第五十二話「密約」
――ミニドリップ店内。
お店に到着してすぐ、私はプレーヤーにCDをセットした。貸し切りとなったミニドリップの店内に、久〇留理子の『男』を流し始める。
太客のためにクラシックでも流そうかと思ったが、これから起きることを想像した私は、精神安定のためにいつもどおりで行くことに。
「いらっしゃいませ。本日は当店をご利用いただき、誠にありがとうございます」
カウンターの向こう側で、私は営業用スマイル全開でうやうやしく頭を下げた。
一万円札十枚の重みが、私の背筋をピンと伸ばさせていた。そう、全ては売り上げ。売上こそが正義なのである。
「ふーん……いかにもって喫茶店ね。ま、悪くないんじゃない?」
周囲を品定めするように見渡した後、テーブル席の真ん中に陣取った柏木さんが満足げにふんぞり返る。その両隣には、いつもの取り巻き二人。
……そういえば、二人の名前知らないな。
「……おい春姉、なんで俺が給仕しなきゃならねえんだよ」
そして、私の隣には不服そうな顔をしたエプロン姿の沢崎さん。
「これもバイト代のためです。さあ、アイスコーヒーを持って行ってください」
小声で文句を言う沢崎さんの背中を押し、アイスコーヒー三つが乗ったトレイを持たせる。
沢崎さんは不機嫌そうな表情をしているが、仕事となれば彼女は真面目だ。トレイを片手に、渋々柏木さんのテーブルへと歩いていく。
久しぶりに見れた彼女のエプロン姿、私は何とも嬉しい気持ちになっていた。
「……ほらよ。アイスコーヒーだ」
彼女らのテーブルに、少し乱雑にグラスを置く沢崎さん。普通ならクレーム案件だが、柏木さんの反応は違った。
「っ……!!」
出されたアイスコーヒーを凝視した後、再度沢崎さんを見て息を飲む柏木さん。
窓から射し込む夕陽のせいか、その頬は朱に染まっているように見えた。
「ねえ店長、店員との写真撮影をしたいのだけど?」
急に冷静な眼差しでこちらに変な質問を投げかけてくる柏木さん。
いや、変ではないか。私も久しぶりに見れて嬉しいわけだし。
「一枚千円です」
「春姉!?」
「なら、十枚お願いするわ」
「て、テメーも何言ってんだ!」
柏木さんの行動の真意がわからず戸惑う沢崎さんと、素早く追加料金とスマホを柏木さんから受け取る私。
「それでは、僭越ながら私が撮影させていただきます」
素早く沢崎さんの隣に立つ柏木さんと、カメラを構える私。何だろう、どこか嬉しそうに見える。
「最強の不良と恐れられているあんたが、まさかこんなエプロン姿で働いているとはね。こんなの、撮るに決まってるじゃない」
「こ、こいつ……俺を脅す気か……!」
柏木さんに視線が向いたままの沢崎さんと、腕を組み自信満々の表情を浮かべる柏木さん。
「それでは……はい、ちーず」
淡々とボタンをタップし撮影する私。注文通り十枚分の撮影を終えて、柏木さんにスマホを返す。
「くそ……嫌な奴に弱みを握られたぜ……」
「沢崎さんにとって、この格好は弱みなんですか?」
二人でカウンター奥に戻りながら、そんな話を彼女に振ってみる。
「正直あいつに言われるまでそんな気にしてなかったけど、いざ指摘されると……こう、恥ずかしいっていうか」
「確かに、最初の頃スカートが慣れないみたいなこと言ってましたね」
言われてようやく、初期の頃のセリフを思い出した私。
「まあ……でも、悪用するようには思えませんでしたけどね……」
傍目で柏木さんを見ながら、私は顎に人差し指を当てる。
「これが……あの《《沢崎真夜》》が持ってきたコーヒー」
震える手でストローを口に運ぶ柏木さんたち。一口飲んで、ほう……と恍惚のため息をついていた。
私はその様子を冷めた目で見つめながら、心の中で『淹れたのは私だけどな』と呟いた。
まあでも、これでお金が入るなら安いものか。
******
写真撮影など一通りのイベントが終わったところで、本題である修学旅行の話し合いが始まった。
テーブル席に座る柏木さんグループ、カウンター席で肘をつく沢崎さん、カウンター奥でグラスを磨きながら耳を傾ける私。
「いい? まずは行き先とスケジュールの確認よ」
柏木さんが学校で配られた旅行のしおりをテーブルに広げる。
「今回の修学旅行は三泊四日。行き先は北海道、札幌・小樽方面ね」
グラスを拭いていた私の手が止まる。
「へぇ。行き先って北海道なんですね」
私の素っ頓狂な問いかけに、店内の空気が一瞬止まった。柏木さん、取り巻き、そして沢崎さんまでもが、信じられないものを見る目で私を見ている。
「……あんた、マジで言ってんの?」
「春姉……まさか知らなかったのか?」
「はい。てっきり京都か奈良あたりかと」
修学旅行といえば寺社仏閣、という安直なイメージしかなかった。HRの時間、先生の話を出来の悪いBGMとして聞き流していたツケがここで回ってきたようだ。
「あんたねぇ……プリント配られたでしょ? 何を見てたのよ」
「そうですね……日付とか、天気とか」
「天気なんて書いてないわよ。はぁ……呆れた。あんたってけっこう不真面目なのね」
柏木さんがやれやれと肩をすくめる。
うっ……図星が故に、彼女の言葉が凄く刺さる。
