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ゼフィア大聖堂の大司教主


 ゼフィア地方の領地代官、ギーズは、壮麗な祭服を着た聖職者たちにとりまかれながら、冷や汗をかいていた。

 教主の座に座っている人物はまだ若いが、ひときわ豪奢な刺繍と宝飾入りのダルマティカを着ている。その彼が、ギーズに向かって冷ややかな声を出した。


「この本は、あなたの持ち物で相違ありませんね」


 彼の手には、先ごろ公爵令嬢が発行した会計学の本が握られていた。


「……はい、大司教主さま」


 大司教主は雪よりも輝かしい銀髪を傾けて、ため息をつく。清廉な印象の美貌は、きらびやかで厳粛な礼装ともあいまって、近寄りがたく侵しがたい雰囲気を醸し出している。


「では、神の御前で証明を」


 彼の差し出す右手には、特殊な魔法石由来の指輪が嵌まっていた。メイシュア教の高位聖職者が身に着けるこの指輪には、うそと本当を見分ける能力があると言われていて、告白した内容が真実であれば青い光を放ち、虚偽があれば暗緑色に染まるようにできている。


 ギーズは震えながらその右手の指輪にくちづけをした。

 指輪は青く光って、またもとの暗い青色の輝きを宿す鉱物に戻った。


「……あなたは、この本の内容が教義に抵触すると知っていて、所持していたのですね?」

「はい、教主様」


 今度も指輪は青く光った。

 ギーズは『死亡税』の件で彼に質問攻めを受け、何をどうしたものか、この本の所持を見抜かれてしまったのである。

 そのときになってようやく彼に関するうわさが本当であると思い知らされた。


 この若き大司教主は、ある能力に秀でているというのだ。


「では、神の御前において真実を告白しなさい。この本を発行したのは誰ですか?」

「……」


 ギーズには答えられない。教義に反する内容の本を出版する行為は危険なのだ。

 著者が異端者として火あぶりにされかねない。


 ましてその著者が女性で、高貴な身分だとするなら、大スキャンダルになるだろう。皇太子殿下の権威にも傷がつく。


 まさしくギーズは、絶体絶命の状態だった。


「……私には、すでにあなたの心の内が見えています」


 大司教主が温度を感じさせない冷ややかな声で言葉を続ける。


「しかし、告解の内容を打ち明けていいのは、神に対してのみ。ですから、あなた自身の口から説明してくださることが望ましいのです」

「エストーリオ様……」


 ギーズは慈悲にすがるような思いで彼の名前を口にした。しかし彼の表情は揺らがない。

 大司教主――エストーリオは、触れた相手の心を読む能力が誰よりも優れているという。


 ギーズ以外には公爵家の一部の人間しか知らないはずの本の存在を見抜き、取り上げてしまえたのも、この能力によるものと思われた。思い出しても震えが来るほどの鮮やかな誘導尋問で、あっという間にギーズは追いつめられたのだ。


「仕方がありませんね」


 エストーリオは銀糸が冴え冴えと輝く裳裾をひるがえして、立ち上がった。


「あなたに聞けないのであれば、ご本人に直接お尋ねいたしましょうか」


***


 公爵令嬢のディーネはパパ公爵に呼び出されて書斎に出頭した。


「ゼフィアの大司教主さまが領都バームベルクにお見えになるらしい」

「まあ……エストーリオ様が」


 クラッセン嬢にとっては旧知の間柄だった。エストーリオは現教皇の甥で、クラッセン嬢と同じくベルナールに師事しており、一緒に授業を受けたこともある。


 何よりも、とてもきれいな人だったことを覚えている。


「……お父様、エストーリオ様は何をしにいらっしゃるのですか?」

「表向きは公式の祭事だということだが、非公式にわが公爵家と交渉がしたいと言っておる。死亡税についてということだが、わが娘よ、これはどういうことだ?」

「それは……」


 先ごろ片づけた秘密庫の書類をもとに、教会に徴税したのだと説明すると、パパ公爵は目を閉じて吟味しはじめた。かなり長く待たされてから、ディーネは不安になって声をあげる。


「……お父様? 寝てませんわよね?」

「はっ。いかん。事態が込み入っていて、意識が落ちかけた」

「お父様……」


 どれだけ書類仕事が苦手なのだとディーネは落胆した。家令のハリムの苦労がしのばれる。


「死亡税についてでしたら、すでに帝国の徴税官長さまにとりなしていただいて、円満な合意に至りましたのよ。何か言われても徴税官長さまにお任せをしていると押し通していただければ結構でございます」

「そうか。しかしわが娘よ、エストーリオ様はそなたを交渉の席の相手に指名しておるのだが……なぜ、エストーリオ様はそなたが領地の経営を見ているということをご存じなのだろうな」


 ディーネは自分が領地経営していることをひた隠しにしている。外交やもてなしの場面ではこれまで通りパパ公爵に立ってもらい、貴族間のうわさになるようなことも避けていた。


「なにか嫌な胸騒ぎがする」


 パパ公爵の予感は当たり、しばらく前から連絡が取れなくなっていたゼフィアの領地代官が、エストーリオに逮捕されていたことが明らかになった。


 罪状は異端。


 ――暗雲が立ち込めていた。



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