第7話:【天界の門】ゼロへの回帰
ダカダカダカダカ、ダン!
乾いたスネアドラムの連打が、成層圏の凍てつく静寂を鮮烈に切り裂く。
帝都レガリアの真上、高度三万メートル。そこには雲さえも届かず、青黒い宇宙の淵に浮かぶ黄金の揺り籠があった。帝国が「神の座」と崇める機動要塞『エデン・コア』。
今日、この世界で最も不敬な七人が、神の玄関口に土足で踏み込もうとしていた。
18:00 スカイ・ハイ・アサルト
「……さて。諸君、シートベルトの着用義務はもう解除されている。ここからは、各自がこの世界で最も自由な個体として振る舞う時間だ」
黄金の飛空艇の操縦席で、教授が静かに立ち上がった。愛用のステッキを軽く突き、乱れたネクタイを整えるその仕草は、これから戦争に赴く男のそれではなく、今夜のディナーのメニューを吟味する紳士のようだった。
前方には、神の盾と呼ばれる数千の無人魔導機が、幾何学的な陣形を組み、黄金の幾何学模様を描いて待ち構えている。
「教授、一つ聞いていい? あんた、あの中に何があるか知ってるんだろ?」
舵を握るゴーストが、珍しく酒も煽らず、真剣な眼差しで計器を見つめて尋ねた。
「ああ。あそこにあるのは、この世界の『ソースコード』――運命という名の、実に出来の悪いプログラムだ。……そして、私の前世の『未練』そのものでもある」
教授は眼鏡のブリッジを押し上げ、遠い目をした。
前世の彼は、東京の地下オークション会場を騒がせた伝説の泥棒だった。だが、彼が最期に盗もうとしたのは、歴史的な名画でも時価数十億の宝石でもなかった。彼は、世界の不平等を司る「運命の数式」を暴き、それを書き換えることで、生まれや才能に関わらず、誰もが等しく自分の足で歩ける世界を作ろうとしたのだ。
だが、その一歩手前で「世界の自浄作用」という名の透明な壁に阻まれ、パラシュートすら開かずに消去された。それが、彼がこの異世界に「バグ」として送り込まれた理由だった。
「私はかつて、独りで世界を盗もうとして失敗した。……だが、今回は、これ以上ないほど頼もしい『バグ』たちが揃っている」
教授が振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべ、それぞれの獲物を手にした六人の専門家たちがいた。
18:30 六人の狂詩曲
「敵機接近! 数え切れないくらいいますけど……まあ、僕の『音』の網からは、どんな光速の機体だって逃げられませんよ!」
ウィスパーが、耳を覆うガジェット『反響増幅耳』を最大出力で解放する。彼の意識は数千の敵機すべての振動を捉え、その死角を次々と脳内マップに描いていく。
「ウィスパー、右舷の三機を落とすわよ。アイアン、掃除の準備はいいかしら? この空に無粋な鉄屑は似合わないわ」
ルナが華麗に宙を舞い、手にした扇子から魔惑の粉を散布する。敵機のセンサーが狂い、互いに衝突を始める。
「任せろ。……不潔な飛来物は、一粒残らず叩き落とす」
アイアンが素手で、飛来する極太の魔導レーザーを「掴み」、それを別の敵母艦に向かってラグビーボールのように投げ返した。空に、昼間よりも明るい破壊の花火が咲き乱れる。
「ハハッ! 神様のセキュリティがガバガバだね。OSのアップデートを数万年もサボってるんじゃないかな?」
ハッカーがキーボードを猛烈な速度で叩き、要塞の外壁にある対空砲火を次々と味方に付け直していく。敵が放った弾幕が、突如として反転し、自分たちの要塞を蜂の巣に変えていく。
「おっと、そいつは俺の獲物だぜ! 振り落とされるなよ、野郎ども! 重力なんてのは、ただの思い込みだ!」
