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隣のクラスの「氷の令嬢」が、隣の部屋で空腹のあまり倒れていた件。〜胃袋を掴まれた彼女が、俺の前でだけ「ふにゃふにゃ」になるまで〜  作者: 比津磁界
第2章

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第290話:約束と、腕枕でのひそひそ話

 「……はい、お待たせ。特製・深夜のあったか『にゅうめん』だ」

 「わぁっ……! すっごくいい匂い!」


 日付が変わろうかという深夜。

 結局、俺の「腹筋を割る」という決意は数秒で保留となり、二人でキッチンに立って手早く夜食を作った。


 白だしをベースにした優しいツユに、茹でたそうめんを投入。

 そこに溶き卵をふんわりと流し入れ、刻みネギを散らして、最後にごま油をほんの数滴だけ垂らす。

 胃に優しくて、芯から温まる即席メニューだ。


 「美味しい! 卵がふわふわで、お出汁が五臓六腑に染み渡るよぉ……」

 「大袈裟だな。でもまあ、冬の夜食はこういうのが一番美味いからな」


 フーフーと息を吹きかけながら、二人で向かい合ってにゅうめんをすする。

 深夜特有の、ちょっとした背徳感も手伝って、あっという間に二人ともどんぶりを空にしてしまった。


 「あー、美味しかった。ごちそうさまでした!」

 「お粗末さま。……そういや、明日は日曜日か」

 「うん。朝陽くん、何かやりたいことある?」


 空になったどんぶりを重ねながら尋ねると、俺は今日教えてもらったばかりの作業を思い浮かべた。


 「今日、翔さん達に教わった動画編集、せっかくだから明日ちょっと自分で触ってみたいんだよな。忘れないうちに感覚を掴んでおきたくて」

 「あ、それいいね! じゃあ私、朝陽くんの隣に座って、視聴者目線で『ここもっとこうして!』って口出しする係やる!」

 「ただの野次馬じゃねえか。まあ、凛が隣にいてくれた方が俺も楽しいけどさ」


 そんなふうに、明日の他愛のない予定を話し合う。

 明日もまた、隣に凜がいて、一緒に笑い合いながら同じ時間を過ごすのだ。

 それが当たり前のように約束されていることが、なんだかすごく嬉しかった。


 夜食の片付けを済ませ、俺たちは洗面台の前に並んで立った。


 「しゃかしゃかしゃか……」

 「しゃかしゃか……」


 洗面所の鏡の前。

 もこもこのルームウェアを着た凛と俺が並んで歯を磨いている。


 (……なんか、不思議だな)


 鏡に映る二人の姿を見つめながら、俺はふとそんなことを思った。

 昨日の夜――つまりお泊まり初日の歯磨きの時は、「これから凛と同じ部屋で寝るんだ」という事実に緊張しすぎていて、正直歯磨き粉の味すらわかっていなかった。

 とにかく無心で手を動かしていた記憶しかない。


 けれど、二日目ともなると、俺の心にも少しだけ余裕が生まれていた。

 洗面台に並んだ二つの歯ブラシ。

 鏡越しに目が合うと、歯ブラシをくわえたままの凛が「んふふ」と嬉しそうに目を細めてくる。

 俺もつられて、少しだけ口角を上げた。


 (……こうやって並んで歯を磨くのも、なんだか夫婦みたいで悪くないな)


 そんな小っ恥ずかしい思考が頭をよぎり、俺は誤魔化すようにペッと口をゆすいだ。


 「ぷはー、スッキリした。じゃあ朝陽くん、行こっか」


 口の周りをタオルで拭いた凛が、俺のパジャマの袖を引いて寝室へと向かう。


 俺の部屋の寝室には、いつも俺が使っているセミダブルのベッドが一つと、昨日俺が床に敷いた来客用の布団が敷きっぱなしになっている。


 寝室に入るなり、凛は迷うことなく一直線にセミダブルのベッドへと向かい、ぽすんとダイブした。

 そして、自分が寝転がったすぐ隣の、まだ誰もいない空きスペースを、手のひらで『ポンポン』と叩いた。


 「……ん?」

 「朝陽くん、今日はこっちね」


 俺の顔をジッと見つめながら、凛は有無を言わさない笑顔でそう告げた。

 それはもう、とてつもなく強い無言の圧力だった。


 「いや、俺はこっちの床の布団で……」

 「だーめ。昨日、私が一人でベッドに寝てたらどうなったか、覚えてないの?」


 (……ぐっ)


