夜空のお星さまと公爵令嬢
エストーリオの非公式の訪問は、クラッセン家の本邸でしめやかに行われた。
白ずくめの聖職者らしい装束を着た青年がパパ公爵と公爵夫人の歓迎を受けている。遠目にきらめくのはダイヤモンドの聖具だろう。あまたの銀とダイヤで装飾された彼は、陽光の下で見ると、目が痛くなるほどまぶしい白さだった。柔軟剤でも使っているのかもしれない。
ディーネは仮病で自室待機である。なにしろ彼女は教会徴税の主犯。
その点パパ公爵は何もしていないのでシロだ。うまく言い逃れをしてくれることを祈るしかない。
――数時間後。
パパ公爵の書斎に呼び出されたディーネは、衝撃の展開に息を詰めることになる。
ディーネは思わずパパ公爵に向かって声を荒げた。
「ハリムをエストーリオ様に引き渡したとは、どういうことなのでございますか!」
パパ公爵は剣幕にひるみ、胸元にあしらったフリルを落ち着きなく手でいじる。
「エストーリオ様は、ギーズが隠し持っていた会計学の本にご立腹でな……あれの著者は絶対に生かしてはおけぬとおっしゃったのだよ」
「あれの著者はハリムではありませんわ!」
ディーネの講義内容をまとめたものなのだから、著者はディーネだ。
「そのようだが、ハリムは頑として著者の名を明かさなかったのだよ。エストーリオ様への恭順のくちづけにも応じなかった」
「当然でございましょう、ハリムはそもそもメイシュア教徒ではありませんもの!」
非メイシュア教徒のハリムが他宗教の司祭に従ういわれはない。
「しかしな、どうにもエストーリオ様は、そなたが著者だと確信しておる節があったのだよ……事情を知らぬ私もすぐに気づいたぐらいだ、ハリムも気づいておったに違いない。あやつはそなたをかばい立てして黙秘を貫き――拘束された」
「お父様はそれをおめおめとお見過ごしになったというわけでございますか?」
「……仕方がなかろう、わが娘よ。そなたを引き渡すことだけは考えられぬのだ」
パパ公爵の言うことももっともだと感じたので、不承不承ながらも追及は切り上げる。
「……ハリムはこれからどうなるんですの?」
「可哀想だが、そなたの罪状を被ってもらうしかなかろう」
身代わり。まるで汚職の罪を秘書にかぶせる悪徳政治家のようだ。
「いかなる罪でハリムを裁くのでございますか? 異教徒の彼を他宗教徒の流儀で裁けば、彼のところの神殿も黙ってはいないでしょうに……」
そもそも異端者とは、メイシュア教の間違った教えを信じている人のことだ。異教徒は関係ない。
「それはわが領がどれほどの献金を教会や神殿に積むかにもかかってくるだろう。私もなんとか手を回してみるが、教会にとっては数百万単位の徴税にかかわることだ。そう簡単に教会がハリムと、その裏のわが公爵家を許すとも思えん」
「……そう。エストーリオ様の目的は、わたくしたちの徴税をやめさせることだとお父様もお考えなのですわね?」
「おそらくはな」
さて、どうするべきかとディーネが思案する間に、パパ公爵はおもむろにつぶやいた。
「……戦争するしかなさそうだ」
ディーネはうなじの毛が逆立つのを感じた。
「お、お待ちくださいませ! 短絡的すぎます!」
「しかし、開戦の理由は整っておる。やつらは異教徒を不当に拘束し、いとしのわが娘に手を出そうとし、あまつさえ帝国とバームベルク双方の徴税命令に逆らおうとしておるのだ。適当な難癖をつけて蹂躙するチャンス――」
「蹂躙はおやめくださいまし!!」
「なに、心配することはないぞわが娘よ。わがバームベルクの軍は世界一だ」
――だめだこの人! 行動コマンドが『たたかう』しかない!
さすがは軍事力極振りプレイのバームベルク。ごちゃごちゃ言われたら叩きつぶす。恐怖政治もここまでくるとすがすがしい。これもまた政治の正道……なのだろうか。若輩者のディーネには分からない。
「エストーリオ様だって、きっと話せば分かってくださいますわ!」
「しかし、どうするのだ、わが娘よ。ハリムを引き渡したことによって、この件はすでに片付いておる。徴税をやめるという手はないだろう。かわいそうだが、ハリムは犠牲になったのだ――」
「お父様! おふざけにならないでくださいまし!」
夜空の星になったみたいな言い方はやめてほしかった。
「ではどうする。やはり難癖をつけて戦争――」
「ヤクザか! もう少し穏便な方法はありませんの!?」
「贈り物を惜しまず行って、懐柔を狙うか? しかし、エストーリオ様は私腹を肥やして満足する方ではなかろう。それと娘よ、ヤクザとはなんのことだ?」
「忘れてくださいまし。口がすべりましたわ」
大司教主エストーリオの政策は高潔のひと言に尽きる。民のため、迷える子羊のため、手を尽くして炊き出しをし、施療院を増設し、罪の贖いをする機会を積極的に呼びかけている。彼の生家がある教会のお膝元でも、みなが口を揃えて彼を敬虔な人物だという。
「……エストーリオ様は、増税が不当なものだとお考えなのですわよね? 法的な根拠があって、一度は合意した――せざるを得ない内容だった、と理解していてもなお、感情的に許せない措置だったと」
「うむ。義勇なのであろうが、バームベルクに楯突くとはいささか軽率ではある」
「それならば、納得していただけるように誠意をつくして説得するのが筋なのではございませんか?」
話し合って分かり合えるのなら、それに越したことはないとディーネは思う。
「やはり、わたくしは一度エストーリオ様にお会いしとう存じます」
「しかし、あの指輪は厄介だ。万が一かわいいお前が拘束されるようなことになれば、私は動揺のあまり戦争を起こすだろう」
「おやめくださいまし」
真実を見抜く指輪は教会の高位聖職者だけに許されたマジックアイテムだ。過去、異端者の追及に何度となく利用されてきた。
ただし、万能の品というわけではない。それが人の手で作られたものである限り、制限も制約も存在する。
エストーリオの能力も万能ではない。彼にできることは、その場で考えていることを当てることだけだ。
「……うまく切り抜けますわ。ですからどうか、一度でいいので機会をくださいまし」
パパ公爵はしばらく渋い顔をしていたが、やがてきっぱりと言った。
「いいや、ならん。そなたにもしものことがあれば、私はジークライン様に顔向けができぬのだよ、分かっておくれ、私のいとしい娘」
ディーネは失望のあまりめまいがした。
「そんな……! あんまりでございます! お父様のいけず! 分からず屋! 艶男!」
「今のは少し悪意を感じたぞ、わが娘よ……」
ディーネは泣き真似をしながら部屋を去り、パパ公爵が追いかけてくる気配がないのを確かめてから、次の手を打つために執務用の離れに向かった。
ハリムのことは彼女が助け出すしかないと強く感じたのである。
 




