第11話 嘆きの森
フロンテの街から一時間ほど森の小道を歩くと、辺りはうっそうと生い茂る森へと変わった。
木々の枝や幹がねじ曲がっていて、普通じゃない雰囲気を受ける。
風もないのに、ざわ……ざわ……と木の枝が動いていた。
「この辺りから嘆きの森ってわけね。確かに不気味だわ」
「怖い木だね……」
エルくんはアタシの手を握っただけじゃなく、ぴったりと寄り添ってくる。
「エルくんは後ろを重点的に見ててね」
「わかった、お姉ちゃん」
二人で手をつないで不気味な森へと入っていく。
◇ ◇ ◇
嘆きの森に入ってから一時間ぐらい過ぎた。
けれど、まだ敵には遭遇しなかった。
相変わらず周囲の木々は風もないのにざわざわ揺れている。
薄暗さも増している。
でも、それだけ。
ゴブリンやオーク、トレント、ブラックウィンド、レイス、骸骨剣士などがいるはずなのにまったく出会わない。
アタシは少し気を緩めつつ言った。
「噂ほどモンスターっていないのかもね」
「う、うん……あ、これ」
エルくんが何かを見つけてしゃがみ込んだ。
手に持ったのは焦げ茶色の棒。
「なにそれ?」
「これがトレントの枝だよ、お姉ちゃん」
「へぇ。集めていけば換金できるかな?」
「うん。収集系は後でも依頼受けられるそうだよ」
――と。
突然、ドサッという音が聞こえた。
体を緊張で固くしながら音へと視線を走らせる。
そこにはトレントの枝が束になって落ちていた。
便利なことに紐でくくってある。
「……誰かいるの?」
アタシはその場で鋭くターンをしながら踊るように右手を動かした。
ローブの裾をふわりと広げつつ、魔法を発動させる。
――遠周眼
360度の景色が脳裏に浮かぶ。本来は見えない木々の後ろ側なども全部見える。
しかし、ねじ曲がった木が生えるばかりで、誰もいなかった。
エルくんがおそるおそる枝の束に近づく。
「……これ、どうしよう」
「他のパーティーの忘れ物かな。もらっちゃっていいんじゃない?」
「う、うん」
エルくんは枝の束を背負った。
周囲を警戒しながらまた歩き出す。
何かがいる気配はするけれども、結局出会わなかった。
◇ ◇ ◇
アタシたちはピクニックにでも来たかのように、ずんずん森の奥へと歩いていった。
途中、大木が倒れて開けた場所に出たのでお昼を取る。
周囲の木が焼け焦げているので、激しい戦闘によってできた広場らしい。
肉と野菜をはさんだパンを豪快に食べつつ溜息を吐く。
「モンスター、全然いないじゃん。魔法の練習にもならない」
「い、いなくていいんじゃないかな……」
エルくんは子犬のように周囲を警戒しつつ、びくびくしながらパンを食べている。
「ドラゴンもいないし……つまんない」
「魔法で、もっと奥を見てみたらどうかな?」
「それもそうね――遠視」
アタシは右手を踊るように振って魔法を発動させた。
十メートル、百メートル、千メートル。
「全然いない……あ、何か動いた?」
目を凝らすと、黒い肌をしたゴブリンが大岩が重なり合ってできた隙間に潜り込んでいる。そして体に落ち葉をかけてすっかり姿を隠した。
「隠れちゃった……なんで?」
「お姉ちゃんが怖がられてるからだったりして」
「なんでよ。今日来たばっかりなのに」
「それもそうだね……あ、そうか! 今日来たのはドラゴンだよ、お姉ちゃん!」
「え?」
「魔物にとってもドラゴンは危険だから隠れてるんじゃないかな?」
「なるほど。手負いだって言ってたから余計に見境なく襲いそうだもんね」
でも、どうにも腑に落ちなかった。
思考力のある魔物なら隠れるけど、うろついてるだけのロボットまで隠れるの?