 痛いところを突かれた。

 昨日の夜、俺が床の布団で寝ようとした結果、結局凛が寂しがってベッドから降りてきて、俺の狭い布団の中に潜り込んでくるという事態になったのだ。

 あの時の方が、よっぽど密着度が高くて俺の理性がすり減った。


 「……はぁ。わかったよ、負けだ負け」


 俺は抵抗を諦め、小さくため息をつきながらベッドへと向かった。

 セミダブルサイズなので二人で寝てもそこまで窮屈ではないが、それでも寝返りを打てばすぐに体が触れ合う距離だ。

 俺が隣に転がって掛け布団を被ると、凛は「えへへ」と満足そうに笑って、俺の方へと体を向けて寝転がった。


 部屋の電気を消し、小さな豆電球の明かりだけにする。


 「おやすみ、凛」

 「うん。……あ、そうだ」


 目を閉じようとした俺に、凛がふと思い出したように声をかけてきた。

 薄暗い中、彼女の瞳が俺の顔をじーっと見つめている。

 なんだか、少しだけ小悪魔っぽい、いたずらな表情だ。


 「どうした?」

 「朝陽くん。この間、私の部屋で添い寝してくれた時に言ってたこと、覚えてる?」

 「……添い寝した時? 何か言ったっけ」


 俺が本気で思い出せずに首を傾げていると、凛は「もう、しょうがないなぁ」と小さく笑い、布団の中でモゾモゾと動いた。

 そして、俺の右腕を両手でスッと掴むと、そのまま引っ張って、自分の頭の下に滑り込ませたのだ。


 「……っ!?」


 俺の腕に、彼女の頭の柔らかな重みが乗る。


 「あ……」


 その感触で、俺の脳裏に忘れていた記憶がフラッシュバックした。

 いつだったか、『お泊まりする時があったら、腕枕してやる』と、俺が約束してしまっていたのだ。


 「……思い出したか、って顔してる」

 「お前……よくそんな前のこと覚えてたな……」

 「ふふん。朝陽くんとの約束だもん、忘れるわけないよ」


 勝ち誇ったように笑う凛の顔は、俺の顔からほんの少ししか離れていない。

 俺の腕に彼女の頭の柔らかな重みが乗り、布団の中にカモミールの香りがふわりと閉じ込められる。


 深夜の静寂の中、自然と二人の声は、布団に吸い込まれるような小さな声になっていた。


 「……ねえ、朝陽くん」

 「ん、なんだよ」


 凛は俺の胸のあたりに額をこつんと当て、少しだけ寂しそうな声を出した。


 「……明日、日曜日だね」

 「ああ。昼間は動画の編集だな」

 「うん。……でも、日曜日が終わったら、月曜日」


 当たり前のカレンダーの並びを口にしてから、凛は俺のパジャマの胸元あたりを指先で小さく摘んだ。


 「月曜日は学校だから……明日の夜には、私、自分のお部屋に帰らなきゃいけないんだよね」

 「そりゃそうだろ。ずっと俺のベッド占領する気かよ」

 「……なんだか、やだなぁって思って。自分の部屋に帰るの」


 しょんぼりとした声色に、俺は思わず小さく吹き出してしまった。


 「お前なぁ……帰るって言っても、壁一枚隔てた隣の部屋だぞ。それに、どうせ月曜の朝になったら、一緒に朝ご飯食べるんだろ」

 「わかってるけど……。でも、こうやって夜に一緒にお布団に入って、朝起きたら隣に朝陽くんがいるのは、お泊まりの時だけだもん」


 凛は摘んでいた俺のパジャマから手を伸ばし、俺のお腹のあたりにそっと腕を回してきた。

 しがみつくような小さな力が、彼女の「離れたくない」という気持ちを代弁しているようで、俺の胸の奥がじんわりと熱くなった。


 「……まあ、確かに。俺も……ちょっと寂しいかもな」

 「ほんと……?」

 「ああ。これだけ隣でスースー寝息立てられてたら、一人で寝る時、変に静かで落ち着かなくなりそうだ」


 俺が本音をこぼすと、凛はパッと顔を上げ、暗闇の中でもわかるくらい嬉しそうな笑顔を見せた。

 そして、さらに俺にくっつこうと、少しだけ体をすり寄せてきた。


 「……あっ」


 俺の胸元に耳のあたりが触れた瞬間、凛が小さく声を上げた。


 「ん? どうした」

 「朝陽くんの心臓の音、すっごく早い。……ドクドクいってる」


 俺の胸に頭を乗せているせいで、俺の緊張がダイレクトに伝わってしまったらしい。

 女の子と一つの布団で、しかも腕枕なんてしているのだから、心拍数が上がるのは健康な男子高校生として当然の生理現象なのだが、指摘されるとどうしようもなく恥ずかしい。


 「っ、ばか、あんま聞くな。……こんなにくっつかれてて、平常心でいられるわけないだろ」


 俺が少しだけそっぽを向いて照れ隠しをすると、凛は「えへへ」と嬉しそうに笑った。

 そして、俺のお腹に回していた手をスッと上に滑らせて、俺の空いている左手を取り、自分の胸元――鎖骨の少し下あたりへとそっと引き寄せた。


 「……凛?」

 「私の音も、聞いて。……朝陽くんと、同じくらい早いから」


 もこもことしたパジャマ越しに、俺の手のひらに伝わってくるトクトクという少し早めの鼓動。

 俺が抱いている緊張やドキドキを、彼女も同じように感じてくれているという事実が、言葉以上に真っ直ぐに伝わってきた。


 「……ほんとだ」

 「でしょ? えへへ……お揃いだね」


 お互いに照れているのがわかって、暗闇の中でどちらからともなく小さく笑い合った。

 窓の外はすっかり静まり返り、部屋の中には俺たち二人の穏やかな呼吸の音だけが響いている。


 「……おやすみ、朝陽くん」

 「ああ、おやすみ。また明日な」


 「また明日」という言葉が、こんなにも温かくて安心するものだったなんて。

 俺は腕の中の彼女をほんの少しだけ抱き寄せ、その心地よい鼓動のリズムを感じながら、ゆっくりと夜の深淵へと落ちていくのだった。

第290話、ありがとうございました!

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