12-お風呂上がりの事故
家に着くと予定より遅い時間だった。流石に今日は忙しかったなと思いながら玄関を抜ける。
居間は電気だけがついており、すでに誰もおらずテーブルの上にラップされた皿が置いてあった。
晩ごはんらしく、横にメモがあった
『温めて食べてください』
少なくとも母の字ではない。
みつきの字かなと考えながら、電子レンジに皿を入れ、肉じゃがを温め少し遅い晩御飯を済ませた。
皿を流しに置き軽く水で流してから、居間を見回す。
久しぶりに静かだ。
離れのどこかで小さく物音はするが、この部屋には誰もいない。
時計を見ると、22時を少し回ったくらいだった。
廊下を歩いて、風呂場へと向かう。
誰か入っていたら大変なのでドアの前で声だけかける。
「入るぞー」
中からの返事は聞こえず、誰もいないのだろうとそのままドアを開けた。
その瞬間、目の前で人が動いた。
「……っ」
かぐやだった。
風呂から上がったばかりらしく、髪は濡れていて、肩にタオルをかけていた。
ちょうど着替えようとしている最中だったらしく、俺を視界に収めた瞬間、かぐやの動きが止まり目を大きく見開いた。
その瞬間、慌ててタオルを胸元に引き寄せるのと同時に俺はドアを閉めた。
「すまん」
廊下側から声を掛けるが脱衣所の中からは、ばたばたと音がする。
「ちょ、ちょっと待って!」
そして、いつもの落ち着いた声とは真逆のテンションの声が掛かる。
タオルの擦れる音に、慌てて何かを落としたような音まで聞こえた。
「い、今……!」
言葉が途中で止まり、少ししてまた声がする。
「……ちょっと待ってて」
それから、数秒ほど待つとドアが少し開いた。
ちらりと見ると、かぐやはまだ濡れている髪をタオルで抑えながら出てきたが、パジャマのボタンをかけ違えていた。
ボタンの隙間から胸元が見え、慌てて視線を逸らした。
かぐやの視線はこっちを向いていたが、目が合うとすぐに横へ逸れた。
「……ノックくらいしなさい」
「すまん、一応声かけたぞ」
「聞こえなかったの」
かぐやはそう言いながら、まだタオルを離さない。
頬から耳まで赤い。
明らかに落ち着いておらず視線がキョロキョロと定まらない。
俺が何も言わず立っていると、かぐやがちらっとこちらを見てはすぐにまた目を逸らした。
「……見たよね?」
「何も見てない」
「嘘」
「ほんと」
かぐやは少しだけ唇を噛んで、小さく息を吐く。
「……わかったわ」
そう言いながら、タオルを肩にかけて俺の隣を通り抜けるが、動きが少しぎこちない。
そしてふと足を止めた。
「……次からは……ちゃんとノックして……ね?」
「ああ。ごめん」
とても小さな声だったが、かぐやはそれ以上何も言わなかった。
そのまま廊下を歩いていくが途中で一度だけ足が止まり、こちらを振り返りそうになって――やめた。
結局かぐやは振り返ることなく、そのまま2階へ上がっていくのを見送った。
「……風呂入るか」
脱衣所に入ると、まだ風呂上がりの湯気が残っており、さっきまで誰かが使っていた熱がまだ残っていた。
脱いだ服を入れておく籠に入れられたタオルの隙間からは、先ほどまで入っていた人の下着が見えていた。
さっきの様子を思い出しそうになり、忘れようとして少しだけ息を吐く。
……完全にタイミングが悪かった。
しばらく湯に浸かってから風呂を出た。
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服を着てタオルで髪を拭きながら廊下へ出ると、2階から足音がした。
階段の方を見ると、かぐやが降りてくるところで、髪は半分くらい乾いていて、きっちりとパジャマを着直していた。
階段の途中で目が合い、かぐやの足が一瞬だけ止まり、何事もなかったようにゆっくり降りてくる。
「……お風呂、冷めてなかった?」
「ちょうどよかったよ」
かぐやは俺の横を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
「……あの、さっきのことだけど」
少し視線を横に逸らす。
「気にしないでね。事故みたいなものだし私も気にしない」
「そうか」
それだけ言うと、かぐやがちらっとこちらを見る。
「……本当に気にしてないの?」
「なにも見てないし」
「嘘よね?」
「ほんとだ」
かぐやは少しだけ眉を寄せ、小さく息を吐いた。
俺は視線を合わせないように窓の外を見る。
夜の山は真っ暗だった。
「ねえ、雪斗……」
「ん?」
「私たちが来てからさ……」
かぐやはタオルの端を指でつまみながら、視線を少し下に落とした。
「……家、うるさくなったでしょ」
「まあ」
「前は静かだったんでしょう?」
「そうだな」
3人しかいなかった頃の学校みたいに、家の中も基本は静かだった。
かぐやは小さくうなずくと、少し言いにくそうに続けた。
「迷惑……とか」
