小さなトロフィー
「……機織り機がありさえすれば、ガチで産業革命が起こせるんだけどなあ……」
ディーネが未練がましく機織り職人のところに出入りして、ぱったんぱったんと布が織られていく過程を見学している最中。
記憶の隅に、何かしら引っかかるものがあった。
「……なーんか、世界史で、こういうの、やったような気がする……」
機織り機の仕組みは複雑だが、人が行う作業そのものは単純だ。たて糸を張り巡らせた二面の機械を作り、足踏みペダルで片方を持ち上げ、すき間によこ糸を通す。布の幅が広くなるとひとりではよこ糸を通しきれないので、子どもを補助に使ったりもする。時には色糸に変え、何度も何度もよこ糸を通していくと、複雑な模様の織物ができあがるのである。
機織り機に延々とよこ糸を通している職人や、手伝いの小さな子どもたちを見ているうちに、ようやく思い出した。
「……そうだ、飛び杼だ……!」
手作業で通すのは大変だから、よこ糸を通すためのシャトルにキャスターをつけて、シャッと走らせてしまうというのを考えた人がいたはずだ。
飛び杼の開発により、機織りの生産効率が数倍にもなったというのを、どこかでやった気がした。
「う、うなれ、私の記憶力……!」
あれはかなり単純な仕組みだったから、思い出せば再現はできるはずなのだ。
――こうして工業化の準備は着々と整いつつあった。
それからほどなくして、バームベルク公爵領内の小さな村の中に、世界初の毛織物工場が完成したのである。
公爵家の全面的なバックアップにより、毛織物で有名な村はまたたく間に生産力をあげ、織物の産出量が四倍、そして毛糸の産出量は千倍近くにもなった。
村に新設された毛織物の取引所には驚異的な安値の毛糸や毛織物を求める外地の商人が殺到。
「こんなに細くて頑丈な糸、ちょっとお目にかかったことがありませんね」
毛糸の品質を品定めしていた商人たちが口々に言う。人間の手の力では紡ぎだせない、細くて長い丈夫な糸は、工場製品だからこそ可能になったものだ。
「これだけ張力をかけてもまだ切れないなんて……」
「こんなに高品質の糸ならもっと出しますんで、うちに売ってください」
「いや、うちにもお願いします」
かくして毛糸はまたたく間に売り切れる事態となった。
「公姫様、本当にありがとうございます……!」
大量の金貨や銀貨で埋めつくされた取引所の職人たちが、口々にディーネにお礼を言いにやってくる。
「公姫様のおかげでございます……!」
「公姫様が取引所を作ってくださったおかげで、例年の二倍以上の金額で織物をさばくことができました……!」
「公姫様がお金を貸してくださったおかげで、原毛も大量に買い付けられて、糸もこんなにたくさん……!」
「『飛び杼』のおかげで、本当に機織りの時間が飛躍的に短くなって……!」
毛織物の取引価格があがったのは、布の生産効率が高くなったのもあるが、細くて丈夫な糸が作れるようになったおかげで、より細かな模様の織りだしができるようになったのが大きいそうだ。
さらに、今までは商品を村に通ってくる毛織物商人に卸していたため、販売価格は割安になっていたが、職人が自身の商品を直接売ることができる『取引所』を開設したおかげで、高くで買ってもらえるようになったらしかった。
自由競争のいい部分が理想的な形で発揮されたようである。
転送ゲートを設置しさえすればどこでも国際的な取引ができるのは、この世界のいいところだった。
「どうやら工場化は大成功みたいね。まずはおめでとうかしら」
ディーネがほっとしながら村人たちに向かってあいさつをしていると、紡毛工場の主、コーミングがやってきた。
「あら、今回の立役者さんのご登場よ。コーミングさんがあの仕組みを開発してくれなかったら絶対に実現できなかったし、お礼を言うのなら彼に言ってあげて」
「公姫様……! いえ、とんでもない……!」
コーミングはあわを食った。
「公姫様が援助をしてくださらなければ、こんなに大きな取引所は作れませんでしたし、織機や梳毛の工夫も、軍部の皆さまのご協力がなければとても生み出せなかったと思います。本当にありがとうございます」
他の村人たちも、口をそろえてお礼を言ってくる。
と、そのとき、小さな女の子がディーネに近寄ってきた。
周りで控えていた護衛の騎士たちがにわかに色めき立ち、女の子の前に立ちふさがろうとすると、彼女はびくっとして何かを取り落とした。
「ああ、いいのよ。きっと敵意はないわ」
騎士たちを下がらせて、ディーネは少女の落とし物を拾い上げた。お花でできた小さな輪飾りだった。ディーネがもっているものを指して、少女が言う。
「……あげる」
「これ? 私にくれるの?」
「お母さんが、もう機織りのお手伝いをしなくてもいいって。お姉さんのおかげだって言ってる。だから……」
ぶつぶつとつぶやく少女の姿はほほえましかった。
彼女が言いたいのは、機械化が進んだおかげで、今までは子どもにも手伝わせていた分の仕事をしなくてもよくなった、ということなのだろう。
コスモスとアヤメを編み込んだその花飾りを、ディーネは頭に乗せてみる。
少女はぽかんとしてディーネを見た。
「……どうかしら? 似合う?」
「お姉さん、すっごくきれい!」
そう言って、はしゃいだように笑う少女のほうがよほど可愛らしかった。つられてディーネも笑顔になる。
それからも村人たちが入れ代わり立ち代わりでディーネにお礼を言ってくれたが、少女からもらった花の輪飾りこそが、ディーネにはなによりもうれしいトロフィーだった。