようですよ。水路の下流は海ともつながってますからね。塩の行き来だけで相当の儲けらしいです」
危険な領地を守護する代わりに大きな富を得ているということらしい。
言われてみれば携行している剣の鞘は金箔張りで大きなトパーズが埋め込まれているなど、見るからに裕福そうだ。
「実は彼らと治水工事のことでいくつか取り決めをしていたんですよ。ソフィア川の上流はゼフィア……うちの領地につながってるというのはご存じかと思いますが……」
「ええ」
「アークブルムとの県境に浅瀬の地帯があって、船が通れないでしょう? この浅瀬を共同で掘削して船が通れるようにする事業を計画してまして……」
「素敵な計画ですわ、エスト様」
彼は皮肉げに笑った。
「ところが、ほら、先日、どなたかが莫大な土地を取り返していったでしょう? 計画途中でバームベルクにお伺いをたてねばならないことがでてきてしまいまして。今日彼を連れてきたのもそのための顔合わせです」
「まあ……」
「要するに、新設の水門の利権を誰が得るのか、ということなんですが。あの川が教会の管理下にあったつい先ごろまでは、教会が五、騎士どのが四、残りが保守管理料ということになっていたのです、が……」
「しかし、いまやあの川の管理はわがバームベルクの手中にある……?」
エストーリオはお美しいお顔でにっこりした。
ディーネもとりあえず微笑んでおく。
顔は笑っているのに、なぜだろう、とてもプレッシャーを感じる。