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プレゼンをするお嬢様


 エストーリオの主張は聖書の引用や神学論まじりでややこしいが、意訳するならば、『増税してまで贅沢しようなんてお前ら貴族の性根は腐りきってる。特に今回の増税分はやりすぎだ。だから撤回しろ』――という意味で合っているはずだ。


「わたくしたちはなにも贅沢がしたくて増税するのではありませんわ。あれはもともと公爵家に正しく納められるべき金額だったのでございます。今までは公爵さまの恩寵によって免除されていただけのこと――」


 ディーネは恩寵と言ったが、現実は違う。パパ公爵が内政をサボっていただけだが、ものはいいようだ。


「そこまではよろしくて? エストーリオ様」

「ええ。しかし……」

「しかしも何もありませんわ。ならばこの件についての追及はもうおやめくださいまし。それより罪深いわたくしたちに道を示していただけませんこと? 迷える子羊の導き手よ」


 ディーネが持参してきた紙の束を手渡そうとすると、エストーリオはすこしためらってから、受け取った。彼がその書類に視線を落としたのを見計らい、問いかける。


「メイシュア様の教義だと、教会に集めた十分の一税は、四割を恵まれない者たちのために使うとお決めになっているそうですわね」


 紙束の一番上はそのことについてまとめてある。バームベルク領内の教会や修道院に協力してもらって、十分の一税――教会が民に対して取り立てる権利を持っている税の使い道をまとめた。


「この、丸いイラストはいったい……?」

「円グラフですわ、エストーリオ様」

「円グラフ……?」


 バランスシートの分析には欠かせない、円グラフや棒グラフといった各種の図表。

 これが発明されたのは意外にもフランス革命の直前と、かなり後年になってからである。

 会計嫌いのフランス国王ルイ十六世も、初めて出版されたグラフ入りの本を見て、『分かりやすい』と絶賛したとか、しないとか。


「こちらはわたくしたちが日頃から寄付をしている教会の、税の使い道をまとめたものでございます。ご覧になっていただければお分かりかと思いますが、どこも圧倒的に『四割には届いていない』のですわ」


 教会の典礼言語は数字がとても読みづらい。

 しかしグラフにしてしまえばひと目で分かる。

 現代日本の知識持ちのディーネにはなんてことのないデータだが、初めて目にするエストーリオの衝撃はかなりのものだろう。


 この世界にはまだ二点透視法などの技術も存在せず、ワルキューレ帝国にはものごとを絵で表現する文化がない。数字を視覚で表す技術を持たない人たちにとっては、『たかが円グラフ』も驚くべき発明になってしまうのだ。


 これを使い、ディーネがやろうとしているのは、いわゆる『プレゼン』というやつであった。

 実はディーネは前世でプレゼンをやったことがないのだが、覚えている限りでは、恣意的な統計資料を使ってセールスポイントをキャッチーに披露する感じでだいたい合ってたはずだ。たぶん。


「それは資金不足のせいもあるでしょうけれども、多くは聖職を驢馬か何かのように売り買いしている方たちが禄を食いつぶして、仕事は司祭たちに任せきりにしているからなのですわ。彼らからは職を取り上げておしまいになるべきです、エストーリオ様」


 彼に渡した書類には、各種修道院の生々しい困窮や、聖職売買シモニアに明け暮れる人たちの実態などが、これでもかというぐらい分かりやすく書かれていた。


 ディーネは四月からずっと教会に帳簿の提出などを呼びかけていたのだが、最終的に、協力してくれた教会はそこそこの数にのぼった。僻地の、荘園を兼ねている修道院たちはその識字率の高さや、様々な伝来技術を使って開墾をしてきた歴史から、一般の人よりも帳簿をよく残していたのである。


 紙の束に、エストーリオははじめ半信半疑の視線を向けていたが、やがてハッとした顔で貪るように読みはじめた。


「なんですか、これは……見たこともない絵図ばかりが……」

「そちらは折れ線グラフでございます。まずは赤い折れ線をご覧になって。死亡税の導入により、各教会や修道院の資産が年毎に増加しているのがひと目でお分かりでございましょう? 反対に、青い折れ線のわたくしたちの収入は減っていて、橋や堤防の修理にも困っている有様なのでございます」

「ええ……それは、よく分かります」


 ディーネは手を広げてみせた。


「ね? エストーリオ様。あの会計学は、こうして、無駄や不正を暴くのにも有用なのでございます」

「これは……確かに、分かりやすいですが、しかし……」

「あの本が悪魔の書だなんてとんでもないのですわ」


 ここが正念場だと、ディーネは声を張り上げる。


「あの会計学の本は、暗闇に叡知をもたらす光なのでございます!」


 感情をこめた訴えを冷たくあしらうほど、エストーリオは非道ではない。

 どうやら本気でそう主張しているらしいディーネの迫力に負けて、彼は押し黙った。


「父なる神に向けてすべてを告白するのと同じように、おのれの持つ富と負債をあますところなく書きとめることに、いったいなんの罪がありましょうか」


 エストーリオは考えをまとめかねているようだった。ディーネの説得には心情的に納得がいかないが、手にしている紙束の有用性は痛感しているらしく、何度も行ったり来たりしながらグラフや数字の中身を検討している。


「罪深いのはあの本ではございませんわ。あの本に限らず、すべての知識に言えることでもありますけれど――知識は、それを悪用するものが罪深いのでございます、エストーリオ様」


 そしてエストーリオの手が、色付きの紙のところまで進んだ。


「エストーリオ様。わたくしたちも、あなたがた教会の崇高な理念にならって、取り立てた金額の四割を民のために用いるとお約束したら、お考えも改めていただけるかしら」


 狙いすまして言い放った言葉は、確かにエストーリオの顔色を一変させるだけの威力を誇った。


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