木村花選手の訃報報道とシェアハウスについて
初出:令和2年5月25日
女子プロレスラー、木村花選手が亡くなりました。
公式発表ではないですが、諸事情から推理すると、木村選手はSNSで多くの誹謗中傷を受け、それを苦に自殺したらしいです。
木村選手は悪役レスラーである他、出演していたネットフリックスの配信番組「テラスハウス」で、シェアハウスの同居人が間違って自分のコスチュームを洗濯機で洗い、縮んでしまったことを激しく責めたことなどから、木村選手を非難する書き込みでSNSが炎上した、とニュースは報道しています。
ここでクイズです。
Q: 今回の木村花選手の訃報を踏まえ、今後、SNSの書き込みはどうすべきでしょうか?
A: SNSには誹謗中傷を書き込まないようにすべきだ
B: SNSには書き込みに一定の法的規制を設けるべきだ
いかかでしょう。
ところで筋金入りのプロレスオタクを自認する私も木村花選手を知りませんでした。また「テラスハウス」というシェアハウスを舞台にしたリアリティー番組の存在もはじめて知りました。
まだ20代前半の若い木村選手がお亡くなりになったことは悲劇であり、謹んでご冥福をお祈りいたします。またご遺族には衷心からお悔やみ申し上げます。
しかし彼女の死を短絡的にSNSの言論統制に結び付けようとするマスコミには悪意を感じます。
民主主義は国民が言論の自由を有する社会のことです。国民から言論の自由を奪う社会は民主主義とは呼べない。これが私の持論です。
1. 法規制でなくマナーの問題に
記憶は曖昧ですが、大昔、朝日新聞のベテラン記者が「公人には厳しく、私人にはやさしく」をモットーにジャーナリズム活動をしてきた、というエッセーを読んだことがあります。
政治家は典型的な公人です。政治家の政策や政治活動を批判するのは”ジャーナリズムの正義”であり、これを規制することは言論の自由を奪うことです。
たとえば新型コロナウイルスによる緊急事態宣言のせいで、日本経済が停滞しています。例年にくらべ死者数が増えているわけではないのに、外出自粛を政府が要請することはいかがなものか。
こうした政治批判を書き込むことは言論の自由であり、”ジャーナリズムの正義”でしょう。
一方、たとえば麻生副首相がひょっとこに似ているといった、政治家個人の容姿を批判する書き込みをSNSでときどき見かけますが、これなどは”ジャーナリズムの正義”でなく、誹謗中傷に分類されるでしょう。
しかしながら程度の問題にもよりますが、誹謗中傷は法律で規制すべきでなく、マナーの問題と考えるべきだと思います。そうでないと言論の自由が脅かされる危険性があります。
では政治家や高級官僚でない民間人の場合はどうでしょう。大企業の経営者など財界の重鎮なら、身分は民間人とは言え、”準”公人と言える社会的ステイタスがあります。また芸能人、文化人、スポーツ選手の場合はどうでしょうか。彼らはより私人に近い存在ですが、微妙なところがあります。
いずれにせよ、SNSでの誹謗中傷はマナーの問題として慎むべきですが、法律で規制するのは危険です。
2.長屋の町民から自給自足の本百姓へ
ところで「テラスハウス」という番組は、若者がシェアハウスに住んで生活するというリアリティー番組とのことです。
シェアハウスを礼賛する昨今のマスコミの風潮に私は以前から疑問を持っていました。
シェアハウスと呼べば新しく聞こえますが、要するに江戸時代の長屋です。長屋には下町の貧しい町人が住んでいました。
時代劇では侍のチャンバラが見どころですが、侍は全人口の10%程度です。彼らは今日で言えば公務員といったところでしょうか(木枯し紋次郎みたいな浪人は今日で言えばネットカフェ難民かホームレスです)。
江戸時代、人口の大半は地方(江戸以外)に住む百姓(農家)でした。百姓の中には庄屋(地主)や水呑百姓(小作人)もいましたが、多数派は本百姓(自作農)でした。
つまり江戸時代の一般庶民、本百姓は戸建ての家を持ち、小さい農地を持ち、農作物の多くは転売するのではなく、自分の家族で消費し、自給自足の生活をしていました。
それが明治以降、地方の農家出身者の多くが農地を捨て都市へ移動してきました。
シェアハウス=長屋にあこがれるのではなく、地方で自給自足する本百姓に回帰する、という方向に日本人の意識が変われば、世の中は少しだけいい方向へシフトしていくように思えます。
話は飛びましたが、私の今回の「富士山回答」は、第一に言論の自由は確保すべきだということ、第二にシェアハウス礼賛のプロパガンダに注意すべきだということです。
(続く)