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歴史の転換点 前編

 公爵令嬢のディーネは領地のお抱え研究員を連れて、ゼフィア大聖堂に来ていた。


 地下に封印されている印刷機を解放しようとしているのである。


 今から百年ほど前、翻訳聖書を出版した罪で異端者として火刑にされた魔術師がいた。その男は死の直前に自らが開発した活版印刷機に魔法をかけ、封印したあと、こう言ったという。


 ――私の印刷機は私がこの手で封じよう。愚かな諸君らは数百年のときを暗闇のうちに過ごすがいい。


 百年前の魔術師が施した術は、公爵家の魔術師長にも理解できないものだったらしい。全身黒ずくめですっぽりとフードを被った、いかにも黒魔導師という風体の男は、見えない顔を力なく振ってみせた。


「申し訳ありません……いかなる魔術か、見当もつきません……」

「そうよねー……私にもわけわかんないもの、これ」


 ディーネも魔術に関してはエリートなので、魔術師の無念は理解できた。


「すみません、私は鍵を預かっているだけで、部屋の詳細は知らないのです」


 ――とは付き添いのエストーリオの言。

 仕方なしに、ディーネは知恵を絞ることになった。


「ねえ、あなたたちは? 何か分かったことある?」


 駄目元で連れてきた軍事技術者や錬金術師を振り返る。

 すると錬金術師のガニメデが声をあげた。


「お嬢様、ちょっと。この部屋、窓がついてますよ」


 ガニメデが部屋から明らかに浮いている宗教画のタペストリを指さした。めくりあげると、本当に窓がついていた。


「うわ、ほんとね……地下なのに気持ち悪いわ……」

「ええ、不気味なので、私がタペストリをかけておいたんですが……それにしても今日はよく晴れてますね」


 エストーリオの言う通り、外には青い空が広がっていた。

 つまりここは、空間がねじまがっていると解釈したほうがよさそうである。


「ここはどこなのかしら……壁紙みたいな草原だけど……」

「……壁紙……?」


 ディーネのつぶやきに反応したのはガニメデである。


「パソコンのデスクトップによくあるやつよ」

「……またお嬢様の妄想のお話ですか?」

「うるさいわね、妄想じゃないわよ。それよりあなた、錬金術師でしょ。植生から場所を特定できないの?」


 ディーネが無茶振りをすると、ガニメデはなぜか部屋の隅から地球儀や羅針盤、六分儀を持ってきた。


「うーん……俺、あんまり、占星術は得意じゃないんですが……」

「貸してください」


 ガニメデが手に取りかけた六分儀っぽいもの――おそらく天体観測用の道具だろうと思うが、天文学はディーネもまったく知らないので判断できない――を横からぶんどったのは、軍事技術者兼数学者のキューブだった。


 しばらくそれを使って何やらブツブツ言っていたキューブだが、ほどなくして自信に満ちた様子でディーネを振り返った。


「おそらくこの部屋の本当の在り処も、ここから近いところにあるはずです」

「えっ……どういうこと?」


 キューブの説明によると、太陽の位置は赤道に近ければ高くなり、離れれば低くなるらしい。天体の位置から言って、緯度的にはほぼゼフィアの近所だというところまで絞れたのだそうだ。


「へえー……やるじゃない」


 天文学をよく知らないディーネは素直に感心した。


「夜になるまでお待ちいただければ、星座の位置で大まかな地域も判別できます」

「すごいじゃない!」


 するとキューブはけげんそうな顔をした。


「……お嬢様にも当然、このぐらいはお分かりかと思っていましたが……」

「えっ、なんで?」

「積分……でしたか。それに三角関数にも精通していらっしゃるではありませんか」

「精通っていうか……公式がちょっと分かるだけだし、なんで積分が星と関係あるのかとか全然わかんないんだけど……?」


 キューブはあぜんとしていたが、しばらくして笑い出した。


「……これは傑作。お嬢様は本当におかしな方だ」

「……?」


 他人から笑われる理由が分からないのは結構気持ちが悪い。なんだかひとりでご満悦なキューブにムカつきつつ、ディーネは首をかしげるしかなかった。


「お嬢様のような方は初めてですよ。危なっかしくて、少しも目が離せないですね」


 この男にだけは危なっかしいとか言われたくない。

 そんなディーネの内心をよそに、キューブはおかしそうに笑っていた。


 ――その後の調査で大まかな位置までは特定したものの、それ以上の進展はなく、ディーネたちはいったん屋敷に戻ることになった。


 日を改めて公爵家に常駐している魔術師たちを集め、議論をさせてみたが、封印を解く糸口は見つけられず。


「……ジークライン様なら、何かお分かりかもしれませんなあ」


 誰かが冗談のように言った。

 ディーネには笑えない。汚名を返上してみせる――と息巻いたのはつい先日である。


「どうすればいいのかしら」


 研究員や魔術師たちを招集し、うだつのあがらない会議を重ねること十数回。


「しかし、仕組みについてはほぼ理解しました」


 淡々と言ったのはキューブだった。


「おそらく木版画印刷のものと工程は同じでしょう。一ページ分の組版を作り、バレンなどでインクを塗って、紙にプレス――プレスは上のハンドルを回して、少し強めに圧をかけるようですね。仕組みはぶどう絞り器などと同じもののようですから、再現可能です」

「お、お、おおおお……!」


 ディーネはこのとき初めてキューブをかっこいいと思った。


「じゃあ、封印解かなくてもいいじゃない!」

「ええ……活字の鋳造技術が百年前とは思えないぐらい高いところを除けばですが」


 キューブは活字が大量に保管してある棚を指し示す。


「あのレベルの彫金技術というと、わが軍の金細工師でも作製できるのはほんの一握りです。おそらく精巧な鋳型を作って複製したのでしょうが、原型を一から作るとなると少し時間がかかりますね。あそこにある鋳型を利用できるのなら、鉛を溶かして流し込むだけですから、そう技術はいりません」

「……どっちにしろ、封印は解いたほうがいいってこと?」

「そうなりますね」


 ――ディーネはふたたび封印の解除に頭を悩ませることになった。



微分積分

天体観測に便利な異世界の呪文。

これを使ってニュートンは万有引力の法則を発見したらしい。

文系の作者にもよう分からんという高等魔法。


おしらせ

二章は明日の後編で終了し、いったん休止します。



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