#17
#17
イツキ・ホウジョウの生家は、今や極東の島国の中心地となっているシュトから見て、北東に位置する山間の町にある。町の規模は小さく、シュトのような極端な近代化は迎えていないが、シュトにおいても消費量が多い食品の産地であるため、比較的裕福な土地であると言えるだろう。
物品運搬のために早い時期に線路が敷かれたため、幸いにも行き来には困ることがない。汽車を乗り継ぐことによって、半日かかるかかからないか程度の距離である。当初予定通りに事が運べば、二日。最長でも三日を見込んだ旅路だ。
たった二日三日でも、出張費は相当にかさんだ。もしも今回の事件を解決できないようなことがあれば、大赤字では済まないだろう。相手がそれほど学生ということもあり、調査費用の請求は見込めない。ゆえに、トキヤのこの行動は、様々な意味合いで「思い切った」行動であると言えた。
午前のまだ早い時間、トキヤは九番地区にあるプラット・ホームに立っていた。
この駅は国内のあらゆる場所―― 線路の敷かれている場所、という意味である―― に続く玄関口である。路線を走行する汽車は、市内環状線を走るものに比べてさらに大型の蒸気機関車である。客車も貨物車も常に出入りを繰り返しているので、駅の構内は昼夜問わずに騒がしい。駅員の張り上げる声や笛の寝、機関車の汽笛、機関の音。実に様々な音にあふれている。
トキヤは極東に技術を提供する側の国の出身であるが、彼自身は現代技術を身近に育ってきたわけではないので、こういった場所にはなかなか馴染めない。なんとなく自身がひとり取り残されているような感覚を味わうのだ。
連れも居ないので、心細い気持ちを共有する相手も居ない。切符を握りしめたまま立ち尽くしていると、トキヤが乗り込む予定の機関車が車庫の中から蒸気を吹き上げつつ現れた。
ホームにはトキヤを含め数十人の乗客の姿があったが、トキヤと同じ方面に向かう機関車に乗り込む人間は片方の指で数える事ができるほど少なかった。
シュトに入り込んでくる人間は多いが、出て行く人間は少ない。特別な用事さえなければ、シュトから出る必要が無いからだ。
やがてくぐもったアナウンスが構内に響き、駅員によって客車の扉が開かれる。おざなりな切符の確認が済めば、あとは出発を待つだけとなった。
客車には等級があり、トキヤが乗り込んだ車両は当然のごとく一番下の等級のものである。乗客は列を成した座席のうち、開いている場所に陣取る。仕切りも何も存在しないのでプライベートも何もあったものではないが、乗客は少ないので実質貸し切りのようなものである。
トキヤは他の乗客から離れた座席に着席すると、座席の感触を確かめるように体を揺らした。木製の座席は硬く、長旅にはあまり向いていなさそうだ。目的地に着いた際の疲れと体の痛みを想像してみるに憂鬱だが、文句を言う立場でもない。
トキヤは居心地の悪さにため息をこぼすと、コートのポケットから愛用の手帳を取り出して開いた。そのまま特にやることもないので、ページを適当に繰りながら目的についての再考を始めることにしたのだ。
手帳の最後のページには、今回の事件の概要と得た情報、これからの行動の指針が整然と記されている。良くも悪くも今回は情報を整理するための時間が多くあったので、手帳の内容はそれまでのどの部分よりも洗練されていた。
――現在のトキヤの目的は、現オオトミ邸の【開かずの間】に潜む【真実の輩】をあるべき次元に戻すために必要な道具である【鍵】を見つけることだ。
これまで得た情報から、鍵は【真実の輩】の召喚者であると目される、元・権利者―― イツキ・ホウジョウが持ち去ったと考えられている。そのホウジョウはといえば、彼が家を手放した十数年の間に失踪してしまっており、今のところその行方を知る者・心当たりのある者には出会うことができていない。
ホウジョウは広く浅いつきあい方をする人間であったらしく、そもそも彼が見ぬ間に失踪していたという事実を知っている人間すらほとんどいないというありさまだ。
唯一深い事情を知っている可能性があったのは、ホウジョウの親友であったという外国人作家のみだが、この人物はホウジョウの失踪の件を探ろうと件の家に調べに入った際、何者か―― 後の調査で【真実の輩】の仕業であるという見込みが強まった―― に殺害されてしまっている。つまり、調査を始めた段階で、もっとも重要な情報を握っていたと思われる人物は死んでしまっていたのだ。
トキヤはなんとかホウジョウが姿を消す以前の動向を調べようと試みた。失踪の原因がわかれば、捜索の指標となるかもしれないと考えたからだ。その結果、ホウジョウは家を手放す二年半ほど前に、当時わずか三歳の娘を攫われ、殺害されていたことが判明した。
当時の記録はほとんど残されていなかったが、偶然にも叔父の知人であるサガミハラ主任捜査官に話を聞くことが出来、事件の詳細を知る。結局未解決のまま終わってしまったこの事件が、ホウジョウ失踪に関係しているのではないかと考えるトキヤであったが、それ以上のことはわからずじまいであった。
とにかく、イツキ・ホウジョウと親しかった人間の情報が不足している。
友人、知人、使用人。すべて空振りだった。……となれば、もっとも彼と親しく、彼の心の支えであったはずの妻。もはや彼女に話を聞くほかはない。
それあで所在不明であったが、サガミハラが最後に寄越した"情報"を頼りに、トキヤはイツキ・ホウジョウの妻。サギリが夫の実家に身を寄せていることをようやく突き止めることが出来たのだった。
――あなたのご主人について、お話を伺いたいと思います。という旨を直近の通信局に送ったのが、こうして出張ってくる日の二日前。返信があったのはその次の日の事であったから、いささか性急とも言えなくはない旅路である。
理由はいくつか存在するが、礼節と相手に「心構え」をさせる時間を与えないことを天秤にかけた結果というのが一番の理由であった。未だに可能性の域を出ることはなかったが、トキヤのなかにはある"推論"ができあがっていたのである。それによれば、サギリ・ホウジョウは必ず何かを"隠している"。事と次第によっては、その秘密を暴くことも必要になるかもしれないとトキヤは考えていた。
サギリ・ホウジョウは文面上では快くトキヤの申し出を受け入れている。――果たしてどのような心境で待ち受けているのか。少なくとも安易に突っぱねることをしなかったあたり、迂闊な人間ではないように思える。
最低限とはいえ時間を与えてしまっているのだから、トキヤは覚悟を以って臨まなければならない。たとえトキヤが考えるような事実がなかったとしても、だ。
トキヤが手帳を閉じるのとほぼ同時に、重苦しい汽笛が響いた。発車の合図である。
(……やれやれ、まだ先は長いというのに今からこんな調子では、着くころにはヘトヘトになってそうだ)
最近は緊張状態が多く続いている。こういう環境に慣れきってしまうのも問題だが、気負いすぎるのはそれ以上に問題だ。肝心なときにパフォーマンスが低下してしまう。
少しは落ち着きを取り戻すべきと深呼吸を繰り返すと、連日のオーバーワークに押しやっていた眠気が少しずつ首をもたげてくる。低等級の車両では居眠りをするべきではないというのが通説だが、完全に寝入ってしまわなければさほど問題はないだろう。
さっそく緩み始めた思考に絆され、体制が崩れていく。
一度意識が決壊すれば、疲れた体は眠りの沼に容易く沈みこんでいった。
この後トキヤは寝入ってしまうのだが、環境の悪さと長時間同じ姿勢でいた事が災いし、すっかり体を痛めてしまうことになったのだった。




