第83話:講壇の対峙、あるいは美少年の拒絶
教育学部の講堂は、夕方の斜光が差し込んで異様な静けさに包まれていた。
講壇の前に立っているのは、四人の学生。
中心にいるのは、地味なカーディガン姿の高田翔子。
その両脇には、昨日アトリエで俺(宝塚)を問い詰めてきたエプロン姿の友人(女)と、さらにもう一組、見知らぬ男女の友人が立っていた。
どうやら翔子を擁護するための「証人」として集められたらしい。
俺は中学生の『山本秀』の姿のまま、保護者役である麻衣さんと並んで、ゆっくりと講壇のほうへ階段を降りていった。
俺たちの姿を認めた瞬間、俯いていた翔子の顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
「あっ……!」
一方で、翔子の背後に控えていた友人たちは、俺(秀)の顔を見るなり一斉にざわざわとどよめき始めた。
無理もない。
今の俺は、造形魔法で極限まで華奢に、そして『保護欲をそそる美少年』として完璧に作り上げられているのだから。
「えっ……嘘、めっちゃ可愛い……」
「あれが宝塚さんの弟? 兄弟揃って顔面偏差値どうなってんの……」
「……なんて美少年。あれなら、わたしだって監禁したくなりそう」
エプロン姿の友人が、うわ言のようにぼそっと呟いた。
その瞬間、隣に立っていた青年が「お前正気か?」と言わんばかりの、汚物を見るような目で彼女をドン引きして見ていた。
(おいおい、類は友を呼ぶのかよ。翔子の周りにはヤバい女しかいないのか?)
俺は内心でツッコミを入れながらも、怯えた中学生の演技を崩さず、麻衣さんの後ろに半分隠れるようにして立ち止まった。
最初に言葉を発したのは、翔子だった。
彼女は俺の顔を見るなり、周りの友人たちの目など完全に忘れたように、熱を帯びた瞳で一歩前へ踏出してきた。
「秀くん……あいたかったわ」
とろけるような、甘くねっとりとした声だった。
監禁した被害者に対する言葉とは到底思えない。その純粋すぎる狂気に、俺の背筋に冷たい汗が伝う。
だが、今日の俺には麻衣さんという強力な盾と、遠くの柱の陰で見守る『宝塚(松岡)』という完璧なアリバイがある。引くわけにはいかなかった。
俺は麻衣さんの背中から少しだけ顔を出し、冷たい声ではっきりと告げた。
「僕は、あいたくありませんでした」
「……えっ」
「あんなことをしておいて、あおうなんて……信じられません」
俺の真っ向からの拒絶に、翔子は弾かれたように足を止め、顔を青ざめさせた。
「ち、ちがうの! この前は、その……」
翔子が慌てて弁明しようと両手を前に出す。
「何が違うんですか!」
俺は声を張り上げた。
「翔子さんの防音の部屋で、僕の手足をスカーフとリボンでベッドに縛り付けて、無理やり口移しでフライドチキンを食べさせたじゃないですか! あれのどこが違うっていうんですか!」
講堂が、しんと静まり返った。
俺の口から飛び出したあまりにも生々しく、そして変態的な監禁のディテールに、後ろに控えていた翔子の友人たちの顔色が一気に変わった。
「えっ……翔子、手足縛ったの?」
「口移しって……相手、中学生だよね?」
「いやいや、流石にそれは……」
先ほどまで「翔子が無実だということを証明する!」と息巻いていた友人たちが、ドン引きしながら翔子からスッと一歩距離を置いた。
「ちがっ、みんな誤解よ! あれは、彼があまりにも美しいから、最高のポーズを固定してデッサンを描くために……! 口移しも、彼がお腹を空かせていたから……!」
翔子が必死に振り返って弁解するが、芸術家としての狂った理屈は、一般の大学生たちには「完全に一線を越えた変態の言い訳」にしか聞こえなかった。
「……なるほどね」
そこで、今まで黙って俺の肩を抱いていた麻衣さんが、ふっと冷たい声を出した。
大人の女の、圧倒的な圧力を伴った声だった。
「お話はだいたい見えました。……大学生にもなって、うちの可愛い秀くんに随分と乱暴な真似をしてくれたみたいね。お兄ちゃんの隆史くんは優しすぎるから事を荒立てたくないって言ってたけど、親戚の私としては、警察に行くべきか迷うレベルの話だわ」
「っ……!」
麻衣さんの大人の威圧感と「警察」という単語に、翔子の友人たちは完全に戦意を喪失し、気まずそうに目を泳がせた。
翔子自身も、圧倒的に不利な状況に言葉を失い、ギリギリと唇を噛み締めている。
(よし……! 勝った!)
俺は心の中でガッツポーズを握りしめた。
これで翔子の「無実」は完全に否定された。
宝塚隆史が翔子と別れるための「弟に手を出した」という大義名分が、公衆の面前で完璧に証明されたのだ。
――だが、俺が完全勝利を確信した、その時だった。
ズンッ、と。
同調呪いのパスを通じて、遠く離れた講堂の上の柱の陰に立っている松岡(宝塚の姿)からの「生理的な反応」が、ダイレクトに俺の体に流れ込んできた。
相手の具体的な心の声まではわからない。
だが、あいつの熱を帯びた視線の動きと、急激な心拍数の上昇、そして何より――下腹部へと一気に血が集まっていく、どうしようもない『緊張感』が、嫌でも俺に伝ってくる。
(あいつ……今、絶対エプロン姿の子の胸か、麻衣さんの大人の色気を見て、変な興奮の仕方してるだろ……!)
最悪なことに、松岡のその生々しい生理的反応が、そのまま俺(秀)の下半身にもリンクしてしまった。
「っ……!!」
俺はせっかくの勝利の余韻を台無しにされ、中学生の姿のまま、股間に集まる妙な熱と緊張をごまかすために、思わず「く」の字に前かがみになってしまった。
「あ、あら? 秀くん、どうしたの? お腹痛い?」
麻衣さんが心配そうに顔を覗き込んでくるが、まさか「身代わりの友人が遠くで興奮しているせいで、俺の下半身が暴走しそうなんです」などと言えるはずがない。
(松岡ァァァ! お前、こんなシリアスな修羅場の最中に何に反応してんだよ!!)
完全に孤立した翔子の目の前で、俺は顔を引きつらせながら、必死に松岡の煩悩からくる「下半身の緊張」に耐え続けるという、全く別の地獄を味わう羽目になった。




