9.日常
「お父さま、またお母さまとけんかしたの?」
「メリー、どうしてそう思うんだい?」
「あさごはんがオムレツだから」
朝食の場で、娘のメリーシアは澄ました顔で主菜のプレートを示した。
中にたっぷりのチーズを詰め込んだやわらかいオムレツは、妻が僕に謝りたい時に料理長に用意させる品である。
笑顔でただ肩を竦めてみせた僕に、メリーシアは軽く唇を尖らせる。
「どうせ、お父さまがお母さまを怒らせたのでしょ。お父さまは人を怒らせる天才だから」
「ええ、誰がそんなことを?」
「アーノルドおじちゃま」
「酷いな。僕はアマーリア以外を怒らせたことなんてほとんど無いのに」
「お父さまは嘘つきだわ」
つん、と澄ました顔で口にするメリーシアを見ると、本当に妻によく似ているな、と思う。
メリーシアは今年で六歳になるが、実際、義母である公爵閣下曰く、同じ頃のアマーリアに瓜二つだそうだ。将来はさぞ美しい女性になることだろう。
彼女もまた特別な才能を持つ人間だろうから、もしかしたら、メリーシアにも〝運命〟がいるのかもしれない。アマーリアと違って、すんなり受け入れるタイプだろうから、あまり心配はしていないけれど。
アマーリアは学園卒業から六年の時をかけて、見事に〝運命〟の仕組みを解明した。魔導回路に組み込まれた神の御業を紐解き、魔法の発動に影響がないままに取り除くことに成功したのだ。
僕とアマーリアは見事、〝運命〟ではなくなった。つまりは、僕は見事に用済みとなった──という訳だが、幸いにも僕らの婚姻関係が解消されることはなかった。
番の解消なんて技術の公表を教会が許す訳もないため、情報は秘匿されている。ウィングステン家に背信の意思がないことも示さなければならないので、重要機密だ。
知り得た時点で僕の身柄も自由とは言えなくなったのだから、〝運命〟があろうとなかろうと僕に選択肢はあまりない訳で。結果として、ウィングステン家の人間であり続けるのが最も安全な道であった。
それに、アマーリアは十二年も連れ添った相手を屋敷から放り出すような慈悲のない女性ではない。
彼女は初対面から察せられる通りの高慢で威圧的な性格をしてはいるものの、内に入れた人間には大変に情深い人でもある。
なので、他に貰い手もいないような凡庸な男である僕をそのまま放り出すなんて真似はしなかったのだ。
結婚記念日だったので、そんな思いを改めて感謝として伝えたところ、アマーリアは非常に、そう、非常に怒ってしまった。
『貴方まさか、私が貴方との関係を解消するために研究を続けていたと思っていたの?』と詰められ、『いや、多分、正式に自分の意思で選択し直したいから決めたことだとは分かっているけど……』と返し、『分かっているならどうしてそんなふざけた言葉で感謝なんて伝えてくるのかしら』とかつての恐怖を思い出す程の殺気を向けられ、『君の傍にいられて嬉しいとは思うんだけど、せっかくなら僕以外の素晴らしい人を見てきてもらってもいいんじゃないかと思って』などと返したところで、アマーリアが、本当に、信じられないものを見る目で僕を見たのち、部屋を一つぶち壊す勢いで怒ってしまった訳である。
アマーリアと僕が戦えば何をどうしたって僕の方が弱いに決まっているので、僕は昨日の昼過ぎまで気絶していた。情けない話だ。そうして当然、夜も無視されてしまったけれど、朝になって、食卓にはオムレツが並んでいる、という次第だ。
喧嘩の原因は僕にあるのだから彼女が謝る必要はないのだけれど、現役の騎士でもある彼女が一瞬でも本気で僕を叩きのめしてしまったのだから、アマーリアとしては申し訳なく思っているのだろう。
「お父さま、早くお母さまにあやまって」
「もういっぱい謝ったんだけどな」
「そう。じゃあ、足りないのはごめんなさいじゃないのね」
「何が足りないんだと思う?」
優雅に朝食を終えたメリーシアは、丁寧な所作で口元を拭うと、軽く肩を竦めてから椅子を降り、僕の耳元に顔を寄せた。導かれるままに身体を傾けると、声を潜めるために小さな手が彼女の口元に当てられる。
囁きに、なるほどね、と思ったところで、アマーリアが顔を上げた。
「メリー、デザートは?」
「お勉強のご褒美にするわ! お母さま!」
内緒話を終えてぱっと身を離した彼女は、そのまま自室へと駆けていってしまった。淑女の所作としてはちょっとばかり咎められるべきだろうが、勉強熱心なのはいいことだ。
美しい金髪をなびかせて去って行く娘の背を見送る。可愛く聡明なあの子が、いつかは婿を取るのだと考えると、少し寂しい。
もしも僕みたいな盆暗がやってきたら、僕はどういう顔をすればいいのだろうか。もっと良い奴がいるよ、と言い始めてしまうかもしれない。
ただ、そうなったとしても恐らく、メリーシアは持ち合わせた全てでもって僕を言い負かして、選んだ伴侶と共に生きていくだろう。
メリーシアは本当に、アマーリアによく似ている。だから多分、アマーリアだって、最初から自ら僕を選んでいたのなら、誰になんと言われようと僕を愛し続けるのだろう。もちろん、僕らの出会いは〝運命〟なんてものがあったが故のものなのだから、こんな想定自体が間違っているのかもしれないけど。
ああ。いや。でも、そうか。
だからこそアマーリアは、解消する手段を見つけると決めたのだ。彼女は自ら選び取ったものは決して手放さない人だから。
「アマーリア」
「何かしら」
「愛してるよ」
「…………あら、そう」
メリーに促されないと愛の言葉も囁けないのね、と言わんばかりに澄ました顔で食事を終えた彼女が席を立とうとするので、僕は出来る限り迅速に(もちろん、僕に出来る範囲で)彼女の手を取り、抱き寄せた。
今更言うまでもないが、彼女はまさに鬼神の如き強さを持つ女性なので、僕がこうしてアマーリアを腕の中に閉じ込めておけるのは、彼女がそれを受け入れているからである。昨日壁まで吹っ飛ばされた僕が言うのだから間違いは無い。
「ごめんね、愛してるよ」
「うるさいわね」
「うん、愛してるよ」
「……貴方って本当に……」
「うん?」
不満を表すためだけの仕草として僕の胸をやんわりと押し返していたアマーリアは、やがて全てを諦めたようにそっと息を吐いた。
「本気で貴方以外の人が相応しいと思っているの? と尋ねたいところだけど、本当にそう思っているのでしょうね」
「そりゃあね。だって、事実だもの」
「……どうせ、いくら言っても聞かないでしょうから、言い方を変えてあげるわ」
美しい緋色の瞳が僕を見上げる。
「貴方みたいな厄介な人に付き合っていられるのは、私くらいのものよ。素晴らしい幸運に恵まれたことに感謝して、有り難く末永く付き合っていくことね」
厄介だなんて、心外だなあ、と思っているのが顔に出ていたらしい。アマーリアの美しい指先が僕の頬を摘んで、軽く力を込めた。




