#27
皮肉にも、最後の手記は理性にあふれた、本来の彼らしい書き癖で綴られていた。
それ以降には何もない。最後の最後まで白紙であった。
【真実の輩】を解き放つために必要な鍵の在り処については、どこにも記されていないようだ。万が一ここに隠されているわけではないのなら、ホウジョウは鍵を所持したままダイバに殺害され、死体ごとどこかに隠されてそまった可能性が高い。
ダイバは床に転がされ、シノに殴りつけられた場所―― おそらく骨が折れているのであろう―― が痛むのか、青くなって呻いている。この様子なら自身の犯行について喋らせることは比較的簡単なことかもしれない。
「ダイバさん、ホウジョウ氏はあなたが殺害したということでしたね。彼の遺体はどこに?」
ここで焦りを露わにすれば、ダイバはそれを利用しようとするかもしれない。自分の状況がいかに窮まったものであるか自覚してもらうためにも、トキヤは静かに平坦な声音で訊ねた。
ダイバは額に大量の脂汗を浮かべながら、答えた。
「もっ、森だ。屋敷の裏側の、地元の人間でさえ入っていかない森の奥……」
「具体的には?」
「知らん! な、何年前のことだと思っていやがるんだ。そんなもん、覚えちゃいねぇよ!」
必死に吠えるようにそう主張するダイバであったが、トキヤは彼の言を信用する気にはならなかった。こうも切羽詰まった状況では、己の表情を繕うのは難しい。ダイバはトキヤたち―― というよりも、シノの存在に対して怯えているようだった。必死に嘘をついてはいるが、それが発覚した際にどのような扱いを受けるかわからない恐怖。それが顔に張り付いている。
(……この様子だと、詳しい場所をちゃんと記憶していそうだが…… さて、どう聞き出したものか)
一番簡単なことは、暴力的な手段に訴えることなのだが。
そういう手段を考え付きはするものの、トキヤは目的のために躊躇いなく人道的ではない行為を実行に移せるほど場数を踏んでいない。
最後の抵抗を試みるダイバに目を向けながら考え事をするトキヤに、背後から声がかかった。
「貴様の仕事に口をだすつもりはない。――が、一体何を求めているんだ?」
「鍵ですよ。例のお屋敷の【開かずの間】の鍵。あれがどうしても必要なんです」
「鍵?」
シノはわずかに眉を動かすと、おもむろに床―― 書物机の下を指差した。
「その鍵がどういうものかは知らんが、"それ"のことじゃないのか」
「……え」
シノの指差す方向に目を向ける。すると、ダイバの襲撃前にちょうどトキヤが立っていた場所の近くに、金色に輝く鍵が落ちていた。床に一切の注意を払っていなかったので、いつからそこに鍵が転がっていたのかはわからない。しかし、トキヤにとってそれはもはやどうでもいいことだった。
すぐに拾い上げて確認してみる。重さ的に純金製というわけでもなさそうであるのに、鍵は不自然なほどの黄金色をしている。その表面はなんとも言えずベタついており、触れると指にその感触が残るが、しばらくすれば乾燥して気にならなくなった。
――【真実の輩】を捕らえる儀式には、特殊な蜜に浸した鍵を用いる。
ソフィアの説明を思い起こしたトキヤは、少々の躊躇いを感じつつも、鍵を鼻に近づけてみる。
金属特有のにおいにまじり、ほのかに甘ったるい香りがした。
「……どうやらこれで間違いないようですね」
「それが目的のもので間違いないのか?」
「ええ、また助けられましたね、ありがとうございます」
「これも仕事の内だと思っておく。……用が済んだのならさっさと撤収するぞ。長居をしてもいいことはなさそうだ」
「そうしましょうか。……ですが、彼のことはどうしますか?」
トキヤの言う彼とは、もちろんダイバのことである。
いよいよ自分の今後について会話がなされ始めたと気がついたダイバは、身を固まらせた。
「殺してどこかに捨てる―― というのが一番冴えたやり方だとは思うが、そこまでするのが嫌なら、このままここに放置しておけばいい」
「拘束したまま、ですか?」
「当然だ。ここでコイツを開放することには賛成出来ない」
「じょ、冗談じゃねぇ!」
ダイバの悲鳴は黙殺された。
「警察に突き出すわけにもいくまい? コイツが我々に危害を加えたのは事実だが、我々が今ここに立っていることも問題といえば問題だ」
「確かにその通りですが……」
「とにかく、ここからシュト行きの電車に乗り込むまでは、確実に時間を稼がねばならない。……運が良ければ死なずに済むだろう。下にはコイツが金で雇った有象無象が昏倒したままだ」
ここに縛られたまま放置されれば、ダイバはいずれ死ぬだろう。シノの言うとおり死なずに済むかもしれないが、とても楽観視はできない。ダイバは自分の末路を想像したのか、もはや何も言えなくなっている。
「ですが……」
ダイバは掛け値なしの悪党だが、それでも見殺しにするのは気が引けた。トキヤはそういう選択を迫られる環境に生きてこなかったからだ。
だが、シノは違う。彼はしばらくトキヤの目を睨めつけたあと、かすかに嘆息を零した。
「貴様の"それ"は慈悲ではなく自己満足であると自覚しろ。……問答している時間が惜しい。貴様がコイツに情けをかけるというのなら、こうするまでだ」
そう言うや、シノは自分で床に投げ捨てておいた導管の一部―― おそらく屋敷のどこかから"むしりとった"のであろう―― を拾い上げ、床に転がっているダイバに向かって躊躇いなく振り下ろした。
「何を!」
止める間はなかった。
シノの放った一撃は、恐怖で硬直するダイバの左脚を捉えた。
すさまじい衝撃と絶叫が部屋を揺すった。どうやら先程トキヤを助けた一撃は、彼の本気とはかけ離れたもののようだった。周囲の棚や書架に積もっていた埃が一斉に宙を舞う。常識では計り知れないほどの怪力である。いったいどのような鍛え方をすればそれほどの膂力が手に入るのか。トキヤにはそれが、まさに「天を揺るがすほど」のものであるように感じられた。
シノの攻撃が、どのような効果を齎したかは一目瞭然であった。ダイバの脚はみるみるうちに無残にも腫れ上がり、変色した。内部がどうなっているかは想像したくもない。
今度は足を砕かれたダイバは、激痛に耐えかねたのか意識を失っていた。体から分泌・排泄されるであろう"ほとんど"の液体を垂れ流しながら痙攣している。あまりに凄惨なその光景に、トキヤはしばし言葉を失ったあと、思い出したかのようにハンカチーフで口元を覆った。
シノは自分でやったことに大して感慨も抱いていないようで、もう一度無造作に凶器を床へと放り投げると、ダイバを縛っている縄を解いた。
「これで目が覚めても簡単に追ってはこれないだろう」
「追ってくるも何も、彼はもはや歩けないのでは」
「問題ない。足の代わりならここにある」
そういって、自ら放った導管を指差す。たしかにサイズ的には杖として扱えなくもない代物だが――。
「貴様の甘ったるさが余計な痛みを産んだ。覚えておくがいい」
そう言い残すと、もはや用はないとばかりに部屋を出て行くシノ。
細かに痙攣しながら気絶しているダイバを見下ろしつつ、トキヤもそれに従った。――釈然としない気持ちを抱えながら。




