研究員Aの休日
ガニメデは公爵家に間借りしている自室で、休日を寝て過ごしていた。
錬金術師のように、モテない・儲からない職の男が休日にすることなど何もない。せいぜい繁華街にでも行ってあたりをうろつくぐらいだが、あいにくとガニメデは酒や賭博にも特に興味がなかった。
唯一の楽しみといえば、経営者としてがんばっている公爵家のご令嬢が、ときどき恵んでくれるお菓子ぐらいのものだ。
昨日突発的にやってきたウィンディーネお嬢様は、全身からバニラの甘い香りをさせていた。思わず『おいしそうですね』と言うと、さっきまでお菓子を作っていたのだと言い、さらに申し訳なさそうな顔で『あれはジーク様のなの』と断りを入れてきた。
なるほどジークライン殿下は四帝国の覇者の末裔。彼ほどにもなるとかわいい婚約者が手作りのお菓子をせっせと作って差し入れてくれるんだからいいご身分である。ちょっとやさぐれていると、お嬢様は何を勘違いしたのか、飴のようなヌガーのような、変わったお菓子を持ってきた。『代わりにキャラメル作ったから食べて』と申し訳なさそうに言うその表情がまたかわいかったので、ガニメデはますますすさんだ。
お嬢様は根本的に勘違いをしているが、ガニメデは何もお菓子がほしかったのではない。
――おいしそうなのはあなたですよ。お嬢様。
バニラというのはなんでああもいい香りがするのだろう。目を見張るような美少女からふわふわと甘ったるいお菓子の香りがするのだからたまらない。思わず抱きよせたくなったが我慢した。
お嬢様は甘い匂いを振りまいている自分がガニメデにどう見られているのかなどまるで知らない様子であれこれ研究に指示をして帰っていった。もちろんガニメデのほうでもそんなことはまったく顔色に出さないように努力した。
実際にお嬢様をどうこうしたいわけではないのである。かわいい女の子が楽しくお話をしてくれるというだけでももうガニメデには十分なぐらいの楽しみなのだ。生活に潤いを与えてくれるお嬢様に感謝しこそすれ、無礼を働くなどとんでもない。
ベッドに寝転がり、もらったキャラメルをひとつ口に放り込んだ。甘ったるい味に、否応なくお嬢様のことを思い出してしまい、ごろりと寝返りを打つ。お嬢様はなんでまたこんなものをくれたのだろう。お嬢様のように身分のあるかわいい人ならば、その気もない相手に安易にプレゼントなどバラまくものじゃないと、周囲から教育されてきていそうなものなのに。相手の男が勘違いしてつけあがったら怖いとは思わないのだろうか。
――思わないんだろうなあ。
お嬢様は、こちらが淡々と無害な会話をしている水面下で、よこしまなことを考えているなどとは夢にも思わないのだろう。口やかましくて偉そうな割に、お嬢様はこういうところが結構ヌケている。できれば永遠に気づかないままでいてもらいたい。
なんのかの言ってお恵みをくださるお嬢様は女神である。これからも無自覚にバラまきをしていただきたいところだ。あまりもののおすそ分けで幸せを感じるなど屈辱ではないのかと言われたらもうはっきり否と言える。皇太子殿下のおこぼれだろうがなんだろうがうれしいものはうれしい。
皇太子殿下といえば、チョコレートを試作したときのお嬢様もひどかった。
ゴロゴロと寝返りを打ちながら、つい先日のことも思い出す。
飲み物のショコラを塊にする、という発想は別にいい。ちょっと変わったお菓子を発明するお嬢様らしいアイデアだ。自分も面白いと思ったし、試作品もおいしかった。お店で出すケーキに使用するという目的も問題ない。
お嬢様は、何を思ったのか、それを皇太子殿下への手土産にしてしまったのである。
繰り返すがショコラの塊だ。カカオ豆はもともと『薬』だったのだ。
なんの薬か?
――滋養、強壮、そして『媚薬』である。
それがいつの間にか生クリームや砂糖、赤ワインなどを混ぜて飲む『ショコラ』となり、甘い飲料として貴族の間に流行した。
ワルキューレの帝国貴族はショコラをおもに閨への誘いに使っている、というのはガニメデでも知ってる話だ。
可憐な婚約者の少女からそんなもの手渡された日には、絶対に妙な誤解をするではないか。皇太子殿下もよく我慢したと思う。
しかしどうやらお嬢様はそこまで深く考えていなかったらしい。そのまま放っておいたらチョコレートをあちこちに配って歩いて、余計なトラブルを招きそうだったので、一応は意見を注進して、釘をさしておいた。
するとお嬢様がなんと言ったか。
――じゃあメガネくんも半分食べてよ。
こうである。
媚薬効果のあるチョコレートを人にあげたら変な誤解をされるからやめるようにとわざわざガニメデが注意した直後にこれだ。それはぜひ誤解してほしいということなのか……? 『私のことも食べて』というメッセージ……? もうわざとやっているのかと思った。例によって深くは考えていないようなので、ガニメデも深読みはしないことにしたが、これはさすがに動揺してしまった。仕方がないと思う、自分は絶対に悪くない。どう考えてもお嬢様が悪いが、でもそんな無防備なお嬢様が好きだ。
チョコレート。
お嬢様は食べてもなんともないと言い張っていたが、万が一何か起きたら今度こそガニメデの命が危なさそうだったので、いざわけあってお茶会、となると背徳感が半端なかった。何しろ媚薬である。婚約者の美しい少女と一緒に媚薬成分入りのお菓子を分け合う間男――皇太子殿下にしてみれば最低最悪のシチュエーションだ。もしも立場が逆で、お嬢様がガニメデの婚約者だったら嫌すぎて軽く死ねる自信がある。人徳に厚いといううわさの皇太子殿下でさえも怒り狂うレベルだ。想像したらドキドキしてきたガニメデとは対照的に、お嬢様はけろっとしていた。本当にダメな人だ。でもそこがまたかわいかったりするのである。
しかもお嬢様は給仕にやってきたセバスチャンにも気軽にお菓子を分け与えたりしていたので、それにも驚いた。お嬢様には無自覚にバラまきをしてほしいが、いざ他人にも同じような気軽さでお菓子をあげているのを見ると、やっぱり嫌だなと思ってしまう。
バラまくのは自分だけにしてほしいだなんて、言えた筋ではないのだが。
自分に文句を言う権利はなくても、皇太子殿下にはある。腹が立ったついでに皇太子殿下の名前を使ってお嬢様にちくちくと嫌味を言ってしまったが、あれはちょっと卑怯だった。堂々と自分が嫌だからやめてくれと言えばいいものを、婚約者が可哀想だなんて、何様なのだろう。分かっていても、あのときはどうしても言いたくて仕方なかった。
お嬢様のことになると調子が狂わされっぱなしだ。
ため息まじりに次のキャラメルに手を伸ばしかけて、やめた。イライラしながらキャラメルの瓶を見る。
そうだ。それもこれも全部こんなものをくれるお嬢様が悪い。もう少し常識でものを考えてほしい。いや、常識から言えば、使用人の立場のガニメデがお嬢様に対等な人間扱いを求めるほうがおかしいのか。それにしたって犬の子に餌をあげるんじゃないんだから、少しは家具の気持ちを考えてもらわなければ、いつかとんでもない過ちに発展してしまいそうだ。
捨ててしまおうかとも思ったが、やっぱりそんな勇気はなくて、瓶をそこらへんに飾った。
次は何をくれるのかなあと思うと、結構幸せだったりする。
そんな感じで休日を浪費した。




