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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 判じ絵

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39/70

判じ絵 ―肆―

 甚吉は見世物小屋へ戻ると、生け簀の掃除に取りかかる。けれど、その前にちらりとだけマル公にあの蛇と栗の書かれた判じ絵を見せた。


「マル先生、巽屋に行ったら今度はこの判じ絵があったんだ。マル先生なら解けるかい?」


 すると、マル公は鼻息荒く言った。


「ハァン、おめぇオイラを誰だと思ってやがる。オイラに解けねぇ謎なんざあるかッ」


 大層な自信である。しかし、こう大口を叩くのなら、マル公にはこの判じ絵がひと目で解けたのだろう。

 ただ、それを素直に教えてくれることはなかった。


「ちったあおめぇも自力で考えやがれ。今日の客が引いた頃に答え合わせしてやるぜ」

「え、そんな、おれにそんな学はねぇよ」

「学じゃねぇ。おめぇは考え方が硬ぇんだ」


 そんなことを言われても、甚吉には解ける気がしなかった。それでも、なんの答えも用意していなければ後で怒られるのは目に見えている。甚吉なりに考えるしかなかった。


 気もそぞろになりつつ、生け簀の掃除をする。その間、マル公は盥に浸かって上機嫌でフンフン鼻歌を歌っていた。いつもは盥は狭いと文句タラタラであるのに、これは珍しい。判じ絵の謎を解いた身としては、悩む甚吉を眺めているのが楽しいのかもしれない。ひどい話だ。




「さあさ、寄ってらっしゃい寄ってらっしゃい。世にも稀な海のばけもの。遠路はるばるやってきた海のばけもの、お江戸で見られるのはこの寅蔵座だけでございッ。さあさ、御覧じろ、御覧じろ」


 甚吉の兄貴分である長八の口上がいつもと変わりなく人混みの中を通り抜ける。甚吉ではおどおどしてしまってあの声量の半分も出せやしない。長八はすごいと甚吉は小屋の陰から思った。

