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異世界からの手紙

 あれから3年。わたしは街灯の少ない道をトボトボと歩いていた。


 就職活動は無事成功したものの、そこはホワイト企業の顔をしたブラック企業だった。持っていた夢や情熱はあっという間に握り潰されてしまった。


 形だけの福利厚生、「新人でも活躍できるやりがいのある仕事です」と銘打った、新人に無茶苦茶な仕事を投げることを上手いこと言い換えただけの謳い文句。謎に額面から減らされた雀の涙ほどの給料。


 それに引き換え、仕事は多く。残業は今月だけで月に60時間を超えた。残業代なんてものはない。サービス残業というやつだ。


 セクハラパワハラなんて当たり前。涙を流していた同期はすぐに退職した。わたしへの風当たりが強くなった。それでも我慢できたのは、


「いつ、迎えにきてくれるのよ」


 御守りのように持ち歩くようになった手紙に文句を垂れる。   


 この手紙が、恋心が、ずっと、ずぅっとわたしの拠り所だった。



 本当は、わたし、貴方に優しいだなんて言われるような人間じゃなかったの。だってわたし、ずっと逃げてきたのよ。



─────



 高校生のころ。母親が再婚した。相手は大手企業の社長さんで、謂わゆるお金持ちだった。義父さんにはわたしより7つ下の女の子がいて、わたしたちは四人家族になった。


 母と二人きりだった世界が、四人になった。新しくできた妹は懐いてくれて可愛かったし、義父さんもわたしを受け入れてくれた。できた人たちだったと思う。


 けれど時折、義父さんたちの価値観に明確な差を感じた。主に、金銭面での。当然だ。だってあの人たちはいつ電気が止まるのか、明日食べる物はどうしようかだなんて心配するような貧しい生活をしてこなった。

 そんなことに醜くも嫉妬して、酷い言葉を浴びせそうになって、こんな自分が嫌で逃げたくなって、わたしはお母さんに縋った。辛いと泣くわたしをお母さんは、まるで可哀想なものを見るような眼をして、言った。


「貴女は家族になれないわ」

「そう。そうね。貴女は家族じゃない。わたしの娘はあの子だけ」

「早く出て行ってちょうだい」



 今になって思えば、タイミングが悪かった。その日は義父さん側の義祖母さんが家に来た翌日で、お母さんには余裕がなかったんだ。冷たい眼でわたしを見てすぐに鼻で笑ったオンナだ。お母さんにも何か酷いことを言ったんだろう。


 でも当時のわたしは逃げ出した。家出という稚拙極まりない行動を繰り返し、義父さんたちを振り回した。


 それでも呆れることなくわたしに寄り添ってくれた義父さんが大学のパンフレットと一緒にマンションの鍵をくれた。こうして、新しい家族に馴染めずに家から逃げ出した無力なわたしは、義父さんが用意してくれた部屋に住むことになった。


 


 ……家族という苦悩から逃げ出したわたしにとって、彼の不器用ながら前に進んでいくその姿はまさしく光のようだった。彼がわたしを『優しい』だなんて言ってくれるから、周囲に対して優しくなれた。『真面目で勤勉』なんて言ってくれたから、講義を集中して受けたし、成績を上げることができた。




 全ては彼がわたしの拠り所になってくれたから



―――――


 

 でも、それも今日で終わりにしようと思う。だって、疲れてしまったの。今まで限界が来ていることに気付かないフリをした罰なのか、わたしの身体はボロボロで。


 偶然会った義父さんに言われてしまった。

「このままでは君が駄目になってしまう。帰ってきなさい」



 あの家を離れて数年の間に、2人には子どもができて大きな一軒家に引越しをしたらしい。


「部屋はたくさん余っているし、君には休息が必要なんだ」

「遠慮なんてしなくて良い。だって君は」

「家族なんだから」


 ううん、違うよ、義父さん。わたしは家族の中で異分子になってしまったんだ。だってわたしは何も知らなかった。子どもができたことも、引っ越しをしたことも。何も、何も知らなかった。知らなかったんだよ。



 もうわたしにはあの家に、お母さんに向き合うだけの気力がない。


 足を止めて、月を見上げた。どこも欠けていない、憎らしいほど綺麗な月だった。


「ははっ、他人に迷惑をかけるくらいなら」

「いっそ消えてしまおうか」



 そう呟いた時。



―――だったらその生命、俺にくれないか。



「……え。ええぇぇぇぇ」



 足元にひと一人分ほどの深淵が広がっていて、わたしはなす術なく落ちた。わたしが落ちていくにつれて、その穴は塞がっていく。逃げ場はないと言われているような気がして、恐怖を感じるとともに、心のどこかで安堵した。


………………。


…………。




「痛く、ない」


 恐るおそる目を開けると、そこには眉間に皺が刻まれた強面の男性がこちらをジッと見ていた。


 だれ? なんて思わない。わたしはこのひとを知っている。



「カザミ、さん」


 わたしの人生に突如現れた、一筋の光。どうしても掴みたくて伸ばした手を、彼は力強く握った。



「ずっと君の声を聞きたいと思っていた」

「いつか君の姿を見たいと」

「そう願い続ける日々だった」


「凪沙。君のお陰で俺は変わることができた。君の言葉の一つ一つが俺にとっての何よりの宝物だった」

「愛してる」



 涙で視界が歪んだ。真っ白になった頭で、何か言わなきゃと震える口を開く。


「わ、わたしも」

「ずっと、会いたいと思ってたの」

「貴方と交わす手紙が、わたしの拠り所だった」


 力強く手を引かれて温かい腕の中に閉じ込められた。ドクンドクンと力強くて早い心音が聞こえてくる。


 ……もっと聞きたい。そっと耳を押し付けて、この温もりは間違いなく現実なんだと改めて実感する。


「今まで待ったんだ。俺の手を取ってくれるな?」

「わたしだって、貴方が迎えに来てくれるのをずっと待ってたんだから」

「ならもっと早く迎えに行けば良かった。さぁ、行こう。君のことを沢山教えてほしい」


 手を引かれてわたしは彼の屋敷に案内される。扉を開けて彼は穏やかに笑った。



異世界からの手紙。それは、わたしたちの宝物。




 

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