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ハンスと荷車


 ハンスが初めて拝謁の機会を賜った公爵家の姫君は、天使のような人だった。村でも街でも、こんな人は見たことがない。とびきりの美少女に思わずぼけっと見とれていると、彼女はにこりとほほえんだ。


「ハンスさん? このたびは報奨金への申請どうもありがとう」

「へえ……」

「日記も拝見させてもらったわ。すごく丁寧に書かれているのね」

「それで、あっしは税金を払い忘れたりしませんでしたでしょうか……」

「……税金?」


 街で聞いた、『報奨金は釣りで、帳簿の提出をさせて税金を取る作戦だ』という話を披露すると、公姫さまはおかしそうに笑った。


「あはは、そんなうわさになっていたの。道理でなかなか申請者が来ないと思ったわ。なるほどね」

「……違うんですかい?」

「ええ、報奨金を出すのは本当よ。税金も、まあ、あんまりひどい場合は取り立てるけど、それが目的ではないの。というのもね、ハンスさん。あなたの日記を拝見して、気になったことがあるんだけど……」


 公姫さまは日記のとある行を指し示した。


「いつも村から小麦を十五袋買って、街に売って、また戻ってきて……ってしているわよね。収穫の時期にはこれを、何往復もなさってる。次の収穫物が採れる頃になってもまだ往復が終わっていないこともあるわね?」

「へえ……」

「これって、一度の運搬量が少ないからだと思うのだけれど……驢馬二匹で、荷車を引かせているのよね? 馬は使わないの?」

「へえ……しかし、馬に車を引かせても、積載量はそんなに変わりませんで……でしたら、餌代がかからんほうがいいと……」


 公姫さまはうなずいた。


「そう。じゃあ、積載量が、今よりもあがるとしたらどう?」


 ハンスは言われたことをよく考えてみた。


「……何往復もしなくて済むんで、助かりますなあ」

「餌代は今よりかかるかもしれないけど、運べる量が増えるなら、馬にも転換できそうかしら?」

「へえ……どのぐらい、運べるかにもよりますが」


 公姫さまは美しいお顔で、にんまりした。


***


 ハンスの目の前に連れてこられたのは、驢馬に似た大型の馬だった。

 くりんとした瞳が可愛らしい。


「この子はね、山地に強くて、粗食でも堪えてくれて、しかもすごく力持ちなのよ」


 公姫さまがやたらと誇らしげに言った。天使のようなお方なのに、態度は殿さまのようにとても堂々としている。これが貴族の姫君というものなのだろうか。


「見てて? すごいから」


 そう言って公姫さまは馬を荷車につないだ。一頭仕立ての馬車だ。

 その荷車に、研究員らしき人たちがどさどさと小麦の袋を積んでいく。


「十三……十四……十五袋。いつもハンスさんが運んでいらっしゃるのは十五袋だったわよね?」

「へえ……しかし、馬一頭じゃ、とても運べないかと……」

「いいから見てて。ほんとにすごいのよ」


 研究員たちはさらに袋を積みあげていった。二十袋になり、三十袋になる。


「ひ……姫さま。これ以上は……」

「大丈夫大丈夫」


 四十袋。五十袋。そんなに積みあげたって絶対に、ぴくりとも動かないに決まっている。なのに研究員たちはさらに袋を積んでいく。六十袋。七十袋。


 七十袋、きっちりと荷馬車に隙間なく詰め込んで、ようやく準備が整ったかのように、人が下がっていった。


「さあ、手綱を引いてみて、ハンスさん」


 動けるわけがない。そう思いながら、ハンスは手渡された綱を、おそるおそる引いてみた。

 温厚そうな馬がゆっくりと動き出す。ぎしり、と車体に負担がかかる。車輪が回転し――


 馬は七十袋の小麦を引きずって、ポクポクと歩き始めた。

 ハンスはびっくりしたなどというものではない。


「どうどう? すっごいでしょう?」


 やっぱり、なぜかやたらと誇らしげな公姫さま。


「秘密はこの手綱にあるのよ。牛車や驢馬車と同じ手綱を使うと、馬の首が絞まっちゃってあんまり荷物が運べないんだけど、専用のハーネスをつけてあげるとこれだけ重たい荷物も運べるようになるってわけ」

「はあ……すごいです」


 よく分からないながらもハンスが同意すると、公姫さまはまたしても誇らしげに言う。


「あなたへの報奨金は、これにしようと思うの。どう?」

「……この馬を、くださるのですか?」

「そうよ! 積み荷を買う資金もつけるから、商売に役立てて?」

「なんと、まあ……」


 馬は貴族の殿さまが飼うような、高級な生き物だ。手綱が特別製だというのなら、おそらくは荷馬車のほうも値が張るのだろう。そんなものをもらってしまっていいのだろうか。


「しかもね、この馬車にはまだまだ特典があるのよ!」


 そう宣言すると、公姫さまは荷馬車の前面にあるでっぱりにひょいっと飛び乗った。その位置から手綱を手繰り寄せ、馬にひと鞭くれる。


 すると馬は、公姫さまと荷物を載せた車を引いて、のんびりと歩き始めた。


「荷物と一緒に、人も乗れちゃうのよ! ね、行商にはすっごく便利でしょう?」


 なんと力強い馬なのだろう。

 これだけの荷物を積んで、なお人間を載せるだけの余力があるとは。


 確かにすごいとハンスは思った。しかし、なぜか公姫さまのほうがうれしそうなので、そちらに目を奪われてしまう。

 だんだん、可愛らしく感じてきた。


「そういうわけだから、次回の報告も楽しみにしているわ!」

「次回の……ですか?」

「そうよ! 使ってみてどうだったかを、また日記帳と一緒に提出してほしいの! それから、売上の一部を払ってもらうわ。小麦を七十袋売ったとしたら、そのうちの一袋分の売上を払ってほしいのよ。それが報奨金の条件。私の言っていること、分かるかしら?」


 ハンスはおずおずとうなずいた。


「へえ……そのくれえでしたら、構いませんが……」

「詳しくはまたあとでうちの商人のほうから説明させるわ。よかったわ、お互いとってもいい取引になったわね?」


 公姫さまが満足げに言うので、ハンスはやっぱりよく分からないながらも、ひとまずうなずいたのだった。


***


 実感は、ハンスが実際に行商をしてみてようやくでてきた。

 馬車に乗っての移動は本当に楽なのだ。馬の飼料に少しお金と場所を取られるが、大量の荷物が運べるのであまり気にならない。

 秋ごろ収穫された、大量のインゲン豆や葉物野菜を街に持ち込んでみると、いつもの五倍近くの収益になった。


 手に入れた銀貨を握りしめて、街の揚げドーナツ屋に行く。

 いつもは我慢してひとつだけにするところを、その日はみっつも買って食べてしまった。


 そうして贅沢をしても、まだまだたくさんのお金が手元にあった。


 ――今度こそ、粉を村に持ち帰ろう。


 もう、雨に粉がやられる心配もない。

 なにせ、荷馬車には幌がついているのだ。


 こうして起こったことのすべてを日記に書きとめて、最後にハンスは書き足した。


 ――天使のような公姫さまに、深い感謝を。


 後日、その書き込みを見て、当の本人がにっこりしたのは、また別のお話。


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