81話 鴉の子
シャルル・レイヴンスは目の前に座る大者に緊張を隠せずにいた。
レイヴィス・ムネモシュネ。
父であったラプラプリムの話によれば。
かつてルシフェルに堕天させられた、世界を創った記憶の神の成れの果て。
父は彼女を嫌っていた。
違う種族に恋をしたことも、そんな違う種族との間に子供を作ったことも、何も変わらないはずの彼女を父は嫌っていた。
理由は覚えていない。
『シャルル、神と堕天使は違う。あの女は自分の役割をわかっていない。俺は、彼女こそ最高神に相応しいと思っている』
嫌ってはいたが、認めていないわけではなかった。
父はただ、今の天界のあり方が気に食わなかっただけなのかもしれない。
レイヴィスという神に、何かを期待していたのかもしれない。
父の意志を継ぐ者として、天使の血を引く者として、容易く両親のことを彼女に教えるわけにはいかないのだ。
「お初にお目にかかります、記憶の神よ」
「その呼び方はよしてよ、レイヴィスでいい」
「そういうわけにもございません、私も天使の血を引く者として貴女に敬意を払う義務がある」
彼女をシャルルの屋敷へ連れてきたのは、他でもないシャルルの王だった。
吸血王ザザバラ。彼はレイヴィスの隣で紅茶を飲んでいた。
「シャルル、レイヴィスがいいと言っているのだ。呼び捨てにしてやれ。貴様が、この方を嫌う理由もわかるがな」
わかるわけない。
レイヴン侯の娘であるシャルルを騙して吸血鬼にした彼には、自分の考えもラプラスの悪魔についても。
「今回聞きたいのは、貴女の両親についてとラプラスの悪魔についてだ。悪魔ノ門を管理していたよね?」
シャルルは静かに壁に飾ってある父と母の肖像画を眺める。彼らは何も言わない。もう、何千年も会っていない。
生きているはずの母ですら、もう自分には興味などないに違いない。
だが、あの悪魔は違う。
「レイヴィス様。貴女に教えるわけにはいかない」
レイヴィスは目を見開く。
協力を断られるとは思っていなかったのだろう。同時にザザバラがイラついたように立ち上がり、手元のフォークをシャルルへと投げつけた。
頬を掠って血が流れる。
しかし、シャルルは動じない。
「シャルル・レイヴンズ。俺はまだ、貴様がマロニエをこの屋敷に呼び込んで俺を嵌めたことを許してはいないぞ。【黒ノ王】を解き放ったことも、アルマッティと共謀していたことも」
シャルルは、動じない。
「私はもともと、貴方の配下ではないでしょう。この三大貴族の地位だって、貴方は私の母であるフェリルに気を遣っただけ」
「だが、貴様は俺の血を飲んで吸血鬼になっただろうが」
白々しい。
シャルルを騙しておいて、ラプラスの悪魔が知ればただではおかないだろう。
「母の居場所もラプラスの悪魔のことも存じております。しかし、悪魔は告げたのです。母を見つけるのはユウヤミカゲミツだと」
信じている。
シャルルは信じているのだ。
あの日の父の言葉を、吸血鬼という醜い異形に堕ちたとしても、もう父に愛されることはないとわかっていても。
「父は、ラプラプリムは、必ず母を見つけます」
シャルルは大きな手のひらを見つめた。その手は優しくて温かくて、シャルルの小さな手のひらを包み込んでくれる。
その手の主を見上げながら、シャルルはへへへと笑った。意味なんてない、ただ一緒にいることが嬉しくて楽しくて。
「お父さん、お母さんは?」
「遠くに行ったよ」
母に会ったことはなかった。
父の部屋にある肖像画の人物が母なのだと教えてもらってはいたが、実感はなかった。
天使のように美しくて儚くて、確かに自分に似ている気もするけれどこんな人が本当にこの世界にいるのか、シャルルは信じることができなかった。
「化け物の子だ。人間と異形の子供だ」
屋敷の使用人からは嫌われていたと思う。
父だけが、シャルルの味方だったと記憶している。そう、父だけだった。会ったこともない母のことは味方だと思ったことはなかった。
だから。
「シャルル、また会える。遠い未来に俺はお前に会いに行くから。だから、生きててほしい」
だから、シャルルは今も。
「レイヴィス様。シャルルを見つけるのはユウヤミカゲミツでなくてはいけない理由をご存知ですか?」
「さあね、彼の名前がなぜ出てくるのか見当もつかない」
シャルルは目を閉じた。
かく言うシャルルも、ユウヤミカゲミツという人物に会ったことはない。遠い昔にラプラスの悪魔から存在を聞いた程度でしかない。
会いたいとも思わない。少なくとも、今のユウヤミカゲミツに会う意味はシャルルにはない。
「そうですか、では教えて差し上げましょう」
シャルルはラプラプリムの肖像画を見上げる。
「くだらない話をしましょう、父上」
早く会いたいです。
私を、一人にしないで。
☆☆☆
シャドウウルフは低く唸ると、路地の暗闇へと消えて行った。その先には、黒いフードを被った弓使いがいる。
「愚かな冒険者共だ。我々を捕まえようなどと」
シャドウウルフを追いかけていたのは、ゴブリンの冒険者だった。頭は悪く、シャドウウルフに敵うわけはない。
「“異形殺しのラプラプリム”はどこだと喚いていたぞ」
シャドウウルフの声が聞こえているのか、聞こえていないのか、フードの下の表情はわからない。
黒い毛皮を風に揺らしながら、シャドウウルフは目を細めた。
「娘には会いに行かないのか?」
「行かない。シャルルは、強い子だから」
その声は小さかった。
まるで、本当はそうは思っていないような、消え入りそうな声だった。
「……ねえ」
「嫌だ」
シャドウウルフは素早く返した。
「俺は頼まれている。ラプラスから、お前を守るようにとな」
「ラプラスは、まだいないでしょう。まだリリスカルラは動かないわよ」
「俺たちの敵は、ルシファーだ。そして、奴は狙っている」
シャルルの目が揺らいだ。
シャドウウルフは気付けば馬ほどの大きさになっていた。彼の影がゆらゆらと揺れる。
金色の目がシャルルを貫く。
「奴は狙っている」
シャドウウルフは繰り返した。
「“異形殺しのラプラプリム”をな」




