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VENDYS:破産した億万長者が、不殺を誓って摩天楼を駆ける――救った命の数だけ、俺の誇りは積み上がる――  作者: 寝不足魔王


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第12話:Confession in the Mirror

 そこは、音も光も存在しない、完全な「無」の世界だった。


 ジャック・ヴァン・ドレンは、冷たい闇の中に立っていた。

 纏っていたはずのMARK-IIIマークスリーの重みはなく、手足は幽霊のように実感を失っている。


「……"Where am I...?"(……ここは、どこだ……)」


 自身の声さえも、遠い記憶の残響のように響く。

 ふと、暗闇の向こう側に、眩いほどの黄金の光が灯った。


 そこには、かつての自分――ヴァン・ドレン・タワーの玉座に座り、傲慢な笑みを浮かべてシャンパングラスを傾ける「億万長者ジャック」がいた。

 そしてその隣には、厳格な表情で椅子に腰かける、死んだはずの父、エドワード・ヴァン・ドレンの姿がある。


「"Looking good, Jack."(いい格好だな、ジャック)」

 椅子に座ったジャックが、鏡合わせのような冷笑を浮かべて自分を見た。

「泥にまみれ、資産を捨て、挙句の果てに唯一の『眼』だった娘の光まで奪った。……それが、お前の選んだ『高潔な正義』の結果か?」


「"Shut up..."(黙れ……)」


「お前はヒーローじゃない。ただ、父さんの影から逃げ出す勇気がなくて、不殺なんていう綺麗事で自分を縛り付けているだけの臆病者だ」

 エドワードが立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。その足音は、崩落した武器庫の鉄の音と同じだった。

「……認めろ、ジャック。お前が愛したのは、街じゃない。……『誰かを救っている自分』という、救いようのないナルシシズムだ」


 WHAM!


 ジャックの足元の闇が鏡のようにひび割れ、底なしの深淵が口を開けた。

 

『……ジャック……聞こえる……?』


 奈落の底から、か細い、だが震えるクレアの声が響いた。

 それは、現実世界でミストレス・マインドの精神汚染に脳を焼かれ、暗闇を彷徨う彼女の魂の叫びだった。


「"Claire! Hold on!"(クレア! 待っていろ!)」


 ジャックは、自分を嘲笑う幻影たちを振り切り、真っ暗な穴へと身を投げ出した。

 アーマーも、資産も、地位もない。

 ただ一人の「人間」として、自分自身の深淵へと、彼は落ちていった。


 落ちていく闇の底。そこは、ジャックの過去とクレアの恐怖が混ざり合った、壊れた万華鏡のような空間だった。


 ジャックは、冷たい水面に横たわるクレアを見つけた。

 彼女は白く光るドレスのまま、自身の瞳を両手で覆い、震えている。その周囲には、彼女がこれまで視てきた「数千の凄惨な未来」が、割れた鏡の破片となって浮遊していた。


「"Claire... I found you."(クレア……見つけたぞ)」


 ジャックが彼女の肩に触れる。だが、クレアは怯えたように身を竦めた。

「こっちに来ないで、ジャック! ……今の私の頭の中は、真っ暗なの。あなたがこれまで消してきたはずの『死の結末』が、全部ここに流れ込んできている……。私と一緒にいたら、あなたもこの闇に呑み込まれるわ!」


「"I'm already in the dark, Claire."(俺なら、とっくに暗闇の中にいるさ)」

 ジャックは彼女の隣に座り、強引にその手を握った。

「"The bank is empty, and the world is trying to kill me. This is my natural habitat."(口座は空っぽ、世界は俺を殺そうとしてる。ここが俺のいつもの居場所だ)」


『……嘘よ。……あなたは、あんなに眩しい場所にいたのに』

 クレアの声が微かに震える。

『……本当は、怖かったの。私が予言を外せば、あなたが死ぬ。……私が未来を視るたびに、あなたが不殺という「呪い」に縛られていく。……私が、あなたを追い詰めていたんじゃないかって……!』


「"Listen to me."(聞いてくれ)」

 ジャックは、彼女の耳元で静かに、だが確かな熱を持って語りかけた。

「俺が不殺を貫くのは、お前の予言のためじゃない。……お前が視てしまう地獄を、一つでも『なかったこと』にしたい。……それが、俺の自分勝手なエゴなんだ」


 ジャックは、自身の脳裏に浮かぶ「父の肖像」を力任せに振り払った。

「"I told Mind that I'm not a cage. But maybe I was."(マインドには俺は檻じゃないと言ったが……本当はそうだったのかもしれない。父への憎しみや、富への執着……。でも、お前が隣にいたから、俺はこの鉄の服の中で人間でいられたんだ)」


