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収穫感謝祭 2


 そこで特設のステージ上でラッパの音がけたたましく鳴った。楽師の一団が注目を集めるさなかにエストーリオが登壇してくる。


 ありがたいお説教のお言葉をいくつか述べて、彼はケーキの説明をした。


「本日皆さんにご用意したケーキは鶏卵や羊の乳などを使用していませんから、安心して召し上がってください。このケーキをいくら食べたとしても主はお許しになるでしょう。断食の日にも豊かな食事に与れる喜びを皆さんと分かち合い……」


「姉さま、お話が長くてよく分からないです」


 イヌマエルは人の話を聞くのがちょっと苦手だった。


「このケーキは断食日でも食べられる材料でできているから、好きなだけ食べていいのよ」

「わあ、本当ですか! そんなの初めて見ました! すごいです!」


 ディーネの侍女に持ってこさせたケーキにかぶりつき、あっという間に食い尽くす。


「おいしい! 姉さま、このケーキとっても甘くておいしいです!」

「たくさんあるから、慌てないで食べるのよ」


 かわいい弟の食事風景をほほえましい気持ちで眺めていたら、後ろから影がぬっと差した。


「姫。そろそろジークライン殿下にご挨拶を申しあげませんと」


 ディーネの給仕に徹している侍女頭は、たまにこうして社交上の余計なおせっかいを焼いてくる。


「まだ始まったばかりじゃないの……」

「もう始まってしまったのですよ。遅すぎるぐらいでございます」


 立ち上がりかけたディーネの袖を、隣に座っていたイヌマが思いっきり引いた。痛い。


「ね、姉さま、姉さま、あの、あのっ……」

「ん? イヌマもくる? いいけど、ちゃんとご挨拶できるかな?」

「はい! ばっちりです!」


 弟だけというのも不公平だと思ってレオのほうに視線を向けると、ばっちり目が合った。そそくさとナプキンを折りたたんで立ち上がり、その場に直立不動の姿勢を取る。


「……レオもいらっしゃい」


 弟たちを引き連れてU字型の反対に回ってみれば、イヌマが黙っていなかった。

 いきなり腰から下げた儀礼用の短剣を引き抜くと、大上段に構える。周囲がざわめいたが、イヌマは一顧だにしなかった。そのままボーリングの球並みの勢いでジークラインに突っ込んでいく。


「ちょっとっ……!」

「義兄さまあああああああああっ!」


 図々しくも兄呼ばわりしながら、全力で剣をフルスイングした。


 ちょうどお酒を飲んでいたジークラインは顔色一つ変えずに、真剣を指二本で白刃取り。周囲に控えていたお付きの者たちが遅れていきり立ち……後ろでジージョがふらりとした。


 いくらディーネとジークラインが長い付き合いとはいっても、イヌマたちとは年に一度会うかどうかの仲だ。非常識な挨拶をかます間柄ではない。


 ――やっぱり駄目だったー!


 イヌマにきちんとした挨拶などを期待したディーネが間違っていた。


 凍りついた周囲の空気などまったくお構いなしに、イヌマはちゃっかりジークラインに抱きつき、『義兄さま!』とさかんに呼んでいる。


「義兄さまはやっぱりすごいですね! お会いできて僕感激です!」


 そのうちに、ぬっ、とジークラインの手が伸びた。

 イヌマの襟首をつかんで、真正面にぶら下げる。恐ろしい形相でにらみつけている……ようにも見えるが、ジークラインはもとから真顔で見つめられるとかなり怖いご面相なので、よく分からない。


「おー。来たな? 坊主」


 ジークラインは猫つかみのイヌマをひょいっと肩に乗せた。イヌマは大はしゃぎである。


 ――怒ってなかった……っ!


 騎士たちは寿命が縮んだような顔でやれやれと座り込んだ。ディーネも彼らが剣に手をかけた瞬間、ちょっとだけ死を覚悟したので、ほっとしすぎてその場に崩れ落ちそうになった。


「ジーク様、レオからもご挨拶させてくださいまし。イヌマもいつまでも乗ってないの!」


 ディーネはイヌマを引っ張り下ろして、レオをずいっと前面に押し出した。

 レオは緊張のあまりか、直立不動でぴーんと伸びている。


「殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅう……」

「おーおー、苦しゅうないぞ。ははは、ガチガチだなぁおい」


 がっしがっしと頭をなでられて、レオは目に見えてうろたえだした。頭に獣の耳が生えていたら毛がぶわっとふくらんでいたことだろう。


「つつがなくやっているか?」

「殿下……僕は、お言いつけを守って、ちゃんと毎日素振りをしています」

「おーそうかよ。いい心がけだ。しっかり鍛えることだな」


 ジークラインはレオをがしがしなでる手を止めて、一介の騎士にするように、まっすぐに見下ろした。


「帝国貴族の男児たるもの、武芸を極め、帝国と俺のために心技を尽くせ」


 レオは憧れの殿下から格好いい激励をしてもらって大感激である。「はい」と答える声が震えていた。


「……そんで、強くなって、姉ちゃんを守ってやんな」

「はい」

「身体を鍛えときゃたいていのことは何とかなるからな」

「はい!」

「そりゃあんただけでしょ……」


 バカなやり取りにうんざりしていると、今度は庶民のほうから悲鳴があがった。


「押さないで、皆で分け合うためのケーキです! お持ち帰りはご遠慮ください!」


 ケーキの無料配布所と化した天幕があり、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


「主の御心のままに、皆さんで分け合ってください!」


 聖職者たちのお説教など誰も聞いちゃいない。みんなケーキの取り合いで必死である。


「すごいご馳走だ」

「食えるだけ食っておかないと」

「もう一生食べられないかもしれないぞ」

「うめええええ!」

「このワイン、『甘い』ぞ……!」


 わやくちゃの怒号がディーネのところにも届いた。

 無理もない。

 生クリームと砂糖をふんだんに使用した果物入りのショートケーキである。

 素材が高価である上に、生クリーム入りとあってはさぞ珍しかろう。ワインの味も先ほどディーネが試した通りだ。


 さらにチョコレート工場の試験運転もかねて子どもを中心に板チョコも少しずつ配っているのだが、そちらも大騒ぎになっていた。


 この日に配るのはパンとワインなのだが、今日に限ってはディーネが新しく開発したケーキのお披露目もかねて、パンの代わりにケーキを出していた。

 メイシュア教における断食は動物性の食品断ちをする期間なので、本来はケーキに含まれる卵や牛乳も禁止なのだが、まったくダメとなると民衆の心を掴むのが難しいらしく、たいていは地域によって少量の牛乳ならいいとか、代用品の豆で作ったケーキなら可といったような抜け道がある。

 ディーネが開発した新しいケーキは、植物性油脂の生クリームや代用ミルクを使用している。

 つまり、斎日にも食べられる素材でできているのだ。


 ジークラインも狂乱する人々の群れに注目している。

 ディーネはドヤ顔が隠しきれず、口に手を添えた。この盛況ぶりならば彼も認めざるを得ないだろうと思ったのだ。


「ジーク様、ご覧になって? あれが先日お約束の新商品ですのよ。もうケーキがしょっぱいだなんて言わせませんわ!」


 気を利かせたジージョがジークラインのところに小皿を回す。


 ――食べてびっくりすればいいのよ。


 期待にはやるディーネに見守られる中、ジークラインがケーキに手をつけようとしたとき――


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