#18
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「やれやれ、とんだ乗り心地だった」
思わず口にしてしまう程度には疲弊していた。
正午を過ぎたころ、機関車はようやく目的地である地方の町に到着した。シュトのプラット・ホームの三分の一の大きさもないであろうホームに降り立つ。このホームにて下車する乗客はトキヤ一人のようで、機関車が去ると物音一つしなくなってしまった。
体が痛く、気分も悪い。大きく息を吸い込むと、ながらく味わうことのなかった"新鮮な空気"が肺を満たしていくのがわかった。この地方の町の空には青色がある。限りなく黒い煙を吐き出す工場群が存在しないからである。シュトのような色濃い西洋文化の影響も見られない。ホーム周りの建物には近代化の兆しが見られるが、人々の生活圏にまでは及ばないだろう。
この地ではまだ、ヒトは自分の力で火を起こし、水を汲み、食物を生産して暮らしている。消費文化ばかりが発達したシュトには失われて久しい光景がいくつも存在している。西洋の片田舎で育ったトキヤにとっては、それが懐かしく思えた。
気分が落ち着くのを待ってから、トキヤはほとんど客の入っていないカフェで軽食を取り、約束の時間が訪れるのを待った。先方はトキヤが訪ねて行くというと、わざわざ迎えを寄越すと言ってきた。トキヤは遠慮することを考えたが、それを見越していたのか、機関車が到着するホームのある場所から領主の館までの道程は、人の脚で一時間半、道の状態が悪ければ二時間かかることもあるほどの距離であるという事実も付随して伝えられた。
あまり気乗りはしなかったが、それを聞いてまで申し出を突っぱねるのも気が引けた。トキヤは当然、サギリ・ホウジョウやその周辺の人々に気を許してはいなかったが、「推論」から発生した一方的な感情で礼節を欠いた態度をとることは、文明人としての在り方を問われかねない無法である。
それに加え、時間の問題もあった。先方は個人的な通信環境を持っていない。通信局を仲介してお互いの意思を伝え合うには相応の時間が必要になる。みすみす相手に準備期間を与える結果になる。
トキヤが申し出を受けると、先方はトキヤの到着時刻に併せて使用人を寄越すと言ったきり、それ以上何の通信も寄越さなくなった。おそらくは形式的なやりとりを行う時間を惜しんだのであろうが、その沈黙がなんとも言えず不気味であったのは特筆すべき事ではないか。いずれにしろ、トキヤの今後の行動は、サギリ・ホウジョウの寄越す使用人とやらに左右される。これによって時間を稼がれているという気にもなったが、それは考え過ぎというものだろう。
トキヤが到着してから四十分ほど経ったころであった。
カフェのテラス席でぼんやりと空をみあげていたトキヤの耳に、車輪が転がる音と、馬の蹄の立てる音が飛び込んできた。
慌ててカップの底に残っていた珈琲を干すと、代金をテーブルの上に置き、目立つ場所まで移動する。すると、御者の男のほうが勝手にトキヤのことを見つけ、歩み寄って話しかけてきた。
「トキヤ・カンザキ―― さん。で、間違いないですかい?」
「ええ、そうです。間違いありませんよ」
トキヤに話しかけてきた極東人の男は、とても上流階級に召し抱えられている人間には見えなかった。
背丈はトキヤに比して小さいが、ずんぐりとしていて筋肉質であり、目つきはひどく荒んでいる。服装だけが整っているせいか、つぎはぎめいた違和感が色濃い。
「あっしはサギリ奥様に雇われているモンで、本日の御者を勤めさせてもらいます。奥様の申し付けで、カンザキさんをお迎えに上がりました」
あまりこういった言葉遣いをする機会がないのだろう。男は時折深くしわの刻まれた眉間をわななかせながら、いちいちひとつひとつ記憶の中から言葉を引っ張りだすようにして喋った。
今のところ、敵意は感じない。だが、御者の男は一定の興味をトキヤに抱いているようで、視線はトキヤを捕らえて離さない。どうにもただの御者であるとは思えないが、ここで詰問しても得られるものはなさそうだ。
トキヤは納得したふりをして応じると、御者の男―― ダイバと名乗った―― が勧めるままに馬車へと乗り込んだ。地方の名士が所有している馬車だけあって、座席の座り心地は行きがけに味わった機関車の座席のそれと比べるべくもない。ただ、極東人の身体的な特徴に合わせて造られているせいか、天井が低く少々窮屈に感じた。
