プレゼンをするお嬢様 4
――捕まえた。
確かにエストーリオはそう言った。
ディーネは場違いな冗談に耳を疑ったが、エストーリオの笑顔を見てただごとではないと感じ取り、尋ね返す。
「……エスト様?」
「もう、逃がさない――」
――捕まえた。逃がさない。
彼がそう繰り返すのは、つまり――この魔術禁止の空間に閉じ込められたからなのだとようやくディーネが察した瞬間、彼は氷のような冷たい目をディーネに向けた。
「……ここは魔術が禁止なんです。これがどういうことか分かりますか? フロイライン」
いや、冷たいのは瞳だけで、頬はうっすらと上気しており、興奮の兆候を見せ始めている。
「申し訳ありません、まったく分かりません……」
思わず弱気になりながら、ディーネは吐き気を抑えきれない。このねっとりと絡みつくような気持ち悪い喋り方が彼女の前世で見聞きした何かを連想させたが、しかし、それが何なのかがはっきりと思い出せない。
すると彼はなぜか笑い始めた。怒るのでもなく、とがめるのでもなく、おかしそうに笑う彼に、ディーネは改めて鳥肌が立った。
「ふふ、ふふふ。増税――? 異端の本――? そんなもの、どうだってかまわないんですよ」
エストーリオはとろけるような――しかしどこか焦点が合わないまなざしで、ディーネを見ている。
恍惚とした表情。そこに宿る一片の暗さ。この目つきを、ディーネはどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。
「あなたはあの男と結婚するのが嫌なんだそうですね?」
彼が言っているのは、ジークラインのことだろう。
なぜ彼がそのことを知っているのだろうと考え、ハリムから得た知識だということに思い至る。
「それでしたら、私もひとつ協力してさしあげようかと思うのですが、いかがですか?」
「どういうこと……」
「ひとつ、いい方法があるんです。お任せいただければ、必ずあの男との縁を切ってさしあげますよ」
エストーリオの美しい微笑みに、一瞬返す言葉を忘れそうになる。
「……どうしてエスト様がわたくしにそこまでしてくださるのかが分かりませんわ」
「あなたを愛しています。初めてお会いしたときから、ずっとお慕いしておりました」
ディーネは違和感を覚えて、首をひねった。
「……初対面のわたくしは……たしか十歳くらいだったかと……」
「魂の不滅性を思えば、肉体の枷などさしたる問題ではありません。ですが、あなたは神がかくあれかしと願ったかのごとき理想の美そのものですね、私のかわいい人」
――はい?
困惑しているディーネをよそに、エストーリオはやや声を高めた。
「あなたがそばにいるだけで、空気さえもが浄化されているように感じます。ただそこにいてくださるだけで癒しと勇気を与えてくれるだなんて、なんて尊いのでしょう……あなたは本当に清らかで心優しくて温かくて……初めて会ったときから私はずっとあなたに焦がれていました……あなたのような方が伴侶になってくれたら、これほどの幸福はないのにと……」
――あっ、これ……
ディーネにはそろそろ分かってきた。このダメな感じ。
それからエストーリオはふとうつむいた。
「でも、あなたはあの男に心酔しているようでしたから……それがあなたの幸せならばと、いったんはあきらめようとしたのです。ですが、ゼフィアの地方代官の事情聴取から、あの頃のあなたとは思えぬような行動の数々を聞かされて、いったいあなたの身に何が起きたのかと、気になってしまって……私が愛したあの優しい少女はもういなくなってしまったのかと思うと、夜も眠れないほど苦しみました。真相を確かめようにも、あなたは会ってもくださらなくて……」
そしてこの、一方的な長い台詞である。
「ハリムと言いましたか。彼からあなたのことを聞き出したときに、確信しました。やはりあなたはあの男との結婚に苦しめられていたのですね。あの頃のあなたもそうでした。皇太子妃に――ゆくゆくは国母になるようにと義務付けられたおのれの運命を呪っていましたね。とても苦しんでいるあなたを見て、助けてあげられないかとよく思っていたものです」
――なんで、そこまで?
思わずそう問いただしたくなるような思い込みの激しさ。ほとんど赤の他人であるディーネに抱く関係念慮。
「もう大丈夫ですよ。私があなたをお救いしてさしあげます」
キラキラした美しい笑顔で言われてしまって、ディーネはゾッとした。
おののきとともにようやく悟る。
――これはもしかして、伝説の……!
ヤンデレだった。
「いやあああああああ! あああああ――ッ!」
ディーネは錯乱気味に後ずさった。突如あがった悲鳴に、さしものエストーリオもいぶかしむ。




