#15
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「いやー、すっかり待たせちまって申し訳ないね、サガミハラ先輩」
情報収集の機会をくれてやる。――そう言ったきりなにも説明しようとしないスメラに連れられ、トキヤは応接間にやってきた。
スメラの探偵事務所は、あくまでも一個人の所有する事務所としてはかなりの規模を誇り、資産量も相応である。まだ昼間だというのに、燃料式の室内灯が灯り、空調設備が働いている。トキヤもかつてはこの事務所で多くの時間を過ごしていたはずだが、今はその居心地の良さが却って不自然に感じるほどだ。
――この調子では、あいも変わらず毎日規定配給量以上のエネルギー消費をしているのだろう。オーバーした分については料金がかかるはずだが、スメラはそういったことに拘らない。金を集めるのも好きだが、豪快に消費することもまた好きな男なのである。
ちなみに、トキヤの住む地域では、エネルギー消費量が規定値を越えると、導管の弁が閉まってしまうようになっている。余計な出費がなくなるといえば便利な気がするものの、今や大型蒸気機関によって生み出されたエネルギーがなければ湯を沸かすのにも苦労するような時代である。万が一の時には黙って耐え忍ぶことしかできなくなってしまうのだ。……そのエネルギーも元を正せば火を起こして水を沸かして作っているのだから、「湯も沸かせなくなる」というのはなんとも皮肉な話である。
――さて、その別世界のように居心地が良い応接間には、トキヤよりも先に一人の壮年の男が通されていた。
快適な温度に感じる室内においても汗をかき、何度もハンカチーフで顔を拭わなければならない原因は、立派な体躯にあるのではないか。
でっぷりとつきだした腹は、サスペンダーで押さえつけていなければ、さらに強く存在を主張していたことだろう。
スメラによって「サガミハラ先輩」と呼ばれたその"ふくよか"な男性は、人の良さそうな笑みを浮かべて応えた。
「おお、おお、カンザキ君。面倒をかけるのはこっちだからね。何も気にしとりゃせんよ。……それで」
サガミハラの視線が、スメラのあとから入室してきたトキヤへと向く。
「彼は?」
「俺の甥っ子だよ、先輩」
トキヤが自己紹介を始める前に、スメラがあっさりとその正体をバラす。すると、サガミハラの小さな目が限界まで見開かれた。スメラの甥の見た目がほぼ西洋人であることに驚いたのかと思われたが、どうもそうではないようである。
「なんと、君に甥っ子が居たのか! ……しかし君の甥っ子となると、やはりトキコ女史の――」
「あれ、先輩って姉貴のこと知ってましたっけ?」
母のことを知っているんですか。
トキヤの言葉はまたしてもスメラによって阻まれた。意図しているかのように。
「知っているとも。なにせ同年代だ。直接面識はないが、わしくらいの年代で、彼女のことを知らんやつはおらんだろうよ」
「そういえばそうでしたっけね、先輩老け顔だから、同年代だってこと忘れてましたよ」
「失礼なやつだな君は! わしは君と違って気苦労が絶えないから――」
「はいはい、そこまで。今日はコイツを先輩にただ会わせるために呼んだわけじゃないんだ」
「と、言うと?」
「コイツは俺と同じ商売をしているんだが、どうにも仕事で行き詰まっているらしくてね。コイツの知りたがってること、市警勤めの長い先輩なら知ってるンじゃないかと思いまして」
「そりゃ、わしの知っていることなら答えることに吝かではないが」
「だったらちょっと付き合ってやってくださいよ。"相談"はその後でもいいでしょう?」
「……君には貸しが山ほどあるからな。少し話をするくらいなら、いいだろう。ただし、時間はあまり取れんぞ?」
「よし、ほら、おまえの訊きたいことを訊いてみな」
そこでバシリと肩を叩かれ、背を押される。どうやらこの場において、母のことについて追求するのは「ルール違反」であるらしい。
