第278話:抗議と、白米泥棒な豚の生姜焼き
食材を並べ、スマホ用の三脚をセットしながら、俺はふと隣でやる気満々に手持ちカメラ(スマホ)を構えている凛に声をかけた。
「なぁ、凛。今日の撮影なんだけどさ」
「うんっ、いつでもいけるよ!」
「いや、今日は俺一人で撮ってみようかなって」
俺がそう提案すると、凛はピタリと動きを止めた。
「凛もイラストの作業があるだろ? 俺の動画に毎回付き合わせて時間を奪っちゃうのも悪いし……今日は三脚の固定カメラだけで、俺一人でやってみようと思うんだ」
彼女に負担をかけたくない。俺なりの気遣いだったのだが――。
「…………私、クビ?」
「えっ?」
振り返ると、凛はスマホを胸に抱きしめ、あからさまにしょんぼりとした顔で俺を下から見上げていた。
その目は少し潤んでいて、まるで飼い主に置いていかれそうになっている子犬のようだ。
「『A&Rキッチン』は……二人で一緒に作るチャンネルなのに。私、邪魔だった……?」
「ち、違う! そういう意味じゃなくて! 凛の負担にならないようにって思っただけで――」
「負担じゃないもん。私、朝陽くんの料理してるとこ撮るの、すっごく楽しいのに……」
(――っ! だから、そんな潤んだ上目遣いで見るのは反則だってば!)
学校の連中がこの『氷の令嬢』の姿を見たら、ギャップで腰を抜かすに違いない。
俺の前でだけ見せる、この無防備で甘えた表情に、俺が抗えるはずもなかった。
「……ごめん。俺が間違ってた。やっぱり今日も、専属カメラマンにお願いしてもいいか?」
「はいっ! お任せください!」
俺が頭を下げると、凛はパァッと花が咲いたような見事な笑顔になり、嬉しそうにカメラを構え直した。
「はい、どうも。A&Rキッチンです。今日はガッツリ飯の定番、『豚の生姜焼き』を作っていきたいと思います」
録画ボタンを押し、俺は調理をスタートした。
まずは昨日スーパーで買った『カット済みの千切りキャベツ』をカメラに見せる。
「今回は時短テクニックとして、スーパーのカット野菜を使います。これなら千切りが苦手な人でも、洗う手間も省けて一石二鳥です。お皿にたっぷり盛り付けておきましょう」
次に、豚ロース肉に薄く小麦粉をはたく。
「こうすることで、お肉が硬くなるのを防いで、タレがしっかり絡むようになります」
フライパンに油を引き、豚肉を並べていく。
『ジューーーッ!』という小気味いい音が響く。
豚肉の脂が溶け出し、こんがりと美味しそうな焼き色がついてきた。
カメラマンの凛は無言の行を貫きながらも、スマホを肉のギリギリまで寄せて、完璧なシズル感を撮ってくれている。
「お肉の両面が焼けたら、合わせておいた特製ダレを一気に流し込みます。タレは、すりおろした生姜、醤油、酒、みりん、砂糖です」
フライパンにタレを入れた瞬間。
『ジュワァァァーーーッ!!』という激しい音と共に、醤油と砂糖が焦げる、強烈に食欲を刺激する匂いがキッチンに爆発した。
そこに生姜の爽やかな香りが混ざり合い、これぞ白米泥棒といった暴力的な匂いになる。
「(……っ、ごくり)」
真横でカメラを構える凛から、生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。
タレが少しとろみを持つまで煮詰め、豚肉にしっかりと絡ませる。
照り照りに光るお肉を、先ほど用意した千切りキャベツの山に立てかけるように盛り付ける。
最後に、キャベツの脇にマヨネーズを少しだけ添えれば。
「完成です。A&Rキッチンでした」
録画停止ボタンを押した瞬間。
「あぁぁ〜っ! もう限界! 匂いが反則すぎるよぉ!」
凛がスマホをテーブルに置き、泣きそうな顔で生姜焼きを見つめた。
「「いただきます!」」
向かい合って手を合わせ、いざ実食。
凛は真っ先に豚肉を一枚箸で持ち上げると、それをほかほかの白米の上にワンバウンドさせた。そして、ご飯と一緒にお肉をパクリと口に運ぶ。
「おいしっ……!」
もきゅもきゅと頬張る彼女の顔が、みるみるうちに「ふにゃっ」ととろけていく。
「美味しいっ! お肉が柔らかくて、生姜の効いた甘辛いタレがすっごくご飯に合う! ご飯がどんどん消えていく魔法だよこれ……!」
「キャベツも一緒に食べてみろ。マヨネーズと生姜ダレが混ざると、また格別だぞ」
「う、うん……! ――んふぅ、ほんとだぁ、最高……」
幸せそうにご飯をかきこむ彼女の姿を見ていると、俺の胸の中まで温かいもので満たされていく。
(やっぱり、凛と一緒に作ってよかったな)と、俺は自分の生姜焼きを噛み締めながら心からそう思った。
食後。
それぞれ自分の部屋に戻ってお風呂に入り、一息ついた頃、パジャマ姿の凛が俺の部屋にやってきた。
ほんのりとお風呂上がりのシャンプーの甘い香りが漂う。
俺たちはソファに並んで座り、さっき撮ったばかりの生姜焼きの動画をスマホで見返していた。
「……うん、美味しそうに撮れてるね」
「ああ。肉が焼ける時の寄りの画角とか見やすくていいな。凛のカメラワークのおかげだな」
「えへへ……。私、カメラマンの才能あるかも」
肩が触れ合うくらいの距離で、他愛のない会話を交わす。
ふと、凛がスマホから顔を上げ、少し照れくさそうに微笑んだ。
「……週末、楽しみだね」
その言葉だけで、お互いが何を言いたいのか痛いほど伝わってくる。
「……ああ。そうだな」
俺はそっと手を伸ばし、まだ少し湿り気を帯びた彼女の髪を優しく撫でた。
目を細めて俺の手のひらにすり寄ってくる彼女は、本当に可愛くて、愛おしい。
「おやすみ、凛」
「うん。おやすみなさい、朝陽くん」
週末のお泊まりという大きな楽しみを胸に抱きながら、俺たちは甘く穏やかな空気の中で、それぞれの眠りについたのだった。
第278話、ありがとうございました!