 ジャックの告白に呼応するように、周囲の闇がわずかに晴れ、スチールブルーの光が差し込む。


「"I don't need your 'eyes' to be a hero, Claire."(ヒーローになるのに、お前の『眼』は必要ない)」

 ジャックは彼女の手を自分の胸、心臓の鼓動が響く場所に当てた。

「"I need 'you'. Just you."(俺に必要なのは『お前』だ。ただのお前なんだよ)」


『……ジャック……』

 クレアの手が、ジャックのシャツを強く掴む。

 精神世界マインド・スケープが激しく揺れ、ミストレス・マインドの嘲笑が、遠くでガラスの割れるような音に変わっていく。


「"Let's go back. Together."(帰ろう。一緒にだ)」


 だが、現実は残酷だった。

 二人の魂が戻ろうとする出口には、ジャックがかつて救えなかった「人々の亡霊」が、巨大な壁となって立ち塞がっていた。


 精神世界の出口を塞ぐのは、不気味なノイズを纏った「犠牲者たち」の群れだった。

 

 十年前の爆発事故で命を落とした労働者。ジャックがセレブとして利益を優先した陰で、静かに職を失った人々。彼らの瞳には、かつてのディストピアと同じ、暗い憎悪の火が灯っている。


「"You saved others, but what about us?"(お前は他人を救ったが、俺たちはどうした?)」

 一人の亡霊が、指差してジャックをなじる。


 三角形の頂点。

 ジャックの「過去の罪(亡霊)」と、震える「クレア」、そして「自分自身」。


 現実世界なら、鉄の拳で道を切り拓けたかもしれない。だがここは精神の深淵。ジャックが抱くわずかな「負い目」が、そのまま亡霊たちの巨大な刃となって彼を切り裂く。


「……"I know."(……分かっている)」

 ジャックは反撃せず、亡霊たちの前に身を投げ出した。

 彼らが振り下ろす「後悔」という名の刃が、ジャックの精神体を深く切り裂き、スチールブルーの輝きが火花のように散る。


『ジャック、だめ! 抗って! そのままじゃあなたの心が消えてしまうわ!』


「"No, Claire. This is the only way."(いいや、クレア。これしかないんだ)」

 ジャックは膝をつきながら、自分を憎む亡霊たちの影を真っ向から見据えた。

「"I can't save the past. I can only carry it."(過去を救うことはできない。背負うことしかできないんだ)」


 ジャックは、彼らの憎悪を拒絶するのではなく、その「重み」をすべて自分の中に受け入れた。

 不殺。それは敵を倒さないことではなく、敵が抱く苦痛さえも自分が引き受けるという、究極の受難。


 WHAM!


 亡霊たちの姿が、一瞬にして光の粒子へと変わった。

 ジャックが「自分自身の正当化」を捨て、真実の罪を認めた瞬間、ミストレス・マインドが作り出した精神的な檻が、内側から崩壊を始めたのだ。


「"VENDYS, Reboot! Neural Burst!"(ヴェンディス、再起動! ニューラル・バースト!)」


 精神世界に、現実世界のMARK-IIIマークスリーの駆動音が重なる。

 ジャックはクレアを抱き抱え、崩れゆく記憶の迷宮を突き抜け、眩い光の出口へと跳躍した。


「"Hold on to me, Claire! Don't let go of the 'real'!"(俺に掴まってろ、クレア! 『現実』を離すな!)」


 爆発的な意識の浮上。

 二人の魂が、現実の冷たい雨が降るセント・ミリオネアへと、凄まじい勢いで引き戻されていった。


 意識が、コンクリートの冷たさと雨の匂いの中へと叩きつけられた。


「……カハッ! ……ハァ、ハァ……!」


 ジャックは聖堂の冷たい床で、激しく咳き込みながら上体を起こした。

 MARK-IIIマークスリーのバイザーは粉々に砕け、剥き出しの右目は鮮血で染まっている。

 腕の中では、クレアが深い眠りに落ちたように動かない。彼女の瞳は閉ざされたままだが、その眉間には激痛に耐えるような皺が刻まれていた。


「"Nice trip, Jack? But you forgot the most important thing."(いい旅だったかしら、ジャック? でも一番大切なことを忘れているわ)」


 ホールの闇に、ミストレス・マインドの声が不気味に響く。

 彼女の本体はどこにもいない。だが、聖堂の至る所にあるスピーカーから、彼女の勝利を確信した笑い声が溢れ出していた。


「"What do you mean...?"(……どういう意味だ……)」


「あなたが精神世界マインド・スケープで自分と向き合っている間に、この街の『システム』は書き換えを終えたのよ。……さあ、モニターを見てごらんなさい。あなたが守りたかった、あの美しいスラムの住人たちの姿を」


