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貴女の声が聞きたい ――暴虐の王と月影の歌姫  作者: 外宮あくと


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第10話 まるで少年のような

 どうすればいいのか分からなかった。

 いや、何もしなくていい。

 彼が立ち去るのを待って、それから巨木の神に歌を捧げに行けばいい。それだけのこと。

 なのに、何故か私は、彼に行かないでほしいと願っていた。


 あの頬の傷は、黒狼の峰で負ったもの。

 痛々しくも恐ろしいその傷跡は、激しい戦の記憶のようなものだった。

 なのに、彼はそんなものはまるでなかったかのように、微笑んでいる。

 森の梢のざわめきを聞き、降り注ぐ日の光が躍るのを見つめ、その美しさに心を奪われているのだ。

 とても、血に飢えたけだものには見えなかった。


――聞かなくちゃ。

――何を?

――分からない……でも、このままじゃ、今度こそ二度と会えなくなる……。


 どうしてこんなにも鼓動が早まるのか。

 私は巨木の下に走った。

 そして、懸命に息を整え歌った。

 もしも、彼に歌声が届いてしまったらどうしよう。

 彼はここに来るだろうか。

 届いてほしい。でも、怖い。

 私は、自分でも何がしたいのかもよく分からず、歌った。

 そうしなくてはならないような気がしていた。


 そして、グエンは私のもとに来てくれた。

 少年に返ったように頬を紅潮させて、私の歌に聞きほれてしまったと、そう言ってくれた。

 少し緊張したように、でも、優しい笑顔で私を見つめていた。

 きっと私は、この顔が見たかったのだと思う。

 戦場で剣を振るう戦士ではなく、森で穏やかにほほ笑むグエンに会いたかったのだと。


 グエンが、私を怖がらせないように気を使っているのが分かる。

 でも、黒狼の峰にいた子どもが私だと気づいている様子はなかった。

 覚えていなくてもいい。

 私とグエンの出会いは戦場ではなく、この森であるほうがいい。

 私も峰でのことなんて忘れてしまいたかった。

 今、目の前にいる彼を知りたかった。

 恐る恐る「火の塚の大熊」と名乗るグエン。

 あの後に聞いた数々の噂は、もしかしたら全部嘘だったのではないかと思うほど、優しい顔だった。

 「森の熊さん」と呼んだら、きょとんとして周りを見まわすものだから、思わず笑ってしまった。

 全然、怖いと思わなかった。

 このまま、もっと話していたい。

 近づいてはいけない人だと思っていたのに。


 グエンは私に好意を寄せてくれているように感じる。

 ついさっき、私を見つけたばかりなのにどうしてなんだろう。

 それとも、私の気のせいなのだろうか。

 グエンに聞こえてしまうのではないかと思うほど、私の胸が強く鼓動を打っていた。

 こんなことになるなんて思いもしなかった。

 私はどうしてしまったんだろう。

 嬉しいのか、困っているのか、どちらなのだろう。

 もしも、彼がずっとこんなふうに見つめてくれるなら……そんなことさえ考えていた。


 そのとき、ふと、彼の頬の矢傷に目がいった。

 一瞬で、黒狼の峰の惨劇が蘇ってきた。

 何の躊躇もなく兵士を切り殺した彼の姿が。

 あれは、私を守るための行動だったと分かっている。

 それでも、あのとき私は心の底から彼を恐ろしいと思った。

 同時に強い信念のようなものを感じて、畏敬の念も抱いていた。

 あれから何年も過ぎ、今グエンの笑みを見、恐ろしいと思う気持ちは薄らいでいる。

 でも、きっと私は彼の頬の傷を見るたびにあの日のことを思い出してしまうのだろう。


 帰ろうとする私に、グエンは言った。


「ディーナ……もう一度、君の歌を聞きたい」


 私も歌いたい。

 でも、今のままでは無理だと思った。


「……あなたにその資格があれば、いつかきっと……」


 傷がなくなることはない。

 過去が変わることはない。

 だけど、グエンがこの先、戦場に身を置かないと言ってくれるなら、私はきっと彼の側でずっと歌っていられると思う。

 同じ神を信仰してくれるなら。

 