トキヤがこの国に住み始めてからというもの、母について知る人物とは会った例がなかった。それもそのはずである。トキヤの母である女性―― トキコ・カンザキは、約二十六年も前にこの国を出たきり一度も戻っていないのだ。彼女について詳しく知る人間は、ごく限られる。
少しでも母を知る人間と会話をしてみたいという気持ちはあったが、相手も自分もプライベートで会っているわけではないのだ。スメラが言いたいことはそういうことなのだろうと思うことにして、今すべき話を進めることにした。
「さきほど紹介に与りました、トキヤ・カンザキといいます」
「ふむ、ふむ。わしも改めて名乗っておこうかね。名はコタロウ・ザガミハラと言う。市警の捜査官だ」
「頭に主任、とつくね」
スメラが茶々を入れるように補足する。どうやらサガミハラは、市警においてそれなりのポストにあるらしい。スメラの紹介に少し気を良くしたのか、大きな腹を僅かに前にそらし、
「まぁ、そういうことだ。わしは市警に勤めて今年で二十二年目でね。事情には通じているつもりだが、一体何を訊きたいのかね?」
「十年以上前の事件のことなのですが――」
見た目や調子の乗りやすさから、すこしばかりサガミハラという男に対して不安を残しつつ、トキヤはホウジョウの娘の失踪・死亡についての一件について訊ねてみることにした。
なにしろ、十年前の話である。トキヤは自分の持っている情報を駆使し、なるべく詳細に語って聞かせたのだが、
「ああ、その一件か。よく覚えておるよ」
サガミハラは意外にもあっさりと頷いてみせた。一切の間もなく応えてみせたのでトキヤが少なからず驚いていると、スメラが横合いから「先輩はああ見えて、かなり記憶力に優れているんだぜ」と囁いてきた。
「こう言ってしまってはなんだが、世間にとってはさほど重要な事件ではなかったな。ただ、関係者の荒れようが尋常ではなくてね。それが印象的だった」
「事件の概要をお教えいただけますか?」
「……まぁいいだろう。捜査はすでに打ち切られていることだしなぁ」
立派に整えたカイゼル髭を撫でつけながら、サガミハラは語る。
「ホウジョウ氏の妻が目を離した一瞬の隙に、娘がいなくなってしまったんと言うんだ。当初は単純に「捜索願」として市警に持ち込まれた。当初は―― 身内の怠慢を晒すようで気が引けるが、あまり熱心には動いていなかった。あのころは人員も足りていなかったし、それよりも重要だとみなされる事件が幾つもあったからな」
市警に娘がいなくなった、攫われたのだ―― と市警に駆け込んできたのは、イツキ・ホウジョウその人であったという。普段はめったに人前に姿を表さず、物静かであまり口を聞かない人物だったとされているが、この時ばかりは目をいっぱいに剥いて取り乱し、対応した者を早口で圧倒したそうだ。
「ホウジョウ氏は市警だけでなく、民間の探偵などにも娘を探すように依頼をしていたようだ。しかしまぁ、捜索が始まって三日も経てば、次第に誰もが諦念を持ち始める。金銭目的の犯行とするには効率が悪いし、第一犯人側から一切の音沙汰がなかったからね。そもそも、本当にこれは誘拐事件なのか、と疑問を隠さずに周囲に吐露するようなものも居たように思う」
「……娘が自分からいなくなった可能性について、関係者はなんと言っていましたか?」
「ありえない、と。妻が目を離したのは、二分か三分。当時娘は三歳になったばかりで、その程度の時間では親の目が届かない場所まで移動するのは不可能だと言っていたよ。それについては、わしも同感だ」
娘が失踪した現場は自宅の庭であった。
ホウジョウの妻は娘の姿が見えなくなったことに気づくと、慌てて周囲を走り回しながら捜索したが、娘を見つけることは出来なかった。わずか二三分の間に三歳児が親の目の届かない場所に移動したとは、確かに考えにくい。
「なるほど。状況的には誘拐の線が濃い。誘拐は明確な「目的」があって行われるものです。被害者の家族に金銭を要求するような動きがないのなら、怨恨か、あるいは――」
「……うむ、うむ。とにかく、おそらくは無事ではいまいと思っているものがほとんどだったよ。今でこそ言えることだが、わしもそのひとりだった。そして、その考えは違わなかったのだ」




