#26
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「お嬢の命令で、貴様のあとを追っていた」
シノがどこからか持ち出してきた縄を使ってダイバを拘束せしめたあと、トキヤはここに居る理由を「仕事だ」としか語らないシノに対し、再三質問を投げかけた。
シノは無表情の中に僅かな呆れを滲ませながら、ようやくそう答えたのだった。どうやら、オオトミ邸でフウカが体調を崩して帰還した直後、レイカの命令で常に一定距離を保ちつつ尾行を続けていたらしい。
驚くべきはその忍耐力と潜伏能力である。
トキヤは探偵として尾行術、および尾行を巻く術を叔父から教えられている。また、生まれつき人の気配には不思議と敏感であり、今の今まで人間相手に「不意を打たれる」というような経験はしたことがなかったのだ。
今回のことで、トキヤはまたひとつ自分の未熟を悟ることになった。
一週間以上もシノの尾行に気が付かず、ダイバの―― おそらくトキヤの行動を読み、フレミングの屋敷周辺に予め潜んでいたのであろうが―― 接近にギリギリまで対応できなかったこと。自分の能力を過信していたことは否めない。次はもっとうまく立ち回ろうと心に決めた。
「しかし、なぜレイカさんはそのようなことを?」
「知らん、お嬢に訊け」
トキヤにもある程度は察しがつく事だ。長年付き従っているらしいシノには心あたりがあるはずだが、それについては答えるつもりがないらしい。主の気持ちを代弁して語ることは、彼の「仕事」のうちには含まれないことのようだ。
「――それで、このような問答をしているヒマがあるのか? 目的のものは手に入れたのだろう」
「ああ、そうでしたね」
ダイバの襲撃を躱して人心地ついたせいか、トキヤは妙に饒舌になっている自分に気がついた。
もはや邪魔するものは何もない。トキヤは右腕に抱えていた日記帳を開き、手がかりを探し頁を繰る。
最古の日付はトキヤが生まれるよりも前になっている。どうやら海外遊学中に思いつきで日記帳を書い、せっかく買ったのだから…… と始めたものが習慣化したものであるらしかった。
当初は短文ばかりが目立つが、年を経るごとに内容の厚みが増えていった。文章表現も巧みになっていく。もしかしたら、ホウジョウの作家としての原典はここにあるのかもしれない。
分厚い日記帳も後半にさしかかり、やっとのことで娘が失踪した頃の時期に行き当たった。トキヤは素早く頁を繰る手を止めた。
ホウジョウは娘が失踪した時も、日記を書き残している。ただしその文章には遊びの余地はなく、字もいくぶんか乱れていた。
・一八XX年 五月某日
娘が失踪した。妻が目を離した隙に、何者かが連れ去ったのだ。
なんということだろう。私は今日この瞬間ほど、自分の過去の行いを悔いたことはない。
もはや清算できぬこととして、見て見ぬふりを続けてきた罰が降りかかってきた。娘は私のために攫われたのだ……。
その後しばらくは、娘の安否を気遣う言葉ばかりが綴られており、娘の発見された日であろう日付には、たった一言こうあった。
・一八XX年 五月某日
私は、神を呪う。
トキヤは思わず日記を閉じたくなる衝動に駆られたが、続きを改めないわけにはいかない。
この後しばらくは、日記の更新は途絶えている。娘の死がよほどショックだったのであろう。それまでかかさず行われてきた日課が途絶えた日から、一ヶ月後。ホウジョウはようやく筆を執った。
・一八XX年 六月某日
市警の捜査は遅々として進まない。捜査官の一人が、私が恨みを買いすぎているせいだとこぼしているのを聞いた。たしかにそのとおりだ。そのことについて、私が言い逃れをする余地はない。だが、自身の無能さまで私のせいにするのはいかがなものか。何一つ手がかりを得られぬのは、捜査官の落ち度であろう。
市警は信用出来ない。……私が、私こそが真実を見つけるべきなのかもしれぬ。
