第1話 貴女の声が聞きたい
俺は妻の声を聞いたことがない。
いや正確に言えば、妻に迎えてからの三年の間、彼女の声を聞いていないのだ。
口がきけないのではない。
ただ、妻に迎えたその日から、彼女は全く口を開かなくなってしまったのだ。
白い指を膝の上で握りしめ、長い睫毛を伏せたまま。
俺に背を向け、窓の外を見つめたまま。
彼女は決して口を開こうとはしなかった。
どんなに宥めようが叱ろうが、一音も声を発することは無かった。
理由は分かっている。
彼女は俺を憎んでいるのだ。
――少なくとも、それ以外の理由を見つけられない。
俺への復讐のために自らの口を閉ざしたのだと。
妻にと心から願い、強引に彼女を手に入れた。
しかし、その行いによって俺は彼女を失ってしまったのだ。
もう二度と彼女の声を聞くことはできないのだろう。
俺の命は、今まさに終わりを告げようとしているのだから。
戦いに明け暮れた三年だった。
それは、妻と通じ合えぬまま、胸を掻きむしった年月でもあった。
手にしたものは全て零れ落ちてしまった。
後悔し、失うばかりの三年だった。
そして、今まさに己の命さえ失おうとしている。
馬のいななき。戦車の駆ける音。
俺は泥の中に倒れていた。
脈動の度にガツンと激痛が全身を貫いて、脳天まで駆け上がってゆく。鉄輪に轢かれ、足が潰れているのだ。
だが、それがどうした。
直にこんな痛みは永遠に消える。胸の痛みと共に消え失せるのだ。
島の覇を握る夢が破れたことも、もうどうでもいい。
ここで死ぬことも、自ら望んだことだ。
それでいい。
勇者の魂は、神住まう歓喜の野へ赴く。
だが、俺はきっと波の下の国へ沈むだろう。
全ては己の罪の帰結なのだ。
だがもしも。
もしも神の慈悲があるならば。
最期の願いが叶うならば、もう一度貴女の声を聞きたい。
瞼に浮かぶのは、出会った日の貴女の笑顔。
耳に残るのは、忘れ得ない貴女の歌声。
貴女の信ずる神を踏みにじった俺に、慈悲など与えられようはずもない。
それでも。
ただ、一言でもいいから。
ディーナ。
貴女の声が聞きたい。




