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海怪  作者: 五十鈴 りく
❖ 饅頭

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16/70

饅頭 ―伍―

 急いで戻った甚吉は、袖の中のまんじゅうを誰にも気づかれないように振る舞うことに意識を集中していた。少々ぎこちない動きで寅蔵に刻みたばこを差し出す。


 けれど、寅蔵は甚吉などに興味がない。ああ、とかうん、とか適当な一声を発しただけで寅蔵は甚吉からたばこを奪い取る。

 使いに走った甚吉に労ってほしい思いはない。むしろ、遅かったな、とか、たばこひとつ買うのにいつまでかかってやがる、などと言われなくてよかったと胸を撫で下ろしている。


 甚吉は勢いよく頭を下げると、さっさと寅蔵の前から引いた。

 マル公のもとへと急ぐと、小屋の中はすでに薄暗くなりつつあった。けれどまだ灯りがなくとも互いの顔くらいは認識できる。

 甚吉はなるべく小さな声でマル公を呼んだ。


「マル先生、まんじゅうを持ってきたよ」


 すると、水音がバシャンバシャンと上がった。


「オオゥ、甚吉にしちゃあ首尾がいいじゃねぇか。おめぇ、本当に甚か? 逢魔おうまときだからって、狐狸妖怪のたぐいが化けてんじゃねぇだろうなぁ」


 一体自分はマル公の中でどういう位置づけなのだろうか。甚吉は真剣に悩みたくなった。大体、妖怪の類なのはマル公の方ではないのか。


 そこでマル公は口が過ぎたと思ったのかもれない。もしくは、言いたい放題にしているとまんじゅうが遠のくだけだという事実に気づいたのか。

 パシャパシャと水を搔き分けて泳いでくる。


「冗談だってぇの。おめぇ、近頃目が口ほどに物を言いやがるな」


 てん、と生け簀の縁にヒレを載せ、身を乗り出す。


「マル先生が変なことを言うからだ」


 甚吉だって、思わずぼやきたくもなる。

 けれど、まあいい。

 甚吉は袖の中からまんじゅうをふたつ取り出し、そのひとつをマル公の目の前に置いた。


「これ、マル先生の分。なあ、このまんじゅうって真砂太夫がくれたまんじゅうと同じものだと思うかい」


 マル公はまんじゅうとにらめっこしていたかと思うと、ぱくりとひと口。

 もぎゅもぎゅゴックン。


「おお、ブサイク具合といい、あんこの味といい、一緒だな。同じ店のだろうよ」


 それを聞けてほっとした。これでちゃんと真砂太夫の目を見て礼が言える。

 マル公の舌を信用することが大前提であるけれど。


「そうかぁ、よかった。じゃあおれも食べよう」


 ほっと息をついて、甚吉は自分の袖からもうひとつのまんじゅうを取り出す。


 うっすらと色づいた蕎麦まんじゅう。目と口と髭が焼き入れられたまんじゅうは、目の前のマル公と比べると生意気さが足りない。もっとずっと大人しそうでお行儀のいいマル公だ。

 これを試行錯誤しながらあの嘉助が作ったのかと思うと、なんとなしに微笑ましくなって顔に笑みが浮かんだ。


「実はこれ、店の兄さんがくれたんだ。今日はもう売れないからって」

「へぇ。おめぇは銭とはてんで縁がねぇけどよ、そういうヒトとの縁は案外あんのかもしれねぇな」


 余計なひと言をつけ足さずには喋れないマル公は憎まれ口を叩く。甚吉は、そんなマル公の形をしたまんじゅうにかぶりつこうと大きく口を開けた。

 ただし、その時――


「ああああッ。オイ、危ねぇッ。食うなァッ」


 と、マル公が騒ぎ立てたから、甚吉はハッとして口を閉じた。

 けれど、まんじゅうが危ないとはどういうことか。そういえば、『まんじゅうこわい』と言ってまんじゅうをたくさんせしめた男の話がなかっただろうか。


 まさかとは思うけれど、そのまんじゅうは危ないからオイラが食ってやるとか言い出すのだろうか。

 さすがにそこまで意地汚くはないと思いたいのだが――

 などと考えた甚吉の心をもマル公は見通した様子でいかった。


「オイコラ、オイラがまんじゅうほしさに騒ぎ立てたとか考えやがったな、この恩知らずめッ」

「え、いや――」


 違うのか。それならば、本当にこのまんじゅうは危ないのか。

 甚吉はまんじゅうをくるりと回してみた。すると、背面の下の方に何やら光るものがあった。

 マル公はフン、と鼻息荒く言った。


「そのまんじゅう、針が刺さってやがるぞ」

「は、針ッ」


 甚吉は指でその光るものに触れ、そうして引っ張り出す。それは確かに小さな穴の開いた縫い針であった。


「まんじゅうから針――」


 愕然と、甚吉はまんじゅうと針とを見比べた。どうやったら、まんじゅうを作る時に針が刺さるというのだろう。


「ったく。針供養でもねぇってのに、まんじゅうに針を刺すド阿呆がいやがるとはな」


 針供養は折れたり古くなった針に感謝を込め、針を豆腐やこんにゃくに刺して奉納するものであり、まんじゅうに刺すなどとは聞いたことがない。

 これを食っていたら――甚吉は今になってゾッとした。また、マル公にひとつ借りができてしまったのかもしれない。


「ま、マル先生が食べた方は大丈夫だったのかい?」


 同じようにもらってきたまんじゅうなのだ。けれど、マル公の様子から、あちらには針が仕込まれていなかったと見える。


「おお。日頃の行いがいいせいか、おいらのまんじゅうには入っちゃいなかったぜ」


 日頃の行いは悪くないかもしれないけれど、日頃から口はめっぽう悪い。いや、そんなことはこの際いい。


「あの店の人、嘉助さんってお人だったんだけれど、優しかった。わざと針の入ったまんじゅうをくれるようなお人じゃなかったはずだ」

「そりゃ、自分のとこのまんじゅうに針なんざ仕込まねぇだろうよ。さて、どこのどいつの仕業かねぇ」


 マル公は半眼になってつぶやく。

 あの穏やかな嘉助の作ったまんじゅうに誰かが針を刺した。そんなひどい人がいることが、甚吉には悲しかった。悪戯にしてもあまりにひどい。


 甚吉は悔しい気持ちを抱えながら、針を抜き取ったまんじゅうを手で割ってひと口口に含んだ。

 しっとりとしたあんこに蕎麦の風味がなんとも優しい。深い味わいであった。


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