プレゼンをするお嬢様 5
「ごめんなさいいいいいい! 悪いところがあったら謝りますからーッ!!」
ヤンデレは、ディーネが一番苦手とするタイプだった。記憶が戻る前――クラッセン嬢の時代に彼女自身もジークラインに長い手紙を送りつけたりした記憶があるからこそ、なんとなく分かってしまうのだ。彼の一方通行な愛情がどうしようもなく止めようがないことが。
好きなものは好き。もうどうしようもない。自分で分かっていても歯止めが効かない。
狙いをつけられたら最後。
この世でもっとも恐ろしいストーカー型の魔物に人の知性を備えたものが、ヤンデレだった。
「出してー!! 今すぐここから出してー!!! お母さまー!! お父さまー!!!」
扉にかけより、ダンダンダン! と必死に叩く。魔術的な封印がしてあるせいか、びくともしなかった。
足音もなく、ひたりと真後ろに立たれた気配がして、ディーネは凍りついた。
怖くて、とても後ろを振り返る気になれない。
「……可哀想ですが、出してさしあげることはできませんよ。あなたはこれから、死んだことになるのですから」
「どうして……そんなこと、お父様たちが許すはずが……」
「罪状は異端。証拠はこの指輪です」
肩越しにちらりと振り返ると、エストーリオの指に嵌まったままの壊れた指輪が目に入った。先ほどの質問は罠だったのかと、ディーネは呆然としてエストーリオの晴れやかな笑顔を見つめた。
「それじゃあ、全部、最初から計画通りってこと……? 私と会話をしながら、エスト様は、ずっと私を罠にはめるチャンスを窺っていたと……?」
ハリムを捕まえたのも、ギーズを捕まえたのも、すべてはディーネが目的だったということなのか。
「……ハリムは無事なの……?」
ディーネが婚約破棄を狙っていることは、ハリムをはじめとした一部の人しか知らないことだ。それをエストーリオが知っているということは、どこかの段階でエストーリオは、ハリムの記憶を読んでいるはず。それも、拒否する彼から無理やりに。
エストーリオははぐらかすように、にこりと微笑んだ。場違いな笑みだった。なんの回答にもなっていない。
「……ハリムに何かしたら、わたくしは絶対にあなたを許しませんわ!」
ディーネの怒りに触れて、エストーリオは少し戸惑った。この頭のおかしい男にも、彼女の怒りが少しは通用するのだと知って、暗闇に小さな明かりを見た思いになる。
「この期に及んでご自分のことよりも他人の心配をするなんて……やはりあなたはご自分を犠牲にしてでも人に尽くそうとする方なのですね」
――私の何を知ってるっていうのよ……!
ディーネは彼の言うこと全部を否定してやりたくてたまらなかったが、今はそれよりも、考えなければならないことがある。
――どうにかしてここから抜け出さなければ。
「エスト様、聞いてくださいまし」
時間稼ぎの言葉を継ぎながら、ディーネは頭をフル回転させた。
「心配してくださって、ありがとうございます。でも、おあいにくですけれど――」
完全密閉の部屋といえど、どこかに穴を開けられれば、少しは魔力が通じるようになるはず。ではどうやって穴を開けるのか、ということになってくる。穴を掘るのか、魔法を使うのか?
「たとえジーク様と別れたとて、わたくしがエスト様と添い遂げることも絶対にありませんわ」
エストーリオは悲しげにうつむいた。
油断なく警戒しながらディーネは脱出の糸口を図る。この空間ではどうやら魔法が扱えないらしい。となると物理的な手段に頼らざるを得なくなる。エストーリオは空間を開閉するための鍵を持っているようだし、どうにか奪い取ってしまうことはできないものか。
「ええ。今はそうでしょうね」
「わたくしは誰のものにもなりません。ジーク様とも、エスト様とも、一緒の未来は考えておりませんわ」
「いずれ、そうせざるを得なくなりますよ」
遠慮がちな微笑みと、奇妙な憐れみを含んだ断定がディーネをイラつかせる。
「あなたに服や食べ物や、生活必需品を世話するのは私ですからね。あなたは心優しい人ですから、いずれ私を受け入れてくださると信じています」
――監禁して判断力を失くすように調教するつもりか。
おとなしそうな顔をしてなかなかえげつないことを考えるなと、ディーネはヤンデレの底力に感心した。
「わたくしはエスト様が思い描いているような女ではございませんわ」
時間稼ぎを口にしながら、あたりの空間を探る。知覚できるだけの魔法陣の構成を読んでいく。
この部屋にかけられた魔術禁止の封印は、どうやら魔法的な絶縁体で保護した内側において、魔術師の魔力の生成を阻む術式のようだ。先ほど作りかけた火の魔法は今一歩のところで魔力が湧いてこず、構成の途中で失敗したが、魔法石の手助けがあれば、最後まで構成しきって、通電させられそうな手ごたえはあった。
部屋の入口にドアがある。内側から開ける方法はエストーリオが持っている鍵のみのようだ。両方とも同じ鍵で開くらしい。
「わたくしは自分の意志で行動できる自由がほしかったのです。他人に強いられた人生などもう結構なのでございます。それがたとえジーク様からであれ、エスト様からであれ……」
魔法石。この部屋のどこかに転がっていないだろうか。
魔術師の工房なのだから、ひとつくらいはありそうなものだが。
魔法石のかけらでもいい、見つけ出すことができれば、ディーネにも簡単な攻撃魔法が使える。体格で勝るエストーリオから鍵を無理やり奪い取ることだって可能なはずだった。
「ジーク様は、わたくしが婚約破棄を願い出ても、決して何事も強いたりなさいませんでしたわ。でも、エスト様のやりようはいかがですの? わたくしの意志を無視して、閉じ込めて――これではあなたを好きになることなんてできません」
たとえここを出してもらえたとしても、今日の一件でディーネの中に根付いたエストーリオへの不信感は消えないだろう。
不信や憎しみが渦巻くディーネの心中を、彼は避けることができない。生まれ持った読心の神力が強すぎるせいで、嫌でも直面させられてしまうのだ。
「……これは、あなたのためを思ってしたことですよ。フロイライン。あなただってあの男からの解放を望んでいたはずです。私にはしかと見えました」
「勘違いですわ、エスト様」
ぴしゃりと言い切ると、エストーリオはなんとも言えない顔をした。
「もう、慣れました。人に嫌われることも、厭われることも。私はどう思われても構わないのです――」
話しながら、何気なく真実の指輪に触れているエストーリオの指先を見ていて、ふと気がついた。あの青い宝石は、魔法石でできていたはずだ。ひびが入っていても、あの大きさならまだまだ使えるはず……
あれを使って、エストーリオに攻撃ができないだろうか? 行動力をほんの少し封じられればそれでいい。雷撃? 炎? 捕縛? それとも使い慣れた氷?
――氷だ。失敗は許されない。正確に決めなければ。