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隣のクラスの「氷の令嬢」が、隣の部屋で空腹のあまり倒れていた件。〜胃袋を掴まれた彼女が、俺の前でだけ「ふにゃふにゃ」になるまで〜  作者: 比津磁界
第2章

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第122話:光と、ただいまの場所。

聖地巡礼旅行、最終日。

スイートルームで迎えた、少し照れくさい朝。

朝陽くんの心は、昨夜の凛ちゃんの言葉ですっかり晴れ渡っていました。

二人は今日、凛ちゃんが行き詰まっていた「あのシーン」の答えを探しに、再び街へと繰り出します。

特別な場所で、特別な人と過ごす、終わらない夏休みの記録。

カーテンの隙間から差し込む朝の光が、部屋の空気を白く染めていた。

ふと意識が浮上し、俺は自分がどこにいるのかを思い出す。駅前の老舗ホテルのスイートルーム。そして、すぐ隣のベッドには、規則正しい寝息を立てる凛がいる。


この部屋のツインベッドは、間に小さなサイドテーブルが挟まれているだけの、かなり距離が近い配置だった。手を伸ばせば、彼女の温もりに触れてしまいそうなほど。その「近さ」が、昨夜の俺をどれだけ落ち着かせてくれたか。


「……んぅ……あさひくぅん、おはよ……」


隣から、まだ夢の中にいるような掠れた声が聞こえた。

見れば、凛が寝返りを打ちながら、ベッドの端までゴロゴロと転がってきている。シーツが擦れる音と共に、彼女の体が二つのベッドのわずかな隙間を埋めるように迫ってきた。


「……おい、凛。起きろ。あと十センチで衝突だぞ」


俺が低い声で呼びかけると、凛は「ひゃいっ!?」と肩を跳ねさせて目を見開いた。

彼女の顔が、俺の目と鼻の先にある。寝起きの潤んだ瞳、少し乱れた髪。そして、パジャマの襟元から漂う、眠気を帯びた温かな匂い。


「あ……えっと、おはよう、朝陽くん。……びっくりした」

「……おはよう。寝相が悪いのは承知の上だが、今日は危うく合流するところだったぞ」

「うぅ、ごめん……。なんか、こっちから安心する匂いがした気がして、つい……」


凛が顔を真っ赤にして、慌てて自分の布団を被る。

そんな無意識の、けれど真っ直ぐな言葉に、俺の心臓もまた、朝一番の不整脈を起こしたかのように跳ね上がった。

「……支度しようか。朝飯、バイキングだろ」

俺は平静を装い、逃げるようにバスルームへと向かった。


身支度を整え、二階のレストランへ向かう。

昨夜のしっとりとした雰囲気とは一転し、朝の光が燦々と降り注ぐフロアには、焼き立てのパンの香ばしい匂いが満ちていた。


「わぁ、すごい! 朝陽くん見て、オムレツ目の前で焼いてくれるよ! 具、全部入れにしちゃおうかな」

「……欲張るなよ。凛、サラダもちゃんと取れ。昨日の疲れを抜くにはビタミンが大事だぞ」

「分かってるってば。……あ、あの自家製のジャム美味しそう。朝陽くん、これスコーンに合うかな?」


それぞれ好きなものを皿に盛り、窓際の席に座る。

バイキングという賑やかな空間なのに、不思議と二人だけの穏やかな時間が流れていた。

「……凛、よく眠れたみたいだな」

「うん。……多分、昨日の夜、朝陽くんとマッサージし合ったからかな。」


凛がオレンジジュースを一口飲み、満足げに微笑む。

その笑顔を見て、俺は改めて、この旅行に来て良かったと思った。

昨日、あの丘で過去の記憶に触れた時はどうなることかと思ったが、彼女の存在が、今の俺をしっかりとこの場所に繋ぎ止めてくれている。


チェックアウトを済ませ、重いボストンバッグを再び駅のコインロッカーへと預ける。

「よし、身軽になったね。……最後、もう一度あの丘に行ってもいい?」

凛の要望に応え、俺たちは再び、昨日と同じ高台へと向かった。


今日は昨日よりも空が青く、風に秋の気配が混じっているような気がした。

坂道を登りながら、凛が一眼レフを手に、街の景色を愛おしそうに眺める。


「ねぇ朝陽くん。この街、空気がすごくキラキラしてるね。……朝陽くんのご飯がいつも温かい理由、なんとなく分かった気がする」

「……そうか?」

「うん。この海の色とか、坂道から見える屋根の重なり方とか。……きっと朝陽くんの『優しさ』のベースには、こういう綺麗な景色があるんだよ。私はそう思うな」


