2-2・鴨亡く
「大方の処理としてはこんなところでは?」
そう言って、俺は冷めたコーヒーを飲み干した。
トラブル対応はほぼ終盤だった。どうやら電話してきた社員以外にも出社している真面目な人員がいるようで、作業は比較的スムーズに進んでいる。
「あとは俺がいなくてもなんとかなるんじゃ……」
ふと、タブレット端末の時刻表示が視界に入った。午後三時十五分。
「うわあっ!」
突然叫んだ俺に『どうしました!?』と声がかかる。俺はそれを無視して通話を切った。タブレット端末を鞄にしまい、空になったコーヒー容器を掴んで分別して捨てながら足早に店を出た。
約束の時間を十五分も過ぎている。トラブル対応はスムーズに進んだが、ちょっと忙しかった。認めよう。ちょっとだけ忙しかった。しかしそんなものは言い訳にはならない。明崎さんとの待ち合わせなのだ。何においても優先されなければならない。
喫茶店の方向へ歩きながら、いや走ろうか迷いながら、競歩くらいのスピードで歩きながら、ふとその足をある道の前で止めた。
駅から喫茶店までの道中、住宅街に向け一本入ったところにパトカーが止まっていた。ある家の前に黄色いキープ・アウトが貼られ、数人の警察官がうろついているのが見える。
何かあったのだろうかと野次馬しそうになり、いや、いや! 明崎さんこそが優先されてしかるべき! しかし、こんなに近所でなんらかの事件が起こっている場合、その危険が明崎さんに及ぶかどうかは確認しておかなければならない……。
俺はしばらく悩んだが、結局、野次馬しに行くことにした。何があったか聞くだけだ。露払いもまた俺という助手の役割だろう。
事件が起こったらしい家の前へ、俺は進路を切り替えた。
「何かあったのですか?」
近くにいる警察官に声をかける。警官の男は「あーはいはい、立ち入らないようにね」と返した。別に立ち入ろうとはしていないうえ、質問への回答とも言いづらかったので、俺は黒繰の名前を圧力としてチラつかせるか一瞬迷った。
が、その必要はなかった。なぜなら現場の家のキープ・アウトをくぐって見知った顔が出てきたからだ。
「おや、士道さんじゃありませんか~」
気さくを装い大きな声で発言すれば、士道は俺の姿に気付いて「げっ!」と声を上げた。
「なんでこんなところにいやがる!」
「近所の喫茶店に用があるだけです。それより、何かあったのですか?」
「ええい、関係者以外立ち入り禁止だ! どっかいけ!」
「別に立ち入ってはいないんですよね~」
士道は一瞬だけ『たしかに』という表情をしたが、すぐに頭を振って「とにかく、今ァ忙しいんだ! アンタに構ってるヒマはねえンだ!」と手で俺を追い払う仕草をした。
「ただでさえ変な噂が出回って対応に追われてンのに、ここ最近事件続きだ! 探偵の嬢ちゃんがいるンならともかく、アンタ一人しかいねえってンなら俺ァ今度こそ折れねえからな!」
「なるほど。黒繰の名前には屈しないと」
「そうだ!」
でも情報が漏れてるんだよなあ。
俺はキープ・アウトの外側で腕を組んで、内側でなにやら対応に追われる士道を見ながら言った。
「変な噂って週刊誌報道のあれですか? インターネットで殺人トリックが買える、っていう」
俺の鎌かけに、士道は「あァ!?」と勢いよくこちらを振り向いたあと、図星の顔で「……もう話しかけンな!」と怒鳴った。
その反応から警察内でも噂になっていることを確信した俺は、しかしどこか冷めた目で動き回る警官たちを眺めた。
ここ最近、週刊誌の報道を中心に『ネットで殺人トリックが買える』という噂が出回っている。実際に事件を起こした容疑者の中には『自分はトリックを買っただけだ』と証言する者がいるとか、いないとか。週刊誌は国家に対する陰謀説だとか世を混沌に導く組織説だとか今後も調査を続けるだとか真偽もわからないくせに面白おかしく書き立てている。
もちろんすべてに目を通している。俺の店の記事だ。
が、所詮は週刊誌。俺に繋がるようなクリティカル情報は書かれていない。警察としても誰が運営しているのか、そもそもそんな店が実在するのかまだ不透明といった状況なのだろう。だから『変な噂』程度なのだ。
それでも、無視できない程にその風聞は大きいのだろう。俺の客が捕まっていることは事実だし、少しでも罪を軽くするため店のことを話す輩もゼロではないはずだ。ただ今は店が実在するのかしないのか、それとも罪状の責任転嫁のための都市伝説なのか調査中といったところか。
まあ、正直どちらでもいい。どうせ気まぐれに開いている店だ。気まぐれに閉めてもいい。実際、開いたり閉めたり移転したりは日常的にやっている。足がつくと流石の俺でも――黒繰の権力を乱用したとしても捕まってしまう。それを防ぐための対策は十全にも万全にもしているつもりだ。
しかし週刊誌報道によってハッキリ困っていることもある。それは俺の店につけられた不名誉なあだ名、というか煽り文句だ。
いわく『匿名殺人伝道師』――カタカナでルビを振って『アノニマス・キラー・プロデューサー』だそうだ。どうにかならなかったのか、その呼び名は。もっと他にあるだろうが。死ぬほどダサい。呼ばれたくない。
とにかく、警察でも俺の店が話題になっていることが確認できただけ収穫だろう。
うん? そもそもなんで警察に声をかけたんだっけ?
