第291話:お泊まり最後の朝と、残り半日の憂鬱
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、まぶたの裏をうっすらと明るく照らした。
遠くでチュンチュンとスズメの鳴く声が聞こえる。
「……ん」
ゆっくりと目を開けると、すぐ目の前に、気持ちよさそうにスースーと寝息を立てている凛の顔があった。
昨夜、腕枕をした体勢のまま、二人とも朝までぐっすりと眠ってしまったらしい。
俺の右腕は彼女の頭の下にあり、凛は両手で俺のパジャマの胸のあたりをぎゅっと掴んだまま、丸くなるようにして眠っている。
(……よく寝てるな)
俺が身じろぎをして少しだけ腕を動かすと、そのかすかな振動で凛も目を覚ました。
「んぅ……あさひくん、おはよぉ……」
「おはよう。よく眠れたか?」
「うん……すっごく、よく寝た……」
とろんとした寝ぼけ眼で俺を見上げ、えへへ、とだらしなく笑う。
普段学校で見せている『氷の令嬢』の面影など一ミリもない、完全に俺に心を許しきった無防備な顔だ。
「おい、頭の後ろ、寝癖すごいことになってるぞ」
「んー……? ほんとだ」
俺が空いている方の手で、ぴょこんと跳ねている彼女の髪を指で梳いて直してやると、凛はくすぐったそうに目を細め、さらに俺の胸へと顔をすり寄せてきた。
「……なぁ、そろそろ起きるか?」
「だめ。あと五分……」
「さっきも同じこと言って、すでに三十分経ってるんだけどな」
「今日は日曜日だもん……いいの」
そんな他愛のないやり取りを繰り返しながら、布団の中で温かい体温を分け合う。
結局、目が覚めてから完全にベッドを抜け出すまで、たっぷり一時間近くもかかってしまった。
ようやく布団から這い出し、二人で洗面台に並んで顔を洗う。
それから俺がキッチンに立ち、簡単な朝食の準備を始めた。
日曜の朝のメニューは、和食の定番。
グリルで香ばしく焼き上げた塩鮭に、甘めに味付けした卵焼き。そして、豆腐とわかめのお味噌汁だ。
「はぁ……朝陽くんのお味噌汁、朝の体にしみるぅ……」
食卓に向かい合い、お椀を両手で包み込みながら、凛がほぅっと幸せそうなため息をつく。
「昨日の夜、あんなに夜食食ったのにな」
「それはそれ、これはこれだよ。朝陽くんの卵焼きも、相変わらず甘くてすっごく美味しい」
綺麗に朝食を平らげた後、俺はエプロンを締め直して家事に取り掛かった。
すると、凛も自分のカバンから持参したらしいエプロンを取り出して、首から下げた。
「私も手伝う! 家事スキル、少しずつレベルアップさせないとね!」
そう意気込んで、俺が洗った食器を布巾で拭いてくれたり、洗濯機から出した洗濯物を二人で並んで畳んだりした。
一生懸命手伝ってくれる姿勢が純粋に嬉しかった。
(……なんだか、夫婦の休日みたいだな)
二人で並んで洗濯物を畳みながら、俺は内心でそんな小っ恥ずかしいことを考え、一人で密かに和んでいた。
家事がひと段落した後は、昨日の宣言通り、俺のパソコンを開いて動画編集ソフトを触ってみることにした。
「あ、朝陽くん! 今のところ、ちょっと間延びしてるから、テンポ良くカットしちゃお!」
「なるほどな。……こうか?」
「そうそう! で、ここで『ポンッ』って可愛い効果音を入れるの!」
パソコンのモニターの前に座る俺のすぐ隣に、椅子を持ってきてピタリとくっついて座る凛。
時折、画面を指差す彼女の肩が俺の腕に触れる。
プロのクリエイターである凛の視聴者目線の意見はとても的確で、二人でああだこうだと言い合いながら作業を進めるのは、想像以上に楽しかった。
