141.高級料理は幸せの象徴なのか
満漢全席ってご存じですか?中国発祥の所謂おもてなし料理群なんですが、今となっては完全再現することは不可能です。でもそれが出来る位の財を私が得たとしたら、どうなるんだろうと言う妄想をしてしまいましたとさ。そんな事は絶対に無いんですけどね。
食文化は世界各国独特で、特にお客様をもてなす料理は千差万別、もう星の数と言って過言なレベルでは無いと思います。おもてなしは量か質か、意見は分かれると思いますが私は量に走りがちな気がします。若い頃の貧乏生活がそう思わせてしまうのでしょうか、ま、貧乏なのは今でもあんまり変わらないんですけどね。
量と質の両方を兼ね備えたおもてなしと言うと中国の『満漢全席』中国の歴史上最も豪華な宴会料理の一つで清朝時代に発展し、満州族と漢民族の食文化を融合させた壮麗な饗宴として知られているそうでして数日間にわたり、100種類以上の料理が提供される事も有ったんですって。海の幸、山の幸、野鳥、珍しい植物など、多様な食材が使用され内容としては四八珍、珍重される食材を『海八珍』『禽八珍』『草八珍』『山八珍』の4つのカテゴリーに分けられててそれぞれ8種類の珍味が含まれているんですってよ。
で、それぞれの代表料理と言うと海八珍は燕窩(ツバメの巣)、魚翅 (ふかひれ)、烏参(黒ナマコ)。禽八珍は鵪鶉 (ウズラ)、飛龍 (キジ)。草八珍は竹笙 (キヌガサタケ)、花菇 (シイタケ)、山八珍は熊掌(熊の手)、鹿筋(シカのアキレス腱)等などが有るそうです。うん、中々に美味しそうですね。ただ、象の鼻とかラクダのコブとかお猿さんの”きゃっ”な部分とか言うちょっとアレな物も含まれてるんだそうでして、流石4000年の歴史を誇る中国だなぁなんて思っちゃったりなんかします。現代では捕獲禁止の物も有るので当時の物を完全再現と言うのは完全に不可能なんですが、東京・銀座にある涵梅舫では縮小版ですが再現を試みた事が有るそうですし、新橋の新橋亭新館でも、特別なイベントとして満漢全席賞味会を開催した事が有るみたいです。完全版では無いですが雰囲気を味わうチャンスは完全に無い訳では無さそうですね。
……ま、もしも有ったとしても私が参加するなんちゅう事自体、100%無さそうなのであんまり関係無いですけどね。みんな貧乏が悪いんだ。
そんな高級食材を揃えなくてもテーブルに沢山皿が並んでると、それだけで満ち足りた気分になったりしません?夜遅く帰って来て、テーブルの上に有るのはコンビニのお弁当一個と言うよりも、安価な食材で良いですからお皿がたくさん並んでた方が気分が上がる気がします。疲れて帰って来たりなんかすると、夕食で沢山皿を使うとそれを洗う手間が発生するから空の容器を捨てるだけで後片付けが終わるコンビニのお弁当の方が遥かに便利で良いとは思うんですが、食事って言うのはお腹を満たすだけでなく、それによってほっとして、心も満たされる必要がある。栄養だけを接種しても疲れは取れない気がするんですよね。だから私、最近は無理やりにでもお皿を使うようにしています。一時期はコンビニやお弁当屋さんのお弁当一個をつまみに酒飲んでそのまま寝てしまうような生活をしていたことも有りますが、次の日訪れる疲労感は心がもたらしてるんじゃないかって感じるのですよ。
豊かな生活って何だろうって何となく考えた事が有るんですよ。お金が有るのは勿論幸せ。でも、それ以外に何もなかったらって考えた時、生きていけるのかなって思ったりなんかしてしまいました。何でもできちゃうからそんな状況を想像する必要は無いのかも知れませんが、私の場合、お金が沢山あると目標を見失いそうな気がして少し怖いんですよ。更になんにもしなくなるんじゃないかってそこに恐怖を覚えたるするんですよね。お金が有れば時間が出来る。私の場合、時間が出来るとやる事を後回しにしてしまうのですよね。そしてそのままずるずると何もしなくなって何も考えなくなって、そのまま引き籠っちゃって……考え方が暗いかも知れませんが、私ってばたぶんそんな奴なんです。だから、私に過度なお金を与えてはいけません、少し貧乏でそれを補う忙しさ、私に一番必要なのはそういう環境なのかも知れません。それに、生きて行かなきゃいけないって思うから、意外と前向きな環境かも知れませんね。
と、言う訳で私は今日も貧乏で満漢全席とは縁も所縁も無い生活をしています。そしてそれが、何となく幸せだなって思えるのは私の心がまだ若い証拠なのかも知れません。貧乏暇無し、なんかよい言葉だと思いません?