馬車が出発して数十分もすると、周囲の景色からは近代化のにおいが消え失せた。
田畑に極東旧来の家屋。野良着で歩きまわる人々。極東に移り住んでからというもの、ほとんどシュトの外に出たことがないトキヤにとっては、新鮮な光景であった。
「ところで、都の探偵さんが本日はわざわざ、どのようなご用件で?」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、ダイバが大きな声でそう訊ねてきた。どうやらトキヤの生業については、雇い主から聞かされているらしい。要件そのものについては何も聞かされていないのか、それともそういったふりをしているのか。表情が見えないうえに、馬車の立てる音で声の微妙な調子で判断することができない。トキヤはこの会話に付き合うべきか逡巡したが、
「奥様の旦那様―― イツキ・ホウジョウ氏についてお訊きしたいことがありまして」
「旦那さんについて調べているんですかい?」
核心には触れず、嘘ではない言葉で反応を見ようと考えた、ダイバは呆けたような質問を返しただけであった。
「ええ。……話によれば、だいぶん前に失踪なさったとか」
「そン通りです。もう十年になりますかねェ。突然いなくなっちまって、そりゃもう大騒ぎになった」
思わぬ収穫に、トキヤはわずかに表情を緩めた。意外にも、ダイバはサギリに仕えて長いようである。
「当時の奥様の様子はどうでしたか?」
「取り乱しておいででしたよ。それをあっしらでなんとか宥めて、手をつくしたんですがね。結局旦那さんは見つからずじまいで……」
「ホウジョウ氏がいなくなってしまったことは、警察には?」
「地元の連中―― ま、ほとんど自警団みてェなもんですが、そいつらには手伝ってもらいましたよ。都市警察にゃ話は通してません。そういう指示だったンで」
「指示、ですか。それはサギリ奥様の?」
「いンや、当主様…… つまり、サギリ奥様の義弟君の命令ですよ。これ以上の醜聞はごめんだ、ってね」
「ホウジョウ氏の捜索はそれからどうなりましたか?」
「一年くらいで誰も手を付けなくなりました。なにひとつ手がかりがないもんでね。それに、当主様から圧力もかかっていた。『いなくなったものはもう諦めろ』ってね」
「もしや、当主様はそもそもホウジョウ氏の捜索について乗り気ではなかったのでは?」
「そりゃ、あんた…… ここだけの話にしといてくださいよ? 正直な話、あまり兄弟仲はよろしくなかったみたいでね。いなくなって清々したみたいなことを言っているのを、あっしも聞いたことがあります」
「奥様は何も言わなかったのですか?」
「立場的に厳しいですからねェ。結局何も言えずじまいってやつで。三年くらい前までは塞ぎこんでました。今はもうだいぶん落ち着きましたけンど、自分からはその頃の話はしたがりません。いいかげん忘れたいと思っているんじゃないんでしょうかねェ」
ダイバの話を聞きながら、トキヤはもはやこの世でホウジョウが見つかることを祈っているのが自分だけなのではないかという気にさえなっていた。それがなんとも物悲しかった。
「もう一度言っておきますが、あっしが今喋ったこと、奥様や当主様には言わんでおいてくださいよ。首が飛びかねん」
「もちろんです。ボクの胸のうちに留めておきます」
「そいつはありがたい。……で、ついでにあっしからもうひとつ質問があるンですが」
ガラガラと車輪の転がる音。そのなかではどうにも聞き取りづらいダイバの低い声音が、更に一段回低く、脅すような音を孕み始めたことを、トキヤはかろうじて知覚した。
「どういった理由で旦那さんのことを調べているんです?」
「ボクは探偵です。仕事に関して目する権利と義務を持っています」
自身は調子を崩さず勤め、なるべく平坦な声音で即答するトキヤ。
「ですが、ここまで聞き出しておいて何も教えないというのはあまりに失礼ですから、ボクの受けている仕事に関する情報は避けて、今のボクの目的に関して少しお話ししましょう」
「へえ」
「ボクはホウジョウ氏の行方を探しているのです。生きた状態で見つかるのが望ましいですね。色々と―― 訊きたいことがあるものですから」
「…………」
それは偽らざる本音であり、挑発を含んだ言葉であった。
ダイバはトキヤの言葉になにか言うでもなく、沈黙した。
馬車は止まることはなく、前進を続ける。遠くにちらりと洋風の館が見えてきても、ダイバはそれからひとつも口を聞くことをしなかった。