あっという間に時間は過ぎ、時計の針はお昼の十二時を回った。
「よし、お昼ご飯にするか。今日は……オムライスでいいか?」
「わぁい! 朝陽くんのオムライス、大好き!」
キッチンに立ち、手早く鶏肉と玉ねぎを炒め、ケチャップライスを作る。
そして、フライパンにバターをたっぷりと溶かし、溶き卵を流し込んで絶妙な半熟のオムレツを作る。
お皿にこんもりと盛ったチキンライスの上に、そのプルプルのオムレツをそっと乗せる。
テーブルに運び、凛の目の前で、オムレツの真ん中にナイフでスッと切れ目を入れた。
「おおぉ……!」
凛から歓声が上がる。
切れ目から、とろとろの半熟卵がチキンライスを包み込むようにパタンと開いて広がった。バターと卵 の甘い匂いが湯気と共に立ち上る。
「はい、ケチャップ」
「ありがと! 私がハートマーク描いてあげるね!」
凛はケチャップのボトルを受け取ると、真剣な顔で自分のオムライスの上にハートを描こうとした。
しかし。
「あっ……! ぶちゅって出ちゃった!」
力の加減を間違えたらしく、ハートの右半分が妙に太く、いびつな形になってしまった。
「あーあ、せっかくのハートが……」
「ははっ、いいよ。手作り感があって。味は変わらないんだから、冷めないうちに食べよう」
「うぅ……次は絶対綺麗に描くからね」
少しだけむくれた顔のまま、スプーンでオムライスをすくって口に運ぶ。
途端に、いびつなハートマークの悔しさなんて忘れたように、凛の顔が「ふにゃっ」と幸せそうにとろけた。
「んん〜っ! 卵がふわっふわでとろとろ! チキンライスもしっかり味がついてて、すっごく美味しいっ!」
その笑顔を見ているだけで、俺も自分の作ったオムライスが何倍も美味しく感じられた。
「ごちそうさまでした!」
お昼ご飯を食べ終わり、二人で食後の麦茶を飲んでいた時だった。
ふと、リビングの壁掛け時計を見上げた凛が、急にぽつりと言った。
「……お泊まり、あと半日と夜しか残ってないね」
さっきまでの明るい笑顔から一転、少しだけ寂しそうな、しょんぼりとした顔になる。
「そうだな。明日の朝には学校だし」
「……うん。なんか、あっという間だったなぁ」
凛はグラスの水滴を指でなぞりながら、ぽつりとこぼした。
「せっかくのお泊まりだし……なんか、もっと特別な思い出、作りたいな」
そう言って、上目遣いでこちらを見てくる。
俺の部屋でゴロゴロして、一緒にご飯を食べて、映画を見て。
それだけでも十分に楽しくて幸せな時間だったが、彼女の言うこともわかる気がした。
「特別な思い出、か」
俺は少しだけ考えを巡らせ、そして一つの提案をした。
「……よし。じゃあ夜ご飯は、奥の棚にしまってある卓上コンロ出して、『しゃぶしゃぶ』にするか」
「しゃぶしゃぶ?」
「ああ。寒いし、鍋の周りで肉つつくのも特別感あっていいだろ。どうせなら、今から二人でスーパーに買い出し行こうぜ。おやつとか、好きな具材も選べばいい」
ただのスーパーへの買い出しだが、二人で夕飯のメニューを考えて買い物に行くという行為自体が、ちょっとしたイベントになると思ったのだ。
「スーパーに、二人で買い出し……っ」
俺の提案を聞いた瞬間、凛の表情がパッと明るくなった。
「行く! 私、スーパー行く!」
「ははっ、そんな大げさに喜ぶことかよ。じゃあ、着替えて準備するか」
「うんっ!」
残り少なくなったお泊まりの時間を、少しでも濃いものにするために。
俺たちはウキウキとした足取りで、外へ出かける準備を始めるのだった。
第291話、ありがとうございました!