 ――などと余計なことばかり考えている場合ではない。甚吉は懐から折り畳んだ判じ絵を取り出して眺めた。


 蛇と割れた栗。これが何を指し示すのか。


 蛇が上にいるということは、まずこの蛇から解かねばならないのだろう。しかし、蛇の謎でつまずくと下の栗の謎も解けない。蛇はとりあえず置いておいて栗から解くべきか。

 この蛇の頭を赤い丸で囲んである、これに意味はあるのか。


「あああ――」


 悩ましいところである。


「オイコラ、甚吉ッ。何を油売ってやがるッ」


 寅蔵親方の野太い声が遠くから飛んだ。ヒッと声を上げて甚吉は判じ絵を懐にしまうと、へこへこと頭を下げながら走った。

 いつものごとく生魚を抱え、マル公に餌をやりたがる客へ渡していく。


「私も頼む」


 髷はかなり白く、細い隠居らしき老人が甚吉に声をかけた。


「へい、どうぞ」


 甚吉は人に押されながらもなんとか盥を老人へ向ける。老人はにこやかにアジを一尾受け取ると、猫かぶりのマル公に差し出した。


「ほぅら、お食べ」

「ヲォゥ」


 可愛い子ぶった声で鳴くと、マル公は老人の手からアジをつるりと食べた。内心、こんところアジばっかりじゃねぇかよと毒づいていそうだけれど。

 そんな様子を見て、老人は大きく何度もうなずいた。


「おお、賢い生き物だな」


 そう、賢い。それは多分、この老人が思う以上に賢いのだ。そんなことは言えないけれど。




 さて、そうして見世みせ仕舞じまいである。

 しかし、甚吉は同時にふたつのことを考えられる器用さなどない。雑務をこなしながら判じ絵の謎など解けるはずがなかった。

 だからマル公につぶらな目を向けられても困るだけである。


「さ、答えを聞こうじゃねぇか」


 あー、うー、と唸って時を稼いでみた甚吉であったけれど、そんな少しの間に閃くはずもない。

 結局、出せた答えは―― 


「へびぐり」


 とりあえずそのまま読んだ。そうしたら、やっぱり怒られた。


「このド阿呆。そのまんま読んでどうすんでぇッ。よっく見てみな。蛇の頭を丸で囲んであるだろうよ。それから、栗が真っ二つに割れて中身が飛び出してらぁ」


 言われてみると、蛇の絵には丸がついている。何故蛇の頭だけを丸で囲んだのだろう。

 それから、この栗。どうして中身が飛び出してしまっているのか。


「そいつぁおめぇの大好きなアレじゃねぇか」

「え?」


 栗はあんまり食べたこともないけれど、きっと美味いと思う。だからこれは好きかもしれない。けれど、蛇は少しも好きではない。あのチロチロとした舌がむしろ苦手だ。

 甚吉の考えることなどマル公はいつもお見通しである。


「オイ、蛇ってのはいろんな呼び名があるだろうよ。蛇っていうから気づかねぇんだ。巽屋の時に龍はなんて読んだよ?」


 やれやれ、と呆れたふうにそんなことを言われた。

 たつ、み屋。


「辰――タツ?」


 目線をマル公に向けると、マル公は丸い首で首肯した。


「そう、辰だ。じゃあ蛇はなんて読むのか、おめぇだってそれくらいはわかんだろ?」

「え――と、辰、巳――み?」

「そうだ。それから、その蛇の絵の頭にだけ丸がついてやがるのもちゃんと意味があらぁな。ホレ、頭の読み方を変えると、『ず』だろ。たけぇって言うだろ?」

「う、うん」

「だから、その絵は蛇の頭、すなわち『み』『ず』だな」


 水――

 本当だろうか。この蛇の絵が『水』とは。

 しかしここで疑うと話が進まない。甚吉は蛇の下の栗を指さす。


「じゃあ、この栗はなんだい?」


 その途端、マル公はイーッと牙を剥いた。


「ちったぁ考えてから喋りやがれッ。その栗はなぁ、割れて中身が出てんだろ」

「えっと、食べやすく剥いたってことかい?」


 言った途端、マル公の目が冷ややかになった。そんな目をされても、わからないものはわからないのだ。


「わかんねぇよ。教えてくれ、マル先生」


 素直に頭を下げると、マル公はフン、と鼻を鳴らした。


「仕方ねぇな。その栗に中身は要らねぇのさ」

「え?」

「栗のからが大事なんじゃねぇか」

「栗の――殻」

「ここまで言ってんのにわかんねぇのかよ」

「え、いや――」

「チッ、『栗の殻』って十ぺん言ってみな」


 じれったそうにマル公は生け簀の縁を小刻みに叩く。仕方なく甚吉は言われた通りにする。


「くりのからくりのからくりのからくりのからくりのからくりのからくりからのくりくッ――」


 舌を噛んだ。痛い。

 そんな甚吉にマル公はうなずく。


「もうわかったろ。栗の殻、もしくはからの栗かもしれねぇが、答えは『からくり』だな。上の蛇と合わせて『みずからくり』。おめぇの大好きな水芸人のねぇちゃんのアレだ」


 ――舌を噛んだけれどまだ気づいてなかったなんてとても言えない。

 甚吉は口を押えながらつぶやく。


「水からくり――真砂太夫まさごだゆうならこの判じ絵がなんなのか知ってるかな?」


 真砂太夫は、この見世物小屋『寅蔵座』の隣で見世を出している『新兵衛座』の水芸人である。その美貌と芸の冴えが評判なのだ。


 そればかりか、舞台から降りても気風きっぷがよく心優しい。下っ端で、それも見世の違う甚吉のことまで気にかけて親切にしてくれる天女のような娘なのだ。

 マル公は面倒くさそうに生け簀から離れてゆったりと泳ぎ出した。


「ま、どうでもいいけどな。おめぇがねぇちゃんと喋れるネタくれぇにはなるだろ」


 下心しかないみたいな言い方はやめてほしい。ほんのちょっといつもよりも鼻の下は伸びているかもしれないけれど。

 明日、さっそくこの判じ絵のことを真砂太夫に訊ねてみよう。


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