言葉がそこで止まり、ちらっとこちらを見た。
かなり遠慮がちな、いつものかぐやからは想像もできない弱気な声だった。
「少なくとも、みんなが来てから楽しいぞ」
「……ほんと?」
廊下はそんなに広くなく、自然と距離が近くなる。
かぐやのパジャマは、夏物の薄手で、髪もまだ少し湿っている。
タオルを肩にかけているせいで、胸元が少しだけ開いており膨らみが見える。
慌てて視線を窓の外へ戻した。
そんな俺の視線をかぐやは追いかけていた。
「今、目逸らした」
「気のせいだ」
かぐやは少しだけ目を細め、それから一瞬だけ頬を赤くして胸元を押さえて視線を逸らした。
「……ほんとに、慌てないのね」
「慌てたぞ」
「嘘……普通、もう少し動揺したり……」
「してるぞ」
「……そう」
かぐやはそう言いながら、タオルを肩から掛け直したが、動きが少しぎこちない。
「それで」
「ん?」
「ほんとに迷惑じゃないの?」
さっきの話に戻った。
「人が増えたなとは思うけど、迷惑だなんて考えたこと無いぞ」
廊下の天井を見ながら言う。
「まあ、賑やかなのは嫌いじゃない」
その言葉にかぐやが一瞬だけ顔を上げ、視線が交わるがすぐに逸らされた。
だが口元は少し緩んでいた。
「そう……なら、よかった」
そう言ってから、軽く肩をすくめた。
「そんなこと気にしてたのか?」
「少しだけね」
かぐやはそう言いながら、階段を上がりかけて少し振り返った。
「……おやすみ」
「ああ」
かぐやはそのまま2階へ上がっていった。
廊下には、風呂上がりの少し湿った空気が残っていた。
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自分の部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
さっきの風呂のことがなかなか頭から離れないなと考えていると、スマホが震えた。
画面を見ると『三輪ひなた』の文字。
俺は少しだけ迷ってから、電話に出ると少し眠そうな声が聞こえてきた。
『……起きてた?』
「あぁ起きてる」
『よかった。もう寝てるかなって思ってた』
「今、風呂出たとこ」
『そっか。じゃあちょうどよかった』
少し沈黙が落ち、電話の向こうで布団の擦れる音がした。
声も少し籠もったので布団に潜り込んだのだろう。
『今日さ、学校すごかったね』
「あぁ……女子校だったな」
『みつきってすごいよね。あっちこっちに友だちがいるんだもん』
「あいつそういうの得意そうだよな」
『うん。でも全然嫌な感じしなくて、すっごいいい子オーラが出てるんだ』
ひなたが小さく笑う。
『かぐや先輩も優しかった』
「かぐや?」
『うん。なんか静かだから、もっと怖い先輩かと思ってた』
「そんなことはないだろ」
『みつきのことも、私たちの事もちゃんと見てる感じした』
布団が少し動く音がする。
『……いいよね……ああいうの』
少し間が空く。
『一緒に住んでるからかなぁ……仲良さそうで』
「まあ、姉妹だし」
『うん……』
ひなたの声が、徐々にゆっくりになってきた。
『……でもさ』
「ん?」
『雪斗の家に来て、まだ数日なのに……みんな普通に話してるの、ちょっとすごい……』
「そんなもんだろ」
『そうかな……私、人見知りだから……羨ましい』
小さく息を吐く音が聞こえる。
『よかった……変な人だったらどうしようって、ちょっと思ってた』
「お前がか」
『だって雪斗の家だし』
「どういう意味だよ」
『ふふっ、なんとなく』
布団がまた少し動き、声が更に眠そうになる。
『……でも』
「ん?」
『なんか今日……ちょっと寂しかった』
「何が」
『学校……雪斗、ずっとみんなに囲まれてたから』
「そんなことない」
『うん……』
少し間が空きひなたの息遣いが聞こえる。
『でもさ……なんか遠く感じた』
「遠くはないだろ」
『うん……』
ひなたの声が少し小さくなり値落ち寸前のようだった。
『だから……今日は……ちょっと声聞きたかった』
小さく笑い、また沈黙。
寝たかなと思ったら小さな声が聞こえた。
『雪斗…………好き』
一瞬、意味が分からなく聞き返そうとすると、まだふわふわとした眠そうな声がした。
『……あ……今の……忘れて』
「何を」
『忘れて……?』
声がかなり眠そうになっている。
『なんか……眠いと、変なこと言っちゃう』
「そうか」
『うん』
布団の音。
『雪斗』
「ん」
『まだいる?』
「いる」
『よかった』
小さな呼吸音が続く。
『……雪斗』
「ん?」
『……おやすみ』
そしてそれっきり返事がなくなった。
耳を澄ますと小さな寝息が聞こえる。
……寝た。
スマホを耳に当てたまま、天井を見てさっきの言葉を思い出す。
好き。
あれは夢でも見ていたのか、寝言だったのかよく分からない。
結局俺もそのまま寝落ちをして、朝まで通話は繋がったままだった。




