二章完結記念小話 マヨネーズを開発するお嬢様 その二
公爵令嬢のディーネは転生人だが、転生先には『出汁を取る』という調理技法がなかった。
そこで自宅の料理人を集めて、まずはブイヨンの作り方から伝授することにした。
キッチンに移動する。大小さまざまなかまどすべてに火が入っており、なかはうだるような暑さだった。木炭の燃える臭気が鼻をつく。
田舎料理のレシピを料理長から聞いて参考にしながら、大量の牛肉と骨付きのスネ肉を数十リットルの水とともに鍋へ投入。
料理長がすっとんきょうな声をあげる。
「しかしこの牛肉は、明日の料理用で……使っちまったら明日の食事が」
「セバスチャン」
「かしこまりました」
ディーネの言わんとするところを察したセバスチャンの返事。できる執事はさすがに違う。
つつがなく作業を続行。
甘みが出るニンジン、タマネギを多めに入れ、風味付けの野菜としてねぎ、セロリ、パセリ、パースニップなどを選択。
あくをこまめに取るよう厳命して、鍋の準備は終わった。あとはひたすら煮るだけだ。
「とりあえず、半日ぐらい煮てみましょうか」
「そんなにですか」
「肉がぐずぐずになって、繊維しか残らなくなるまでやってください」
――そして夜、公爵ファミリーに供されるディナーが終わり、そろそろキッチンの火だねも落とされようかという頃合い。
「こちらが半日煮たものになります」
料理番組の要領でディーネが言うと、厨房の料理人たちはよく分からないながらも煮えた鍋を火からおろした。
続けて具を取り除かせる。肉は入れたときの半分ぐらいの大きさになっていた。ガラになってしまった肉をつっついて、ディーネは歓声をあげた。
「よく出汁がとれたっぽい」
「香りはすごくおいしそうですね」
料理長が控えめに同意した。しかし野菜を入れたことが解せないようだ。
「この材料を、ナプキンで濾します」
「濾す……?」
「濾過します。つまり、具を取り除いて、煮汁だけにします」
「なぜですか!? もったいない!」
「いいんです。具はあとでスタッフがおいしくいただきますから」
「食べていいんですか? それならまあ……」
彼らは仰天していたが、なんとかやってみようという雰囲気になった。
残った汁を洗い立てのナプキンで濾過。
すると黄金色のきれいなスープストックになった。
「完成した新スープのお味はいかに!? CMのあと、驚きの結果が!」
唐突に挟まれたギャグは、キッチンスタッフの誰にも通じなかった。
「……しいえむ?」
「気にしないで。気分だから」
「はあ……」
ディーネは適当に味をみつつ、塩とスパイスを放り込んで味を調えたあと、ブイヨンをお皿に盛って、パンとともに料理長へ出した。
「採れたて新鮮な野菜のうまみをぐつぐつ煮込んでぎゅっと濃縮した牛肉と香味野菜のブネゾンでございます。お召し上がりください」
「い、いただきます」
料理長は疑わしげな様子でパンをスープにひたし、口元に持っていった。
ギャラリーの料理人たちがぐっと息を呑む。
料理長はじっくりと味わい、じょじょに戸惑い顔を引き締めて、真顔になった。
「……おいしいですね、これ」
「おいしいいただきました~! みなさん盛大な拍手を!!」
ディーネが観客をいじると、本当によく分かっていない料理人たちからパラパラと拍手がわきおこる。
「田舎料理ですね。鍋料理のスープだけを飲んでいるような……いや、懐かしくて、おいしいですが」
庶民の料理長にしてみれば、だから何なのだ、といったところなのだろう。おそらく彼も普段から鍋料理は食べ慣れているに違いない。
「まあ、そうなんだけど、たまねぎやニンジンの甘みがスープに溶けだして、お肉のうまみに深みを与えるって言ったらいいのかしら? ブイヨンを作るときにはお肉以外のものも入れたほうがおいしくなるのよ。野菜やきのこからもいい味が出るってわけ」
それまでふざけ半分だったディーネが口調を変えて冷静に解説すると、ぽかんとしていた料理人たちがようやくざわざわしはじめた。
料理長もここに至ってようやく感心したような声を出す。
「なるほど……いや、参りました。茹で野菜の風味がこれほどまでにブイヨンに影響を与えるとは知りませんでした。料理人として恥ずかしく思います」
「今回はシンプルに牛肉だけでやったけど、鶏肉を使ってもいいし……お魚でもいい出汁は取れるのよ。とりあえず皆さんも召し上がって。ほら」
