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笑うお嬢様

「たまにはな」


 軽くうそぶくジークラインに、ディーネは思わず笑みを漏らす。


 ――今、笑っているのは誰?


「メイシュア教では、獣に魂はない、と説いています」


 これは、前世の記憶を取り戻す以前のクラッセン嬢としての知識だ。


「……? そうだな。魂を持つのは人間だけだ」

「では、それが間違いなのだとしたら?」


 ジークラインはほとんど迷わなかった。


「間違っちゃいねえ。魂はある。魔力によって構成されている」

「それなら、魔力のない世界の人間はどうなります?」

「そんな世界はない」

「いいえ、ございます、ジーク様」


 そしてここから先は、前世の記憶を持つ、ディーネの知識だ。


「人間の魂は肉でできた身体の機能の一部なんですの。高度に発達した前頭葉――脳の認知機能のことを、わたくしたちは魂と呼んでいるのですわ。いもしない全知全能の存在を、誰かが擬人化して『神さま』と呼んだように」


 ジークラインが眉をひそめる。

 以前のクラッセン嬢ならば、神の存在を否定するようなことは決して言わなかっただろう。


 ――では、今、ものを考えているのは誰?

 ――前世と今世の知識を使い分けている、主体は誰?


 前世の『記憶』と、個人の肉体――それに伴う認知機能の総体。

 どちらが主体かと言われれば、もちろんクラッセン嬢の肉体だ。


 記憶が認知機能を左右することはある。

 しかし、ただの記憶が、認知機能そのものを制御してしまうことがあるか?

 ――否だ。


「わたくしの身体はわたくしだけのもの」


 ジークラインに向かって、ディーネは静かに告げる。


「わたくしはわたくしです。別人のように見えるとするなら、それは――」


 口調に、さびしそうな悲しそうな、そんな色合いが混ざった。


「ジーク様は、もともとわたくしのことをよくご存じではなかったのでしょうね……」


 半ばひとり言めいたつぶやきに、ジークラインは不快げな表情を隠そうともしなかった。仕方がないとディーネは考える。今の話が彼に理解できたとも思えない。この世の理を思い通りに捻じ曲げ、自身の手足のように使いこなす魔術的な天才の彼であっても、思想や世界観は現地の宗教の影響を受けている。輪廻転生、はては魔法のない世界の概念など想像だにできないことだろう。


「……お前は、俺に何を求めてる?」


 ディーネの発言を世迷言と片付けることにしたのか、ジークラインはもっと端的な質問に切り替えてきた。


「何も」


 ディーネは、ジークラインに何かしてほしいのではない。しいていえば、これは自分自身の問題だった。

 しかし、ジークラインには別の意味に聞こえたらしい。


「説明しても無駄だと思っているのか? この俺が、女のたわ言も叶えてやれねえほど狭量だと見くびってんなら、今すぐその勘違いをただせ。いいか? 間違えんなって言ってるんだ。俺はお前の敵じゃあない。味方だ」


 ジークラインは立ち上がったディーネを隣に座らせようと、また手を伸ばした。

 いったんは沸騰した感情が落ち着いてしまったせいか、ディーネには逆らう気力が残っていない。


 おとなしく隣におさまったディーネを、ジークラインはなおも説得し続ける。距離が近すぎるからだろうか、顔を覗き込まれながらだと、なんだかくすぐったいとディーネは感じた。


「お前がこの世でもっとも頼みとすべき存在はこの俺だろう? お前がどうしてもってんなら、そのときは婚約の破棄ぐらいどうにでもしてやんよ。けどな……」


 ジークラインは珍しく、自信なさげに声を落とす。


「本当に、それしか方法はないのか? もっと他にあるんだろう? お前の本当の望みが」


 どこかすがるような口調は、まるで彼自身が『そうであってほしい』と願っているかのようだった。


「聞いてやるから、何でも話してみろよ」

「わたくしは……」


 ディーネの本当の望み。


「ジーク様にどうにかしていただこうとは考えておりません」


 彼にお願いをすれば、どんなことでも実現させてくれるのだろう。彼が日頃からディーネに対して請け負っているように、神に愛された彼にとってはほとんどのことが『女のたわ言』だ。


「エスト様とのことも、きちんと自分でケリをつけますわ。あなたなしでは何もできないか弱い女を妃にお望みなら、どうぞ別の方をお探しになって」


 ディーネがツンと顔を背けると、ジークラインは小声で「わけわかんねえ」とつぶやいた。


 嫌な沈黙がしばらく続き、少し怒らせすぎてしまっただろうかとディーネが不安になるころ。


「……教皇んとこの坊主の始末はどうするつもりだ」


 ジークラインはむすっとした顔をしつつも、聞くべきことはちゃんと聞いてきた。


「なんとかします」

「あのな……なんとかじゃねえよ。いきなり呼び出される俺の身にもなれ」

「ですから、ご心配なさらずとも、丸くおさめてご覧に……」

「うるせえな。心配ぐらいさせろ、馬鹿」


 そろそろジークラインの堪忍袋の緒が切れそうな雰囲気を察知して、ディーネは黙り込んだ。


「俺が口出ししたって、どうせお前は気に入らなきゃフラフラ単独行動するんだろ? 止めやしねえから好きにしろよ。けどな、事前に俺がお前の行動を把握しているのといないのとでは、初動に差が出る」


 声の抑揚はごく穏やかで、話す内容も合理的。しかし内心は荒れているらしく、ジークラインは不機嫌そうな顔つきを隠そうともしなかった。


「……実際お前は大したやつだよ。力ずくでねじ伏せられぬ者とてないこの俺からここまで譲歩を引き出したんだ。誇りに思うがいいぞ。お前は自分の信念と意志の強さで、この俺に筋を通そうとしてるんだ。俺に媚びへつらう人間は多くても、誇りを貫ける人間はそういない。その点だけでもお前は立派だ。いい女ってのはそうでなくちゃな」


 思わぬところで褒められて、ディーネは肩透かしを食らった。


「……けどな、意固地にはなるな。対策を考えるなら、俺の意見を聞いておいても損はねえだろう。なあ? どうするのかはお前に任せるとしてもよ」


 付き合いの長いディーネには、ジークラインが非常に怒っていることは肌身で感じ取れる。

 が、それでも彼は最後まで理性的だった。


「今回のことは不問にしてやってもいい。だがな、今後は屋敷を離れるなり、大きな行動をする前には、必ず俺に話を通せ。いいか? ここが、俺が譲ってやれる最後のラインだ。それすら守れねえってんなら、分かってんだろうな?」

「……おっしゃりようは、ごもっともでございます」


 彼の言うことはいちいち正しい。それに、最後のほうはディーネの気持ちにも配慮しようとしたらしき言い回しもあった。


 ――確かに、少し意固地にはなっていたのかも。


「分かりました。ご説明いたします」


 ディーネは小さく息をつくと、ぽつりぽつりと話し始めた。




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― 新着の感想 ―
[一言] いい人ではあるし、相応しい人でもあり、この状況と世界において正しい人でもある。 そもそも口調や考え方が合わないから変えてって、全否定意外の何者でもないわけで。 ディーネが慣れて折れるしかな…
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