まあ、考えてもよくわからない。
「とにかくドラゴン見つけましょ。この辺りにはいなさそうだから」
「うん、わかったよ。お姉ちゃん」
エルくんは魔物がいないことで安心したらしく、朗らかな笑みを浮かべてうなずいていた。
◇ ◇ ◇
夕方になった。
うっそうとした森なだけに日暮れが早い。
これまで一度も魔物と戦うことなく、かなり奥まで来ていた。
危険なモンスターが徘徊すると言われた最深部も近そう。
でもピクニックよりも楽な冒険だった。
エルくんがアタシの腕にしがみつきながらささやく。
「もう暗くなっちゃったね。帰る? それとも野宿?」
「帰れないわよ。こなした依頼ってトレントの枝だけだもの。こんな調子じゃ国境超えるのに何年かかるか……」
「じゃあ、どこかいい場所で野宿の用意するね」
「ああ、ちょっと待って。魔法で探す」
アタシは遠視で辺りを見た。
少し歩いた先に水辺があるのを見つけた。夕日を浴びて水面が赤く染まっている。
ついでに歩いてきた道も見た。
今のところグランドンの姿もない。安全だと思われた。
「すぐ先に水場があるから、そこで野宿しましょ」
「はい、お姉ちゃん」
薄暗くて足元がおぼつかない森を、転ばないように気を付けながら歩いた。
15分ほど歩いて水辺に出た。直径100メートルほどのため池。
空が真っ赤に染まっている。
鏡のように薙いだ水面にも赤い空が映りこんでいる。
アタシたちは木陰の下で荷物を降ろした。
傍には大きな岩があって風よけになる。
エルくんは土と石を組み上げて手早くかまどを作ると、枯れ枝を中に敷いた。
「じゃあ、あとはお姉ちゃん、よろしくね」
「うん、わかった」
火をつけるのはアタシの仕事。
その間にエルくんは鍋を抱えて水辺へ向かった。
アタシは前に一度、強すぎる炎を出したために一瞬で灰にしたことがある。
なので燃やし尽くさないよう、手加減しながら枯草に火をつける。
それを細い枝に燃え移らせ、さらに太い枝へと広げていく。
太い枝まで燃えると火が安定する。
赤々と燃えるかまどを見てうなずいた。
「よし、こんなもんね。エルくん、用意できた――」
水辺へと言ったエルくんに呼びかけようとした時だった。
「うわぁ!」
エルくんの悲鳴。
アタシはとっさに振り返る。
「どうしたの、エルくん!?」
夕暮れ空の下、水辺でエルくんが尻餅をついていた。
そばには水を入れたはずの鍋。
鍋の側面全体が赤く照らされてい――え?
――夕日の当たらない部分まで赤く染まっている!?
「って、まさか!」
アタシはエル君に向かって駆けだした。
しかし、近づく前に、エルくんの前方の水が山のように盛り上がった。家よりも大きい盛り上がり。
水晶のような鱗に覆われた巨大なドラゴンが姿を現す。
長い首を持ち上げてエルくんを見る。
半開きの口、目、そして体中から赤い血を噴き出していた。
――そうなんだ。
水面は夕日で赤く染まっていたんじゃなかった。
ドラゴンの地で赤く見えていたんだ!
だから鍋で水をすくおうとして、側面にまで血が付いたのだった。
「エルくん! 逃げて!」
アタシの叫びにもエルくんは尻餅をついたまま、ずりずりと下がるばかり。腰を抜かしたらしい。
ドラゴンはたった一歩で距離を詰めた。重い足音がズシンと響く。
足元の少年を血の涙を流す瞳を細めて値踏みする。
「血が足りぬ……悪いが、小さく高貴なものよ、貴様の命、有効に使わせてもらおう」
怯えて身をすくめるエルくんに向かって、口を大きく開けた。残忍なほどに鋭い牙が並んでいる。
「ひぃ――っ」
エルくんは震えあがってずり下がることすらやめてしまった。
アタシの頭に血が上る。
ローブのフードがめくれて顔があらわになるのも構わず、走りながら全力で叫んだ。
「くっ! ――エルくんに手を出したら、しょうちしないんだからぁっ!」
アタシは腕を振り下ろしつつ、指をこすり合わせた。
何度も練習した動作。
とたんに、ドラゴンを中心にして真っ赤な炎の嵐が吹き荒れる。
――炎嵐
しかし図体が大きすぎて、すべては覆えない。アタシの魔法が小さく感じる。
ほとんどダメージを与えたようには見えなかった。
ドラゴンはうっとうしそうに目を細めて、初めてアタシを見る。
「邪魔するな――貴様は……」
アタシがさらに近づこうとすると、ドラゴンが前足を上げた。
ダメだ。
近づく前に、エルくんが殺される。
もう交渉するしかなく、必死で頼んだ。
「ねえ、怪我を治したいんでしょ? だったら、アタシが治してあげる。どんな怪我だって治せるわ。だからエルくんは助けて――」
それに、敵の敵は味方。
勇者と敵対する者なら、手を取り合って共に戦うことだってできるかもしれない。
ところが、ドラゴンの目つきが変わった。
夕闇の中に血を飛び散らせながら、吠えるように叫ぶ。
「貴様は、勇者の仲間ぁぁぁ! 絶対に許さんぞぉぉぉ!! はらわたを引きづり出し、血祭りにあげてくれるわぁぁぁ!」
アタシは、はっとして頭に手をやる。走った勢いでフードが外れていた。
――しまったぁぁ!
顔がもろに見えちゃってるじゃない!
グラァァァ! とドラゴンは怒りの咆哮をとどろかせた。
それに呼応するかのように、森の木々までザァァと揺れた。
ぱっくり開けた口に、超高濃縮な魔力が集まり始める。ビームのように光り輝く。
キィィィンと耳が痛くなる。
――こんなの防げるわけがない。
どうしよう!? どうすれば!?
幸い、エルくんはもう相手の眼中になくなってる。
絶体絶命の中、アタシは足をねじるように踏みしめ、腕を水のように揺らしつつ、必死で助かる方法を考え続けた。