ディーネがおのおのにスープを配ると、彼らはがやがやしながらそれぞれ食した。「いける」やら「うまい」といったつぶやきが随所で聞かれる。
「おいしいでしょ?」
手近な料理人に話しかけると、彼は面食らった。
「お嬢様のお料理はすべておいしいですよ。なあ?」
横から料理長が苦笑しながら助け舟を出してくれ、料理人は勢いよくうなずいた。どうやら彼は照れ屋のようだ。
「ほら。どう?」
「いや、ほんとおいしいっすよ、これ」
調子がよさそうな印象の若者に話しかけると、今度はちゃんと返事が返ってきた。
「肉のうまみたっぷりだけど、一味違うつーか」
「今までのブイヨンより全然味がよくておいしいです」
横から別の青年もしゃしゃり出る。自分が仕えているお嬢様と口を利いても問題がなさそうだと知った彼らは口々に褒めつつ、最終的に「でも」と疑問を差し挟んだ。
「……でも、具を捨てる意味はあるんですか?」
「確かに。俺たち庶民からすると、そのまま食べてもよかったんじゃないかなとは思いますね」
隣にいた男も同意。
「そうね、ちょっともったいないけど、このブイヨンがとっても大事なのよ。次に作るソースのベースになるからね」
言いながら料理人たちのテーブルを離れ、ディーネは火だねを残しておいてもらったかまどの前に立った。
「昨日説明したやつ、今から作るけど、そんなに何度も説明しないから、ちゃんと見て覚えてちょうだいね」
周りに料理人たちを集めて、ディーネはホワイトソースから作ることにした。
バターをフライパンに溶かし入れて同じ分量ぐらいの小麦粉投入。ちゃっちゃとかき混ぜて一分ほど置く。牛乳を少量入れたところで、バターとミルクが溶け合う甘い香りがあたりにたちこめた。
「牛乳を! 入れたら! ひたすら! かき混ぜ! グルテンとか? なんかそんなのができて、大きくまとまったらまた牛乳を! 追加で! 練り込む!」
「お嬢様、グルテンとは?」
「なんか……うまくいえないけどすごくいいものです!」
「はあ……」
とてもアホっぽいが仕方がない。分子の構造について理解していない人たちにグルテンの形成がどうたらこうたらと講釈をしても分かってもらえないのは目に見えている。とにかくいいもの、で押し切るしかない。
「よっ! はっ! 内角低めをえぐるようにして練るべし! 練るべし! 練るべし!」
数分ほど根気よく混ぜているうちにダマは取れた。
「牛乳を全部入れて、ルウが落ち着いたらあとは二十分ぐらい煮込んで完成です。この鍋はあなたに任せました」
「はい」
「私の形見だと思って大切に育ててください。たまに褒めてあげたりするとのびのびといいスープに育ちます」
「スープに……話しかけるんすか?」
「モーツァルトの音楽なども有効です」
「モーツァルトとは……?」
「気にしないで。気分だから」
「はあ……」
煮込むところは手近にいた料理人に任せて、第二のソースも作る。
「ふたつ目のソースもルウを作るところは同じですが、牛乳の代わりに先ほど作ったブイヨンを入れて……どろりとするまで煮詰めたら完成です。この鍋はあなたにお願いします」
「かしこまりました」
「もともとのブイヨンもそれだけでおいしい味わいになっているけれど、小麦粉とバターでとろみをつけて、濃度をあげることによって、ディップ用のおいしいソースになるというわけです。これを絡めたお肉は本当においしいですから、期待して待っていてください」
ディーネが久しぶりにまともなことを口にしたせいか、料理人たちの反応は上々だった。疑問を呈するもの、本当においしそうだと期待するもの、口々に思い思いのことをしゃべっている。
「マジすか。肉料理に使うんですか、これ」
「マジです。お嬢様うそつかない」
「あの、お嬢様、スパイスは?」
当然の疑問が彼らの間からあがった。この時代の常識からいえば、肉料理にスパイスを使用せぬなど、正気の沙汰ではない。
「今回はショウガとナツメグだけでいいです。ブイヨンの底力を実感してもらいますので」
第三のソースは第二のソースを少しとりわけてトマトを入れるだけなので、先にアルマンドソースを作った。加熱したルウを火からおろして卵と酢を少しずつ投入。
「アルマンドソースもまた違う味わいでおいしいですよ」
パンにソースをつけて試食。
こちらもおおむね好評だった。
「さらにここからは、完全に私の趣味ですが」
と前置きして、ディーネは卵と酢と油を集めて、陶器製のボウルを引き寄せた。
「この卵と酢と油で、もうひとつ珍しいソースが作れちゃいます」