 ホールのメインモニターに、ライブ映像が映し出された。

 そこには、正気を取り戻したはずのマドンナや住民たちが、自分たちの腕を、そして互いの喉を、信じられないほどの力で締め上げている光景があった。


「"Stop it! I disabled the chips!"(やめろ! チップは無効化したはずだ!)」


「チップ? あんなのただの飾りよ。……私が彼らに植え付けたのは、もっと根深い毒。……『ヴェンディスが自分たちを裏切り、自分たちが殺される』という強烈な恐怖フォビアよ。彼らは今、あなたという『恐怖』から逃げるために、自分自身を終わらせようとしているの」


 ジャックの指先が、怒りで震えた。

 救おうとした行動そのものが、住民たちを死へと追い込むトリガーにされていた。


「"Dystopia was right, wasn't he?"(ディストピアは正しかったわね?)」

 モニターの中で、マインドの幻影がジャックの耳元で囁くように微笑む。

「"Your 'No-Kill' rule is just a slow, painful execution for everyone around you."(あなたの『不殺』は、周囲の人間全員に対する、ゆっくりと苦痛に満ちた死刑執行なのよ)」


 その時、聖堂の影から重厚な金属音が響いた。

 ディストピアの残した「遺志」ではない。もっと実体を持った、冷徹な殺意。

 

 [SYSTEM: ENEMY APPROACHING. NOISELESS UNIT.]

 (システム:敵接近。無音型ユニット)


 ジャックが振り返ったとき、そこには何もなかった。

 ただ、彼の頬をかすめるように、目に見えない「真空の刃」が通り過ぎ、MARK-IIIの装甲を紙のように切り裂いた。


「……"Silent Sister...?"(サイレント・シスター……か?)」


 第4のヴィラン。音も気配も、そして予言さえも届かない「虚無のアサシン」が、ついにその牙を剥いた。


 音が、消えた。


 降りしきる雨音も、ミストレス・マインドの嘲笑も、自身の荒い呼吸さえも。

 ジャックの周囲だけが、真空の底に沈んだかのように静まり返っている。


 SHERE!


 不意に、ジャックの右肩から鮮血が噴き出した。

 装甲が切断されたのではない。肉体そのものが、目に見えない「何か」によって削り取られたのだ。


「……ガ、アッ……!」


 ジャックはクレアを抱き抱えたまま、前転して距離を取った。

 網膜ディスプレイ(HUD)に視線をやるが、センサーは何も捉えていない。熱源反応も、質量反応も、空気の揺らぎさえも「ゼロ」を示している。


(……予言が、ない)


 ジャックは、腕の中で意識を失っているクレアを強く抱きしめた。

 これまでは彼女の「眼」が、死の角度を教えてくれていた。だが、今の彼女は暗闇の中に堕ち、この無音の殺意を視ることはできない。


 シュッ、と微かな風の断絶。


 ジャックは反射的にMARK-IIIマークスリーの左腕を盾にした。

 KLANG!

 厚い鉄板に深い切り傷が刻まれ、火花が散る。その一瞬の光の中に、一瞬だけ「それ」が見えた。

 

 漆黒のスーツを纏い、周囲の光を完全に吸収する死神。

 サイレント・シスター(Silent Sister)。


「"No sound... no presence... just a ghost."(音もなく、気配もなく、ただの亡霊か……)」


 ジャックは血を吐き捨て、広場の中央で立ち上がった。

 バイザーは割れ、片目は塞がっている。クレアを片腕で抱え、残った片腕だけで、見えない死神と対峙しなければならない。


「"Checkmate, Jack."(チェックメイトよ、ジャック)」

 

 どこからともなく、冷徹な女の声が響く。それはミストレス・マインドのような悦びに満ちた声ではなく、ただの事実を告げるような無機質な響きだった。

「"Your 'Oracle' is blind. And you are just a dying man in a broken suit."(あなたの『預言者』は盲目。そしてあなたは、壊れた鎧を着た死に損ないだわ)」


 一筋の閃光が、ジャックの喉元へと迫る。


 その瞬間。

 ジャックの腕の中で、クレアの指がピクリと動いた。

 彼女の閉ざされた瞳の奥で、銀色の輝きが、かつてないほど禍々しく、そして鋭く凝縮されていく。


『……ジャック……。……「音」を……聴かないで……』


 インカムではない。脳内に直接響く、クレアの震える声。


『……「因果」を……聴くの……!』


 ドォォォォォン!


 広場全体が激しい振動に包まれ、聖堂の鐘が、誰の手も借りずに鳴り響いた。

 

 絶体絶命の窮地。

 視力を失った預言者と、すべてを失ったヒーロー。

 二人の魂が、絶望の淵で「新たな共鳴」を始めようとしていた。


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