何か重要なことを思い出そうとしたところで、背後から声がかけられた。
「黒繰さん!? こんなところに……!」
鈴のような可憐な声音が俺の鼓膜を震わせる。思わず組んでいた腕を解きながら振り返ると、そこには赤縁眼鏡におさげ姿の可愛い可愛い明崎さんが立っていた。
「あっ――きさきさん――!」
しまった、まさかこの俺が明崎さんを忘れ行動するとは。
「電話、しばらく繋がらかったからもしかして帰っちゃったのかと……でも、見つかってよかった」
明崎さんは俺の無事を確認したことで、安心したように軽く微笑んだ。
もしかして、待ち合わせの喫茶店から出て俺のことを探してくれていたのだろうか? たしかに、電話は三時十五分まで会社の人間が独占していたため繋がらなかったという認識で相違ない。早めにお菓子が焼き上がっていたなら三時より早く呼び出していた可能性もある。
俺は明崎さんを待たせたことによる罪悪感と、それを上回る『明崎さんに心配された』という事実への優越感に似た高揚感とで内心ぐちゃぐちゃになりながら表面上は平静を装うため軽く目を伏せた。
「心配かけてごめんね。でも、何か事件があったみたいで……放っておけなくて」
嘘は言っていない。
明崎さんもまた現場を見て深刻そうに頷いた。
「そうですね、放っておけません。ちょうど、関係者の方と一緒に喫茶店から出てきたところなんです」
うん?
改めて、俺は明崎さんの後ろに女性が二人連れ立っているのを見つける。野次馬かなにかだと思っていたがどうやらそうではないらしい。
関係者だという二人のうち、長い黒髪をヘアゴムでまとめたロングスカートの女性が「鴨居です」と警官に向け名乗り、言葉を交わし始めた。
「彼女はこの家の家主の鴨居単衣さん。こちらは鴨居さんの高校以来の親友で喫茶店で待ち合わせをしていた鷹柱紡錘さんです。私は二人の付き添いでここにきて、偶然、黒繰さんを見つけたんです」
俺を探しに来てくれたわけじゃなかったのか……。
高ぶっていた気持ちが一気に冷めていくことを自覚しながら、改めて関係者だという二人を見る。
家主の鴨居単衣。三十代前半くらいの気弱そうな女性だ。飾り気のない黄みのトレーナーにモスグリーンのロングスカート。手袋にロングブーツ、紺のマフラー。肌の露出はほとんどないが頬に絆創膏を貼っている。
その鴨居の友人だという鷹柱紡錘。同じく三十代前半くらいだがこちらは活発そうな印象だ。明るく染めた茶髪を肩より短く切り揃え、柄物のニットに黒のスキニーパンツを合わせている。靴はスニーカー。爪には赤のマニキュアが塗られていた。
「げっ! 嬢ちゃんまで!?」
キープ・アウトの向こうから聞こえてきた悲鳴に視線をやると、そこでは士道が顔を引きつらせていた。
「士道さん! この間はありがとうございました! あの、今回は私たち鴨居さんの付き添いで……」
「だっ……駄目だ! 関係者以外立ち入り禁止だ!」
「家主の知り合いなら関係者では?」
俺からの指摘に、士道は頭を抱えながら渋々言った。
「……今回は強盗殺人だ。家の中で鴨居朗也さんと思われる男性の遺体が発見された。妻である鴨居単衣さんには、被害男性の本人確認をお願いするため呼んだンだ」
「強盗殺人、ですか……」
明崎さんはいたたまれないといった表情をしたあと「事件の詳細はあとで」と言い残し、生きているほうの鴨居のケアに向かった。
「そっか、あの旦那、死んだんだ」
場に残っていた鷹柱がポツリと言ってから、同じく鴨居のもとへ向かう。
俺は、一応礼儀かなと思ったので士道に確認した。
「俺は関係者の付き添いの付き添いになるんですけど、もうほぼ関係者ですよね?」
士道は額に青筋を立てながら「勝手にしろ……!」と言い捨てた。