「まあいいわ。とにかく北海道よ。一日目は移動と全体行動、二日目が小樽での班別自由行動、三日目が札幌での自由行動になってるわ」
柏木さんがペン先でしおりを指し示す。
「私たちが決めるのは二日目と三日目のルートね。どこに行きたいか、希望はある?」
「やっぱラーメンだよな!」
柏木さんの質問に即答したのは沢崎さん。
「札幌つったら味噌ラーメンだろ! あと海鮮丼! ジンギスカンってやつも食ってみてえなー」
「あんた、食べることばっかりね」
「うっせえな、俺は観光よりも飯なんだよ」
「まあ、それは否定しないけど……。で、あんたは?」
ふいに話を振られ、私は少し考える。
「そうですね……。小樽にある『かま栄』の工場で、パンロールを食べたいです」
「パンロール?」
「うろ覚えですが、確かさつま揚げみたいなものだったと記憶しています。昔、養父がそこで売っているパンロールを買ってきまして。非常に美味しかったのですが、養父いわく工場の直売で食べるのが一番美味しいと言っていたので行きたいです」
「あんたたち、二人そろって食べ物ばっか……」
柏木さんは大きなため息をつくと、バシッとテーブルを叩いた。
「いい? 北海道はね、食べ物だけじゃないの。数多の魅力的な観光地があるのよ。そう、今回のテーマはズバリ——『ロマンチック』よ!」
「はぁ?」
「……はい?」
意図せず私と沢崎さんの声が重なる。
「小樽運河のナイトクルーズ! 札幌・藻岩山の夜景! そして赤レンガ倉庫での優雅なティータイム! これら全てを網羅し、最高の思い出を作るのよ!」
立ち上がり、熱弁を振るう柏木さん。その瞳はギラギラと輝き、時折チラチラと沢崎さんの方を見ている。
「…………」
夜景、クルーズ、おしゃれな倉庫群。どれもこれも恋人同士で行くような場所ばかりだが……。彼女の目的は一体……?
「おい柏餅、夜景とかクルーズとか、恋人と回るんじゃあるまいし面倒くさくねえか? それよりラーメン横丁でハシゴしようぜ」
「却下よ! 脂っこい匂いがついたらどうするの!」
「匂いなんて気にしてたら飯は食えねえだろ!」
「うるさいわね! 班長は私なのよ! 私の言うことを聞きなさい!」
気付けばギャーギャーと言い争いを始める二人。何というか、普段の天野とのやりとりを彷彿とさせる。
呆れて見ていると、不意に柏木さんが立ち上がり、そそくさとカウンターへ近づいてきた。
「ちょっと。コーヒーお代わり」
「あ、はい」
私がポットを手に取ると、柏木さんは『こっち』と顎で店の隅――キッチンの奥まった場所を指した。
「……?」
訝しみながらもついていくと、柏木さんは周囲を確認し、声をひそめて私に耳打ちした。
「いい? 単刀直入に言うわ」
「……はい」
「当日は、私と沢崎真夜を二人きりにしなさい」
「……はい?」
これまでの言動と行動から予想できた要求ではあるが、あまりにも直球すぎるんじゃないだろうか。
「あんたなら出来るでしょ。移動中、観光中、食事中……隙を見て私たちが二人になるよう、あんたが上手く立ち回りなさい」
「い、いや……それは流石に難しいですよ。知ってると思いますが沢崎さんはああいう性格ですし、私が誘導したところで……」
それに、そんな大役を担って失敗したら、この人からどんな報復を受けるか分かったものではない。
メリットもないし、そもそもリスクが高すぎる。私はやんわりと断ることにした。
「私には荷が重すぎます。他を当たってくだ——」
「……これでどう?」
柏木さんが懐から《《とあるモノ》》を取り出し、私のエプロンのポケットにねじ込んできたもの。その厚みと感触で、中身が何であるか瞬時に理解できてしまった。
「えっ」
ちらりと中を確認する。先ほど頂いた封筒と、同じ厚み。いや、それ以上か。
「前金よ。それに、協力してくれるならあんたと伊田君を二人きりにさせてあげるわ」
「…………」
「どう? これでも《《荷が重い》》かしら?」
ニヤリと笑う柏木さん。私はポケットの中の厚みを再度確認し、一瞬で表情を引き締めた。
「……お任せください。必ずや使命を果たしてみせましょう。ただ、伊田さんの件は結構です」
「そう? なら良いけど。まあでも、話が早くて助かるわ。あんた……結構いいヤツなのね」
「ありがとうございます。初めて言われました」
満足げに席へ戻っていく柏木さん。私はポケットを軽く叩き、深く息を吐いた。
沢崎さん、これは決して《《友を売った》》わけではない。本当だ、信じてほしい。
心の中で何度も言い訳をして、私は心を落ち着かせた。
「……春姉? あいつと何話してたんだ?」
不審そうにこちらを見る沢崎さん。私は何食わぬ顔でカウンターに戻り、沢崎さんに微笑みかけた。
「いえ、何でもありません。ただ、当日のプランについて少しだけ」
「ふーん?」
「修学旅行、楽しみですね」
「ん? ああ、そうだな!」
北の大地で繰り広げられるであろう波乱劇を想像し、私は一瞬遠い目をする。
沢崎さんには悪いが、背に腹は代えられない。これもまた――売り上げのためなのだ。
私は二杯目のコーヒーを淹れる準備をしながら、再び心の中で自分に言い訳をするのだった。




