23-九条みつきは踏み込まない
土曜日の昼過ぎ。
居間のテーブルでノートを広げながら、私はペンをくるくる回していた。
数学の問題集が広がっていて、ここまで復習がてらに解いてきたが、正直ちょっと飽きてきた。
気もそぞろになってきて、考えがまとまらない。
「雪斗くん、この式ってさ。途中までは分かるんだけど、ここから急に意味分かんなくなるんだけど」
隣に座って、なぜかお姉ちゃんに数学を教えていた雪斗くんにノートを差し出す。
雪斗くんは横から覗き込んで、さらっと言った。
「ここ、式が変形してるだけだから、こっちをこう」
「え、そんな簡単?」
「簡単じゃないけど……」
「どっち」
「慣れだよ」
いつものテンションに、私は思わず笑ってしまう。
「雪斗くんってさ、普通に頭いいよね。最初は一人しかいない男子って聞いて、どうなんだろうって思ってたんだけど」
「どういう意味だよ」
そんな話をしていたとき、玄関の戸が開く音がして聞き覚えのある声が聞こえた。
「おじゃまします」
ひなたの声だ。
私は振り向き廊下へ視線を向けると、トートバッグを持ったひなたがやってきた。
「あ、ひなた。いらっしゃい」
「うん」
ひなたが居間に入ってきてすぐに雪斗くんに視線を向けた。
「おはよう」
「もう昼だぞ」
「そうだけど、もう……」
ひなたが少し笑った。
……あれ?
私はちょっとだけ首を傾げた。
なんだろうか。
別に変なことは何もない、ただのいつもの会話。
だけど、何かが違う気がした。
ひなたはテーブルに座って、私のノートを覗き込んできた。
「進んでる?」
「いま雪斗くんに教えてもらってたんだけど、難しい」
「そうなんだ……ねえ雪斗」
「ん?」
「私もさ、この前教えてくれたやつもう一回教えて欲しいな」
「どこ」
「ここ」
ひなたが雪斗の方へ身を乗り出した。
……近い。
肩が触れそうなくらいの距離……この場合、前髪がふれそうな距離だろうか。
私もお姉ちゃんも、それこそひなただって普段からこういう距離になることはある。
あるのだが、どう言い表せば良いのだろうか。いつもと同じなんだけどいつもと違う距離感を感じる。
雪斗くんは普通に説明しはじめるが、ひなたはノートではなくちらちらと雪斗くんの顔を見てる。
私はその様子を見ながら、少しだけ笑った。
「そういえばひなた、今日来るって言ってたっけ?」
「うん、昨日雪斗に言った」
ひなたは普通に答えたが、私は雪斗くんを見た。
「昨日?」
雪斗くんが、ちょっと曖昧に返すしてきた。
珍しく少し有耶無耶にしようとした返事だった。
……あー。
なるほど。
うん、なんとなく分かった。分かってしまった。
ソファに移って本を広げた姉ちゃんも顔を上げたので、視線を向ける。
結構完璧に視線で会話が成立したと思う。
私は小さく笑いながら、ノートを閉じ二人を観察することにした。その方が面白そうだった。
「雪斗、ちょっと近い」
「近づいたのそっちだろ」
「そうだっけ」
いつものクールな台詞なのに表情は全く違い心の底から微笑んでいる様子だ。
昨日までのひなたと、ちょっと違い、距離が近くて余裕のある表情だ。
だが、それを雪斗くんは特に気にしてない。
ほぼ確定だろうと思い、私は小さくつぶやいた。
「……へぇ〜?」
「みつき」
お姉ちゃんが名前だけで踏み込むなと注意してきたが、私は笑う。
「いや、ねぇ?」
小さく肩をすくめると、お姉ちゃんはやれやれと小さく息を吐いた。
もう一度二人を見ると、ひなたがノートを覗き込んで、肩を寄せていた。
雪斗くんは普通に説明している。
……うん。
(これが、一線を超えた仲ってやつなのかなー)
でも。
別に嫌じゃなく、むしろちょっと安心した。
ひなたが嬉しそうで、収まる形に収まったというか、コマが一つ進んだというか。
私はまたノートを開いた。
「雪斗くん」
「ん?」
「私も教えて?」
「どこ?」
私はページを指さすと、その横でひなたがまた少しだけ雪斗くんに身体を寄せていた。