しかし、すでに尽くすべき手は尽くした。いったい私に何が出来るというのか。
ホウジョウの苦悩と狂気の一端が垣間見える。
その後は悲惨であった。一通り現実的な手段を試し、そのすべてに打ちひしがれたホウジョウは、サギリの語ったとおり、占いや呪術に頼って真実を探そうと試みだしたのである。
だが、ホウジョウが最初のうちに試していた術のすべては、日記に書かれていることから見るに、トキヤの知る「魔術」とはかけ離れた「効果の無いもの」であったようだ。
共同研究者だったフレミングも結局本物の魔術には行き当たらなかったことから、彼らが長い期間模索していたのは、ほんとうの意味での「神頼み」であったことが伺える。
神を呪うとまで言った人間の末期であるとすればこんなに皮肉なことはないが、ホウジョウはある時迎えてはならない転機を迎えてしまった。
――【喚儀典】。
日記にはそう記されている。実際に手にしたホウジョウの感想をそのまま借りれば、『ごわごわの、一度も手にしたことのない感触の皮で装丁されており、装飾はなく、そこはかとなく不気味な代物』であったと言う。
タイトルの表記すらなかったが、ソレをホウジョウに譲ったとされる【トップ・ハットの紳士】がそう呼んでいたのだそうだ。【トップ・ハットの紳士】は、ホウジョウが活発だった娘がよくよじ登って遊んでいた庭木を見上げている時、どこからともなくふっと現れ、この謎の書物を寄越した。
会話は成立しなかった。
「これはあなたに必要なものだ」
「二百四ペェジ目を御覧なさい」
甲高い声でそれだけ言い終えると、ホウジョウの制止や疑問に答えることなく、ふわふわとした足取りで歩き去っていった。託された本も不気味であれば、それを齎した人物も不気味で奇ッ怪であったと、ホウジョウは書き残している。
――そしてこの怪しげな書物にこそ、【真実の輩】を捕獲するための術が書かれていたのだ。
おそらくこの頃には、ホウジョウの精神は相当参っていたものと思われる。効果の出ないまじないの類を延々と繰り返してきた彼は、怪しげな人物の言うとおりに二百四頁を参照し、その方法を試した。
するとどうだろう。【真実の輩】と呼ばれる異神の使いを、自宅の一室に幽閉することが出来てしまった。その時のホウジョウの心情はどのようなものだったのであろう。残念ながら、それを知ることは出来ない。――なぜなら、【真実の輩】が齎した真実が、一瞬にして彼の心を塗りつぶしてしまったからだ。
その日の手記は出だしから書き損じていた。激しい動揺がうかがえる。
かろうじて読み取ることが出来る部分から察するに、ホウジョウは娘の死の原因が妻にあったことを知ったようだった。彼はもはや、どう嘆いていいものかわからなかったのだろう。
判読すら困難な文体で、支離滅裂な文句が綴られている。
その後は日記をつけるのをやめてしまったのか、白紙の頁が続く。それでもなお頁を繰っていくと、なんの脈絡もなく、文章が綴られた頁を見つけることができた。
・日付の表記なし
私はもはや、この真実を知ったまま生きることは出来ぬ。
妻に何もかも打ち明けて問いかけてしまえば、私を囲む世界のすべてがおかしくなってしまうだろう。
それでもなお、私は確かめずには居れぬ。真実に耐えられぬ。
私の知ったことが真実であれ、現実的な手段で証明することは叶わぬであろう。
だから、ここに記す。この真実を知るものが私だけということに、私は耐えられぬ。
妻は我が娘を心の底から憎んでいたのだ――。
願わくば、親友。これを読んでいるのが君であることを願う。
最後の機会には恵まれなかった。だから、君のためにこの真実にたどり着くための鍵を隠した。
聡明な君ならここまでたどり着くであろう。知ってくれ。真実を。私の苦悩を。
そして弔ってくれ。
きっと私はもう居ない。妻は私を愛しているが、この真実を知った私を許しはしないであろうから――




