111 ヒーローは
私は、ずっとユキくんと一緒にいられると思っていた。
眼の前でユキくんが消えたとき、私の中で一度、世界が終わったんだ。
絶望や悲しみが一気に押し寄せてきて、何かが壊れる音がした。
残ったのは、クレアシルに対する怒りと殺意だけ……。
ユキくんがいないこんな世界、もう一秒たりともいたくはないけど、クレアシルだけは許せない。
だから、待っててね、ユキくん。
◆◆◆
「今……この女を連れて……そっちへ……行くから……」
「貴様……」
夕陽が立ち上がる。
ボロボロと全身の皮膚が剥がれていく。
魔力ももう空だろう。
立ち上がれるような体力も残っていないはずだ。
ただ、夕陽は立ち上がる。
うつろな目を、クレアシルに向けながら。
「絶対に……殺す」
「……」
クレアシルが腕を振る。
衝撃波が巻き起こり、地面をめくり上げながら夕陽を吹き飛ばした。
地面を転がった夕陽は、うめき声を上げながら立ち上がる。
「う、うう……」
「なぜ、諦めない?」
再び腕が振られ、夕陽が吹き飛ぶ。
それでも、夕陽は這いながらクレアシルに向かって来た。
「――――分からないな」
吹き飛ばしても吹き飛ばしても、夕陽は向かってくる。
足はすでにおかしな方向を向いており、もう立ち上がることは出来ないだろう。
手だけの力で、クレアシルに向かって来ているのだ。
「ッ! 鬱陶しい!」
クレアシルがひときわ大きく腕を振ると、夕陽は高く舞い上がった。
地面に激突する寸前、夕陽の下に、人影が現れる。
「ほい、っと」
「う……」
「僕より重傷な女が戦ってるってのに、休んでる場合じゃないよね」
「貴様……諦めたのではなかったのか?」
冬真は夕陽をゆっくり地面に寝かせると、クレアシルに向き合う。
「確かに諦めたよ。あんたには何をしたって敵いそうにない。でもどうせ死ぬんでしょ? だったら、最後まで立ち向かう姿勢だけは取っとこうと思ってね」
「……無駄なことを」
「無駄だけど、こうでもしないとセツに顔向け出来ないよ」
冬真はそう言って笑った。
「全力で抵抗させてもらう。僕のすべてをかけて」
「――――人間とは不可解な生き物だな」
クレアシルは、腕を下ろした。
すぐさま冬真たちを始末しようと言う意思はないようだ。
「この世界は、我が創造し、友とともに育て上げたものだ。人間は、どこからともなく現れた害虫である。我が創ったものではない」
「……」
「だからこそ、不可解なのだ。感情というものはなぜ必要なのだ? 邪魔なだけであろう?」
この時点で、冬真は自分と神の間に越えられない壁があることを再認識した。
感情の有無は、冬真にとって必要不可欠なものだ。
感情がなければ、セツを愛しているという冬真の最大の生き甲斐も、消えてしまう。
それは冬真にとっての事実上の死だ。
「……突然現れ、人間は世界を貪り始めた」
――――暴食に貪り。
――――怠惰に動かず。
――――色欲に狂い。
――――嫉妬に燃え。
――――傲慢に挑み。
――――強欲に求め。
「そして理不尽に、憤怒を覚える」
クレアシルは虫の息の夕陽を指した。
「人間の罪を裁くため、我は大罪七聖剣を創りだした。人間の創りだしたものもすべて排除するため、人間の道具や自然現象をもとに他の聖剣も創り、人間を撲滅するために動いた」
――――しかし。
そうクレアシルは区切った。
「人間は決して絶えることがなかった。終いには友であった破壊神さえも懐柔し、我を封印する始末だ」
クレアシルの様子は、とにかく憎々しげであった。
「今度こそ、我の手で殲滅する」
「……どうして、今そんな話を?」
