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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 東両国

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51/70

東両国 ―肆―

 つるん、ポチャン。

 音が鳴った。


「はい、次」


 無情な世の中である。

 特訓の甲斐なく箸から小判は滑り落ち、甚吉の手に残ったのは小判が落ちた際に跳ねた油だけ。

 がっくりと項垂れることしかできなかった。十二文出して、結果がこれとは。


 こんなことならば屋台で団子でも買った方がまだマシだった。そんなことを今さら言っても詮方ない。

 甚吉の次に挑戦した客も、同じようにポチャンと音を立てて終わった。それを見ていた客から、ヤジが飛ぶ。


「おいおい、こんなモン、すくい上げられるヤツがいんのかよッ。イカサマじゃねぇかッ」


 皆がそれを思いつつも口には出せずにいた。できるわけがないと思いながらも、欲に負けて挑戦してしまったのだから、言うに言えない。

 香具師やしはハハンと笑った。


「ちゃんとすくい上げたお客もいやしたぜ。すくえねぇのは、すくえねぇ方が下手なんで」

「何をぉッ」


 憤慨する客を、甚吉はハラハラと見守った。

 その時、一人の男が前に出た。お仕着せらしい縦縞の小袖にたすき掛けをした、三十路ほどの男だ。色男というよりも真面目な堅物に見える。背筋がよく、特別大柄ではないものの堂々としていた。


「ほら、一回十二文だったな?」

「え、ああ、まいど」


 男は香具師に十二文を支払うと、客から火箸を受け取った。

 ただ、この男はこんな茶番に手を出すようには見えなかった。浮かれた場に馴染んでいない。

 そんなことは香具師にはどうでもよかったのかもしれない。金さえ入ればいいのだ。


 甚吉は、もうここにいてもできることはないというのに、何故かこの男から目が離せなかった。男は、ふぅ、とひとつ息を吐くと、真鍮の火箸で軽やかに小判をつまみ出した。油にまみれた小判が地面にカシャンと落ちる。


 周りがザワリと騒いだ。けれど、男はそれに構わず、二枚目の小判をもつまみ出した。

 そして、三枚、四枚――


 甚吉も先ほど手を出したから、それがどれだけ難しいことかを知っている。マル公の特訓を受けたわけでもないこの男は、何故こうも容易く油の中から小判をつまみあげられるのだろうか。


 皆が唖然と、声もなく見守る中、男は最後の小判をもつまみ出してしまった。ここまで来ると、まぐれであるはずがない。最後に火箸をそろえて鍋の縁に置き、男は懐から手ぬぐいを取り出して手を拭きながら立ち上がった。


「これで全部だ。この小判五枚は私のものということになるな」

「そ、それは――」


 香具師は水揚げされた魚のように口をパクパクと動かした。まぐれで一枚くらいつまめる者がいたとしても、五枚とも引き上げられたことなどないのだろう。金勘定の苦手な甚吉でも、大損であることはわかる。


 しかし、引き上げた小判を与えるという触れ込みなのだ。やっぱり渡さないなどと言えたものではない。

 香具師が汗をダラダラと流していると、男はふと穏やかに笑った。


「まあいい、今回はなかったことにしよう」

「へ?」

「その代わり、今後またこんなことをしていると、私が毎日来てつまみ出してしまうから、そのつもりでな」


 多くの客が木戸銭を巻き上げられている様子を目にし、この男はそれを止めるべく手を出したのか。それにしたって、あの滑りやすい箸で小判をすくい出すとは、只者ではない。

 ようやく我に返った客たちが騒ぎ立てる。


「いいぞ、兄ちゃんッ」

「粋だね、惚れ惚れするぜッ」


 やんややんやと喝采を浴びる男と、ほぞ嚙む香具師。

 甚吉は、憧れを込めて男を見た。なんて渋い、なんて男気だと。

 美味いものは手に入らなかったけれど、この土産話をマル公は喜んでくれるのではないだろうか。早く帰ってこのことを話したい。


 男は己の役割を終えたとでも言いたげにきびすを返す。多くを語らない、そんな様子も男らしかった。

 しかし、その背を恨みをたっぷりと込めて香具師が睨んでいた。小判を返してくれたのだから、感謝してもいいだろうに、商売にケチをつけられたと感じたのかもしれない。

 十分儲けたくせをして、欲の皮が突っ張っている。


 甚吉は居心地が悪く、男の背を追うようにして両国橋へ向けて広小路を足早に歩んだ。男には連れもいないらしく、ただ一人でぶらりと歩いている。遊びに来たというよりも、あの出し物の噂を聞きつけて懲らしめにやってきたのだろう。見世物を楽しんでいるようではなかった。


 ただ行き先が同じなだけで、甚吉は男の後をつけているわけではなかった。ただなんとなく歩いていると、裾をはだけさせながら勢いよく走ってきた数人の男が、お仕着せの男を取り囲んだ。そうして、そのまま引っ張って行ってしまったのである。


 あれは、意趣返しというやつだろうか。面目を潰した男を簀巻きにして大川へ沈めるつもりなのだとしたら――

 甚吉には止める手立ても力もない。しかし、見てしまった以上、放っておいてはいけないとは思う。


「どどど、どうしたら――」


 今からマル公に指示を仰ぎに向かっていては男を見失う。甚吉に選べるのは、見捨てるか、ついていくかの二択である。

 あああああ、と身悶えしながら甚吉は男が連れ去られた後を追った。


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