凛の言葉は、俺の過去を掘り起こすようなものではなく、ただ「今の俺」を形作っているものを全肯定してくれるような、温かな響きを持っていた。


「……そう見えるなら、案内した甲斐があったよ」

「でしょ? 昨日はちょっとびっくりしたこともあったけど、今日こうして二人で歩いてると、本当にここに来て良かったなって思う。……私の絵も、絶対良くなるよ」

「……ああ。期待してるぞ、凛」


そんな他愛もない、けれど確かな信頼を感じる会話を交わしながら、俺たちは頂上へとたどり着いた。


凛がスケッチブックを広げる。

一眼レフを覗き込み、何度もシャッターを切る。

昨日、水城葵と出会ったあの場所。けれど、今の凛の瞳に映っているのは、過去のしがらみではなく、これから描くべき「物語の光」だった。


「……分かったよ、朝陽くん!」


一時間ほど経った頃、凛が弾んだ声を上げた。

「この反射だよ。海の色が、建物の影に溶け込んで、夕暮れ直前にだけ放つ、宝石みたいな青。……これが、描きたかったんだ。資料写真じゃ絶対に出せない、本物の光」


凛が見せてくれたスケッチには、確かにこの街の「空気」が宿っていた。

俺が子供の頃から見てきた、けれど一度も「宝石」だとは思わなかった、ただの海の照り返し。

それが彼女の魔法を通せば、誰かの心を救う景色に変わる。

「……いい絵だな。……最高の取材になったな、凛」

「えへへ、ありがとう。……朝陽くんが、隣にいてくれたからだよ」


凛が満足げにスケッチブックを閉じ、俺の顔を見て笑う。

その瞬間、俺はこの旅の目的がすべて果たされたことを確信した。


お昼過ぎ。俺たちは名残惜しさを感じながらも、駅へと戻った。

「外で食べていくか?」と聞いたが、凛は「最後に、ここの駅弁が食べたい!」と言った。


駅の売店で、地元の名産が詰まった「幕の内弁当」を二種類買う。

帰りの電車は、行きのような殺人的な混雑はなかった。ボックス席に並んで座り、揺られる車内で弁当を広げる。


「見て朝陽くん、この厚焼き玉子、ちょっと甘くて美味しい。……あ、お魚の南蛮漬けも入ってる」

「……そっちは魚のそぼろか。こっちのご飯と合うぞ」

「あ、本当だ! ……半分っこしよ? ほら、あーん」


流石に「あーん」は恥ずかしくて断ったが、おかずをシェアしながら、スマホで撮った写真を見返す。

隣の県から、自分たちの住む街へ。

窓の外の景色が、少しずつ見慣れた都会の色へと変わっていく。

けれど、旅に出る前と今とでは、二人の間の空気感は、もっと密接で、かけがえのないものに変わっていた。


「……なんだか、不思議だね」

凛が窓の外を見つめながら呟く。

「たった一泊二日だったのに、すごく遠くまで来た気がする。……朝陽くんのことが、昨日よりもっと近くに感じられるんだ」


その言葉に、俺はただ小さく頷いた。

サポーターとクライアント。その境界線は、もうとっくに、二人の足並みによって消し去られていた。


午後四時。

見慣れた駅の改札を抜け、商店街を歩く。

夕立を予感させるような湿った風が、アスファルトの熱を奪っていく。

いつものアパートの階段を上り、玄関の扉の前に立つ。


「……鍵、持ってる?」

「ああ。……今開ける」


カチャリ、と鍵が回る乾いた音。

扉を開け、一歩中へ踏み出すと、そこには少しだけこもった空気と、十日間過ごした「俺たちの日常」の匂いがあった。


「……ただいま」

「……ただいま、朝陽くん」


二人の声が重なった。

誰かが出迎えてくれるわけではない。けれど、二人で一緒に帰ってこられた。

その事実だけで、この少し狭いアパートが、世界で一番落ち着く場所に感じられた。


旅は終わった。

けれど、俺たちの物語は、ここからまた新しいページをめくっていく。

明日からの日常が、昨日までよりもずっと、大切で愛おしいものになると確信しながら。

第122話、ありがとうございました!

聖地巡礼旅行、これにて無事に帰宅です。

朝の距離感の近さ、取材中の穏やかな語らい、そして駅弁を分け合う電車の旅……。

朝陽くんの過去を掘り下げるのではなく、今の彼が持つ「優しさ」を街の景色と重ねて肯定する凛ちゃんの姿に、二人の成熟した絆を感じました。

「ただいま」と同時に言える関係。それはもう、何物にも代えがたい「居場所」の完成ですね。

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