第七話 色仕掛け
「お願いします」
相手に与えた選択肢は二つ。アンドレアに連絡するか、私と話すか。これはダブルバインドという——相手に気付かれず、自分の都合が良いように上手く誘導する心理的手法である。
「仕方ねえな。一時間だけなら、あんたと一緒にいてやるよ」
この男性のように、大抵の人は与えられた選択肢のうちのどちらかを選ぶ。提案を無視するという第三の選択肢があるけれど、挙げられた選択肢のうち、どちらの方が自分にとってメリットがあるのか考えることで頭がいっぱいになるのだ。
「ありがとうございます」
「おい!?」
布団から出た私は、ベッドサイドに立つ男性の指先に軽く触れて「あっ、ご、ごめんなさい。安心してしまって、つい……ご迷惑でしたよね」慌てて手を引っ込めた。
「いや、俺は別に構わねえけどよ」
「だったら、」
照れたように視線を下げたまま「隣に座って?」ベッドの端に座る。
「……ああ」
「あと一時間でしたっけ。何を話しましょうか」
男性に見せつけるようにわざとらしく足を組んで問いかけた。バスローブの合わせ目から覗いた太ももに視線が釘付けになっている。
「ただ話すより楽しいことがある」
「楽しいことですか。例えば、どんな?」
もうひと押し。甘えるように上目遣いをして男性のネクタイを引っ張った。——あとは誘惑という認識が間違っていないことを祈るばかりだ。
「俺のことは黙ってろよ。そうすれば悪いようにはしねえぜ」
ごくりと喉を鳴らした見張り役から体重をかけれて、身体がベッドに沈んだ。「うん、誰にも言わない」思わず緩んでしまった口元を誤魔化すために男性の胸板に手を這わせる。
「ハッ、積極的だなァ!」
私を押し倒してきた相手は嬉々として上着を床に放り投げた。舌舐めずりをしながら、徐々に距離を詰めてくる。
「手早く済ませようぜ」
そんな見張り役の首に、ゆっくりと腕をまわしながら「……ねえ、あなたは、人の」耳元を擽るように吐息混じりに囁く。
「——堕とし方はご存知?」
油断した男性の頭と首の境目を狙って手刀をお見舞いした。「ぐっ……!!」相手の意識が一瞬飛んだところで、脳へと酸素を送る左右の頸動脈を二の腕で思い切り締め上げた。
「…………」
「はい、完了っと」
人間を気絶させるにはコツが必要である。力任せに打つだけでは、自分よりも体格が大きい人間には効かない。重要なのは打撃を打ち込む場所だ。出来るだけ脳が揺れるように的は一点に絞る。脳震盪を起こしている間に酸素の通り道を絶ち、失神させる。
「ふぅ、この人が単純な性格でよかった」
意識を失った重い身体の下から抜け出す。次に、床に落ちていた上着で声が出せないように口を塞ぐ。さらに、サイドチェストに置いてあったナイトランプの電源コードで両手を縛った。
「何か使えるものを持ってないかな」
スラックスのポケットを確認する。無線機、丸めた紙幣、タバコ、あとは部屋の鍵だけ。
「車の鍵は持ってなかったかぁ」
逃げる途中で見張り役に目を覚まされては困るので、念には念をと全身をシーツで簀巻きにする。「あとで助けてもらってください」窒息をしない程度に顔だけを出した真っ白な蛹の出来上がりだ。
「さすがにこの姿だと悪目立ちするよね」
何か着るものはないか、とクローゼットを物色する。ベッドで失神した男性のスーツとは比べ物にならないほどに高級なフルオーダーのスーツとシャツが並んでいた。それらのサイズや色を見るに、ここはアンドレアの私室だと思われる。
「うわー……むかつくほどいい趣味してる」
そのまま着ても下着が透けない黒のシャツとスラックスを拝借する。袖と裾は折って捲って、ベルトループにネクタイを通してから、サイドで結んでスラックスがずり落ちないようにした。
「だぼだぼでみっともないけど、バスローブよりは動きやすくなった」
着替えた後にベッドルームに戻って、見張り役が持っていた無線機をウエストに挟み込む。
「役に立ちそうなのはこれくらいね」
そして、裸足のまま部屋の外へと飛び出した。