「ディーナ! 明日もくる! 明後日も、明々後日も!」


 この思いをどうやって伝えたらいいのだろう。

 言葉が見つからない。

 今、勢いを増しているという火の塚のリーに、戦をするなと言うことは簡単なことではない。一族の運命さえ左右するのだから。

 月影の谷の一族は、神に不戦の誓いを立てた。

 これは、一族の総意ではあっても、島全体の意思ではない。

 グエンに押し付けていいのだろうかとも思う。

 戦いを捨ててほしいというのは、私の我がままなのかもしれない。

 私は、グエンに背を向けて走り出した。

 考えがまるでまとまらなかった。

 村にたどり着くまで、ずっと走り通した。

 その夜は、明け方まで眠れなかった。


 翌日の昼頃に巨木の様子を見に行くと、もうグエンが来ていた。

 木にもたれ、また木漏れ日を眺めていた。

 なんと話しかければいいのか分からない。

 昨日は衝動に突き動かされてしまったけど、今はそれができない。

 グエンは日が暮れるまでずっとそこにいた。


「ディーナ……」


 立ち去り際に、切なげに私の名を呼ぶのが聞こえた。

 胸が張り裂けるのではないかと思った。

 行かないで。

 ここにいて。

 なんてひどい我がままなのだろう。

 彼を待ちぼうけにさせたのは私なのに。

 どうしようと悩みながら、次の日も、その次の日も、私はグエンの前にでることができなかった。

 今日こそは彼と話そう、そう思うのに勇気が出なかった。

 彼がいつも腰に下げている剣。

 あれさえなければと恨めしく思っていたのだ。

 日に日に、グエンの顔が曇っていくのが分かる。

 そして十日が過ぎた頃、彼に見つかってしまった。

 思わず、逃げ出してしまった。

 話すチャンスだとも思ったのに、勇気がでなかった。


「どうして、逃げる?」


 グエンはとても悲しそうだった。

 私がそうさせてしまった。

 待ちぼうけにさせた挙句に、逃げ出してしまうなんて。

 自分でもわけが分からない。

 毎日、彼の様子を覗っておきながら。

 彼に抱きしめられて、胸がキュッとなった。

 口づけされて、頭の中が真っ白になった。

 自分は一体どうしてしまったのかと怖かった。

 グエンは私を愛しいと言ってくれた。

 気が付けば涙が零れていた。

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。


「待って」


 そう呟いた。

 少しだけ待ってほしい。

 ちゃんと、貴方のことを考えるから。

 ごめんなさい。もう少しだけ……。


 私は自分の気持ちを抱えきれなくなって、リーの下に行った。


「そんなに泣いて、一体、何があったんだね?」


 リーは子どものころと同じように、私の頭を撫でてくれた。

 グエンと再会してしまったことを素直に伝えた。

 毎日、自分に会いに来てくれているのに無視し続けていたことも。

 ついさっき、見つかってしまって抱きしめられたことも。

 口づけのことだけは、胸に仕舞ったけれど。

 同席した母は狼狽え、恐ろしいことだ、二度と会ってはいけないと言った。

 けれど、リーは穏やかに言った。


「お前は彼に、我々の神を受け入れてほしいんだね? ……悩むのも分かる。我々と彼とでは生き方が違いすぎるから。けれど、お前が何も伝えなかったら、彼にはお前が会おうとしないことの意味さえ分からないままになってしまうのではないか?」

「……はい。でも、何と言えばいいのか」

「上手く話そうとしなくてもいい。迷う心も、ありのままに語ればいい」

「自分がどうしたいのかも分からないのにですか」

「言葉を紡ぐうちに、分かることもある。私はお前を気持ちを尊重するよ」


 本当にそうだろうか。私は、私がまだよく分からないのに。

 でも、このままではグエンには訳が分からないのだというのは理解できる。

 リーが言うように、ありのままに話してみよう。

 明日はきっと。

 そう決心した。

 けれど、翌朝、火の塚の使者が村にやって来た。


『我が火の塚の戦勝の宴に、美しき歌姫に花を添えてもらいたい』


 使者は、私をこのまま火の塚に連れていくつもりのようだった。

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