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鬼切与力つなもり事件帖  作者: ミミック
四章 京橋狐猫口寄騙

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第九十八話


 白狐が犬歯を見せ、声が低くなる。


「最初は分からなかった。信者の家に出向く祈祷師や拝み屋は珍しくないからね。病人がいれば祈祷に頼るのは人の常だ、私もそこまで狭量ではない。だが──最近になって様子がおかしくなった」


 白狐は一拍置く。


「京橋の紙問屋に、娘が突然おかしくなったという話が起きた。暴れる、泣き叫ぶ、見えないものが見えると言う。家の者は憑き物が出たと大騒ぎだ。──ところが、ある祈祷師が来て祈祷をすると、ぴたりと治まる。家の者は大層感謝して饗し、高い祈祷料を払った」

「……それが繰り返されていると?」

「ええ。治まっても暫くすると、また発作が出る。そのたびに祈祷師を呼び、金を払う。祈祷料はどんどん高くなる。『障りが根深い』『過去の因縁が絡んでいる』『先祖が恨みを買っていたせいだ』『急ぎ財を清めねば娘が危ない』『助けられるのは私だけ』『これは神仏との契り』『誰の声にも耳を貸してはいけない』──そういう手口でねぇ」


 源一郎の目が鋭くなった。──師の言葉が脳裏を過る。偽の修験者が里に入り込み、布施を持ち逃げた話。人の弱みにつけ込み金儲けをしたり、信心を利用し犯罪の隠れ蓑とする質の悪い祈祷師がいる──師が嘆いていたのは、まさにこういう話ではなかったか。


「白狐殿。まさか本当に何かが憑いている訳ではありませぬよな」

「勿論です」


 白狐は金色の目で源一郎を射た。


「まさかと思い、私も眷属に調べさせた。しかし、娘には何も憑いていない。狐も猫も蛇も、霊の類も一切ない。──にもかかわらず、憑き物の症状が出ている。これは人間の仕業としか考えられない」

「人間の仕業──薬ですか」

「おそらくね。私たちは人の扱う薬のことは分からない。何か匂いが妙だとは感じたが、それが何の薬かまでは──人間の知恵でなければ見抜けないだろう」


 白狐は源一郎をまっすぐに見つめた。


「──渡辺殿。私は吒枳尼真天に仕える神使。人間の争いに直接手を出すことはしない。しかし、信者が騙され、脅され、食い物にされているのを黙って見ていることもしたくない」

「……それで、私に」

「ええ。是非とも、お前さんにお願いしたい。この件を、人間の法で解決して欲しい。信者の家を守り、あの怪しげな祈祷師どもを捕らえて欲しい」


 源一郎は暫く黙っていた。白狐の依頼──神使からの頼み。だが、それは同時に火盗改の与力としての職務にも関わる話だった。薬を使って憑き物を装い、商家から金を騙し取る。それが事実なら、立派な重犯罪だ。


「……白狐殿。その商家の名と場所を教えていただけますか」

「京橋の紙問屋──近江屋。主人の名は庄左衛門。娘はお美乃。十七になる一人娘です」

「近江屋」

「もう一つ。近江屋だけの話ではないかもしれない。最近、京橋に限らず同じような噂がちらほらと耳に入っているのですよ。商家の家人がおかしくなり、祈祷師が出入りするようになったという話が。一軒や二軒ではない」


 一軒や二軒ではない──その言葉が重かった。組織的に動いている可能性もある。師が語った偽山伏の話や、講に紛れ込む悪党と同じ根を持つ者たちなのか、あるいは別の一味なのか。いずれにしても放っておける話ではない。


「承知しました。調べてみましょう」

「助かります」


 白狐は瞑目し、僅かに力を抜いた。三本の尾が再びゆるやかに揺れ始める。


「ただでさえ厄介ごとの集まるお前さんに、世話をかけますね。──ただ、一つだけ」

「何でしょう」

「この件を引き受けてくれるなら──猫の方も、少し前向きに考えましょう。お前さんが信者のために動いてくれるなら、私も猫の縁に応じる道理が立つ。持ちつ持たれつ、というやつですよ」


 白狐はそう言って、ようやく温度のある笑みを見せた。神使の笑み──それは、どこか商人じみた抜け目のなさと、狐らしい茶目っ気が混じった顔だった。


「……なるほど。これで道理と利が揃った、ということですか」

「ふふ。飲み込みが早くて助かります。──さて、残りの油揚げをいただいてもいいですか。悩みが晴れそうだと分かって、お腹が空いてしまった」


 源一郎は苦笑した。──天狗に限らず神使まで……つくづく食い意地の張った存在だと思った。


「どうぞ。稲荷寿司も酒もあります」

「おや、気が利く。やはりお前さんと縁を繋いでおいて正解だった」


 白狐は嬉しそうに油揚げに齧りつき、三本の尾をふらふらと揺らした。秋の陽光が白い毛並みを白金色に染め、社の朱塗りが鮮やかに映えている。


 源一郎は社の前に座り、白狐の前で食べ終わるのを待った。秋風が参道を吹き抜け、緑の勢いを落とした葉が揺れる。鳥居の朱が、空の青に映えていた。


「──白狐殿。もう一つだけ」

「何です」

「その祈祷師の風体は分かりますか」

「そうですね……私の眷属が見聞きしたところでは──修験者の格好をした男が一人。それと、口寄せ巫女と名乗る女が一人。他にもいるかもしれませんが、この二人が店に出入りしていたようです」


 修験者と口寄せ巫女。──師が語った、巫女の歴史とも重なる。


「ありがとうございます。必ず調べます」

「頼みましたよ、渡辺殿」


 白狐は最後の油揚げを飲み込み、口の周りを赤い舌で舐めた。そして、ふと──真面目な顔で付け加えた。


「それと──くれぐれも気をつけなさい。人を化かすのは狐の仕業と思われがちだけれど、時として人間の方がよほど巧みに人を化かしますからね」


 それきり、白狐は三本の尾を一振りし社堂の影に溶けるように消えていった。後には秋風と、空になった供物の皿だけが残された。


 源一郎は立ち上がり、皿を片付けた。懐に仕舞い、参道を歩く。朱塗りの鳥居をくぐり、境内を出る。


 赤坂の町は秋の昼下がりの穏やかな空気に包まれていた。商家の軒先に暖簾がはためき、物売りの声が遠くから聞こえる。何事もない、いつもの江戸の風景。


 だが──その日常の裏で、悪党が人の不安につけ込み騙し、金を搾り取っている。


 源一郎は歩きながら、頭の中を整理した。


 まずは火盗改の役宅に戻り、類似した事案がないか調べる。それから、師に詐欺を働く祈祷師について意見を聞く。この際──神谷にも、御庭番の耳に何か入っていないか確かめた方がよいかもしれない。


 ──そして、お絹のことも。


 白狐から猫の件を「前向きに考える」と言って貰えたことは、早めに伝えた方が良いだろう。それに、お絹の目に宿っていた、あの小さな光──期待。希望。安堵。それが消えてしまわぬうちに、次の一歩を示してやりたいと……源一郎はそう思っていた。


 足早に歩く──。


 新たな事件の予感。源一郎の目が鋭くなっていた。



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