「……なぜだろうな。貴様らのおけで、感情というものを少しは学んだから――――なのかもしれん。あとは、唯一の友が言っていたのだ。『死にゆくものには、死にゆく理由を伝えろ』と」
それを聞いて、冬真は苦笑する。
少しばかり、生存の道があるかもしれないと、期待した自分がバカだった。
そう己を咎め、現実に向き直る。
「じゃあ……お前にも……死ぬ理由を与えて……やる」
「お、お前!」
冬真の横で、夕陽が身体を起こしていた。
到底動けるような状態ではないのに、気力で無理やり動かしているようだ。
「ほう、言ってみろ、虫が」
「お前は……ユキくんを殺した……みんなが大好きな……ユキくんを殺したんだ。私の世界を……! 壊したんだ! だから……! 殺す! お前は死ぬんだ!」
「……支離滅裂だな」
「お互い様だと思うよ。僕たちも君に創られてない以上、君の都合で殺されるのは御免なんだから」
クレアシルは一瞬黙りこむ。
そして、無言で二人に手を向けた。
「ならば、道理は神である我にあるだろう。貴様らは消されても、文句はないな?」
「へっ、ありまくりだよ! でも……」
仕方ないよね――――。
冬真は聖剣を手召喚し、構えて立つ。
すべてを諦めたからこそ出来る、最後の姿勢である。
夕陽は、ただただクレアシルのもとへ這って行こうとするのみだ。
「さらばだ、愚か者ども」
クレアシルの手が発光する。
それは、〈消失〉の前兆。
冬真は諦めた笑みを浮かべながら、夕陽は憎悪に染まった表情でクレアシルを睨みつけながら、最期のときを待った。
そして――――。
突然、辺りに鐘の音が響き始めた。
「……何だ?」
「……?」
その場の三人が動揺して固まる。
クレアシルさえも、動揺しているのだ。
鐘の音は徐々に大きくなり、やがてすぐそこで鳴っているような音量で聞こえ始める。
「……あれ……何?」
夕陽が、クレアシルの後ろを指す。
そこには、巨大な門が出現していた。
「ば、バカな! この門がなぜここに!?」
クレアシルは、振り返って叫んだ。
状況が飲み込めない冬真だったが、ひとまず夕陽を抱えて少しでも距離を取ることにした。
「下がるよ!」
「で、でも!」
「いいから!」
クレアシルが動揺している内に、二人は離脱することに成功した。
クレーターの外に出ることは叶わなかったが、それなりの距離を取れている。
そしてこの距離ならば、あの門が何をもたらすのかも把握出来るだろう。
「この世界はあの女神の管轄ではないはずだ!」
門に向かって、クレアシルは叫ぶ。
その門は何も答えず、代わりにゆっくりと、その扉を開き始めた。
開き切る間にも鐘は鳴り続け、完全に開ききったとき、ようやく音が止んだ。
そして、中から二人の人影が姿を現す。
「転移門の時差が大きすぎじゃ! これじゃ普通に飛んで移動したのと対して変わらんぞ!」
「実際に開いたのは二回目じゃねぇか! 成功しただけでも感謝しろ!」
「き、貴様は……」
クレアシルの声に二人は気づき、顔を向けてきた。
片方はクレアシルの古き友。
そしてもう一人は、クレアシル自身が消したはずの、人間であった。
「おお、クレアシル。久々じゃのう、相変わらずけしからん身体しとる」
「で、デストロイア……!」
もう一人の黒い装束を羽織った男は、クレアシルよりも先にその向こうの冬真と夕陽の方に眼を奪われていた。
「よお、生きてるか? お前ら」
「――――ユキくん!」
夕陽が叫ぶ。
冬真は言葉なく、その場に崩れ落ちた。
その頬を、涙が伝う。
「遅すぎるよ……ヒーロー」
門から現れた男、須崎 雪は、クレアシルを正面から睨みつけた。
「久々だな。クソ神」
獰猛に口角を釣り上げ、セツは挑発するようにそう言った。
りんごんりんごーん
ヒーローは遅れてやってくる。