ゴーストが、飛空艇を木の葉のように舞わせ、三次元的なバレルロールで要塞の網目のようなレーザー網を潜り抜ける。
そして。
「……おや、僕の出番ですか? では、この神聖な戦場を、最高のカーニバル会場に変えて差し上げましょう」
ピエロが指を鳴らした瞬間、飛空艇全体が数百、数千の幻影に分裂し、帝国軍の追撃を完全に無力化した。どれが本物で、どれが虚像か。神の演算回路ですら、その狂ったマジックを見破ることはできない。
19:00 ゼロへの回帰
六人の猛攻により、ついに『エデン・コア』の最深部へと通じる、物理法則の通用しない「ゼロの門」が開かれた。
そこは、これまでの戦闘の喧騒が嘘のように静まり返った、一面の真っ白で無機質な空間だった。
「教授、ここから先はあんた独りのステージだ。余計な『埃』は、俺たちが外で食い止めておく」
アイアンが、背後から迫る帝国の親衛隊数百人を、ただ立っているだけで威圧しながら言った。
「……ああ。すぐに終わらせるよ。長く待たせるのは紳士の作法に反するからね」
「期待してるわよ、ボス。世界を盗んだ後の、最高級のシャンパンは、もう冷やしてあるんだから」
ルナが茶目っ気たっぷりにウィンクを送り、襲いかかる魔導兵を優雅なハイキックで一蹴した。
教授は独り、真っ白な通路を歩き出す。
背後からは、仲間たちが戦う爆音、冗談を言い合う笑い声、そして、彼らが奏でる最高の即興演奏が、エコーとなって響いていた。
それはかつて、孤独に死を待っていた教授が、何よりも欲しかった「音」だった。
「……前世の私に見せてやりたいよ。世界を盗むのは、独りでする仕事じゃない。最高の仲間とするものだとな」
19:30 神との対局
通路の突き当たり。巨大な光の繭が、物理的な法則を無視して脈動する広間に、教授は辿り着いた。
繭の中から、性別も年齢も不詳な、だが、聴く者の魂を直接揺さぶるような圧倒的な威圧感を放つ声が響く。
『また来たのか。システムの外側にある「エラー」よ。いや、ゴミ溜めから這い出した「バグ」と呼ぶべきか』
「エラーとは心外だな。私は、あんたが書き忘れた『自由』という名の、最高に粋なプラグインだよ」
教授は悠然と立ち止まり、ステッキをコツンと床に突いた。
彼の目の前には、虚空に浮かぶ巨大なチェス盤。駒の一つひとつが、この世界の王国、英雄、そして数千万の民の運命を表す「概念」の塊だった。
『この世界は完成されている。不平不満も、不当な悲劇も、すべては全体の調和を維持するための必要悪だ。貴様の行為は、その精緻な計算式を汚す汚泥に過ぎない。去れ、あるいは、消去されるか』
「調和だって? 笑わせるな。あんたがやっているのは、ただの思考停止と手抜き工事だ。変数が多すぎて制御できないから、個人の意志(自由)を切り捨てたんだろう?」
教授は眼鏡を外し、懐から一枚の古びた金色のコイン――前世で盗み損ねた、あの日の最後の獲物――を取り出した。
「私は、前世で盗み損ねたものを取りに来たんだ。……神様、あんたが握りつぶしている『世界の所有権』、今から私がいただくよ。ルールは簡単だ。……このゲームで、私が勝ったらね」
壮大なオーケストラ・ジャズが、ここで最高潮に達する。
すべての楽器が鳴り響き、運命を否定するような輝かしい旋律が部屋を満たす。
神と、泥棒。
世界そのものを賭けた、人類史上最高で最期の「チェックメイト」が、今、始まった。
ダバダ、ダバダ、ダバダ……
扉の外では、六人の仲間たちが、神の軍勢を相手に狂ったようなスウィングを続けている。
さあ、ショータイムだ。神様、あなたの絶望を見せてくれ。




