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「──ほら、もう諦めなよ」
そう気の毒そうに言った青年に、ネフィレイシアは眉をよせた。伏していた地面から立ち上がり、眼前の敵を睨みつける。
数歩先。
片足に体重をかけ、左手は腰に、剣を握った右手は折り曲げその刀身を首に浅くかけたまま、青年──ジュニアスは困ったように微笑んだ。
「痛いのは嫌だろ?」
王都近郊にある、なだらかな草原。
その場所に降り立ったネフィレイシアは、敵国の騎士ジュニアスと対峙していた。
いつ何時会っても余裕綽々のジュニアスに、唇を噛み締める。
人を見下すのもいい加減にして欲しい。いくら彼より九つも年下だとは言っても、ネフィレイシアが自国有数の高位魔女であることに変わりはないのだから。
「あなたこそいつまでも舐めてかかってると、今に痛い目を見るわ」
ネフィレイシアは、時間をかけて準備してきた魔法を発動させた。それは魔女の親友に頼んで作ってもらった強力な攻撃魔法だった。あまりにも強力なので、奥の手として隠しておいたのだ。
──これ以上軽んじられるのは我慢ならない。
ネフィレイシアは魔法の杖を握りしめて、呪文を唱えた。
すると周囲の空気が代わり、ジュニアスがほんの少しだけ片眉をあげる。
けれどその顔色は変わらない。ややあって草原に炎があがっても、それらに円状に囲まれても──それでもジュニアスは慌てる素振りを見せなかった。
「へぇ、やるね」
珍しい生き物でも観察するみたいに自分の周囲で燃え盛る炎を眺めた。
「新しい炎の魔法よ。あなたじゃ消せないでしょう」
言ったネフィレイシアは、形勢逆転とばかりに顔をあげる。次いで右手を差し出した。
「さぁ、早く聖女の鍵を渡して。〝痛いのは嫌〟でしょ」
いまや炎は彼の爪先寸前まで忍び寄り、今にも焼き始めんとしていた。
だと言うのに、やっぱりジュニアスが慌てる様子はなくて。
それどころか、彼は緩慢な動作で腕を組むと、ゆったりとネフィレイシアを見つめてきた。──淡い金色の前髪の隙間から、星空色の瞳が覗く。吸い込まれてしまいそうに綺麗だった。その端正な顔に似合う甘やかな声が聞こえた。
「ああ、痛いのは嫌だね。でも、鍵を渡すのはもっと嫌だ」
「……このまま死んでもいいって言うの?」
「それが騎士というものさ」
熱さも恐怖も感じていないのか、ジュニアスは平然と迫り来る炎を待ち受けていた。
ネフィレイシアは魔法の杖を握ったまま、じりじりと彼を追い込む炎を見つめる。
「君の勝ちだ。ネフィレイシア、おめでとう」
意地悪く微笑まれて、ネフィレイシアは彼の意図を読み取った。くっと歯を食いしばる。
「! わかったわよ……!」
本当に性格が悪い。これで聖騎士を名乗っているのだからお笑いものだ。──その性根は、真っ黒なくせに。
ネフィレイシアは吐き捨てるように解呪を唱えて、炎を引っ込めた。後には最初からなにもなかったみたいに、元通りの草原が広がっている。
ジュニアスが、ふぅっと息を吐いた。
「助かったよ魔女さん。危うく丸焦げになるところだった」
そんなこと、微塵も思ってやいないくせに。
ジュニアスの子憎たらしい笑顔を睨んで、ネフィレイシアは言った。
「どういたしまして」
ネフィレイシアとジュニアスが知り合ったのは(知り合ったと言うのも妙な言い方だが)今から数ヶ月ほど前のことだった。
ネフィレイシアたち闇の一族は、忌々しい光の一族の筆頭──王女兼聖女を亡き者にするため、彼らの国を幾度も強襲していた。
豊かな領土が欲しかったのである。
しかし、聖女のそばには常に彼女を守る七人の聖騎士がいて彼らの狂剣の前に、ネフィレイシアたちは聖女の姿すら拝むことが出来ないでいた。
ネフィレイシアたちは今日こそはと彼らに挑むも、聖女の加護を得た騎士たちの力は強く、いつも──つまりは今日も──負け続けていた。
「後少しだったのにね」
くすくすと笑いながら言ったジュニアスが、剣を鞘に収める。ネフィレイシアは膝を抱えて木の根元に座り込んだまま「うるさい」と呟いた。
勝ったなら、さっさとどこかへ行って仕舞えばいいのに。
「君、甘すぎるんだよ。敵に情けをかけるなんてさ。この仕事向いてないんじゃない?」
言いながら、少し離れた場所にジュニアスも腰を下ろす。
ネフィレイシアはその涼しげな横顔を睨んだ。
「ほっといてよ、好きでやってるんだから」
「頑なだなあ」
困ったように笑うと、ジュニアスはそのままごろりと寝転んでしまう。
「ちょっと、なにを」
「ごめん。昨日寝てなくてだるいんだ。少したったら起こしてくれないかな。君が帰らなきゃいけない時間まででいいからさ」
「困るわ」
「おやすみ」
そうしてネフィレイシアが断る前に、すうっと寝入ってしまう。
なんて勝手な人だろう。ネフィレイシアは憤りつつも、仕方なく番をした。正直、彼の報復が怖かったのもある。
(それにしても、いい天気……)
そよそよと、午後の爽やかな風が吹いていた。
頭上に広がる青空と一面の草原を眺め、ネフィレイシアは立てた膝の上に顎を乗せる。
──チャンス、じゃ、ないわよね
チラと横目にジュニアスを見つめて、彼の体のどこかにあるはずの聖女の鍵を漁ろうかと考えたが、止めた。この性悪の聖騎士が、そんなに簡単に鍵を渡してくれるはずがないと知っているからだ。
「はあ」
この仕事、向いてないんだろうか。
先ほどジュニアスに言われた言葉が胸に刺さり、ため息がこぼれる。
この男が強すぎるのもあるのだろうけれど──今日は王都への侵入すら阻まれてしまった。
草原を駆け抜けた、目と鼻の先にある光の国の都、グラニア。そのまた奥にある宮殿に、標的の聖女様は囲われている。
そうして聖女の門を開くための鍵を、ジュニアスは持っていた。
「嫌な男」
ネフィレイシアはつぶやいて、すやすやと寝息を立てているジュニアスを見下ろした。口を少しだけ開き、組んだ両腕を枕にして、仰向けに寝そべっている。
大木から伸びた枝葉がちょうどいい影になって日差しを遮り──ひどく、気持ちが良さそうだった。
この男が、なにを考えているのか、わからない。
数ヶ月前、初めてこの場所で彼と対峙した時も、彼は易々とネフィレイシアを打ち負かし、けれど命を奪うことはなく、帰りなよ、と諭してきた。
そうして今もその攻防が続いている。
彼との戦いが二度、三度と続くうち、いつの間にかネフィレイシアは彼の歳も、名前も知ってしまっていた。
彼が気安く話しかけてくるせいだった。
大怪我しないうちに諦めなよ、と彼はネフィレイシアを追い払う。
いとも簡単に。
それが悔しくて悔しくて、ネフィレイシアは今日こそはと彼に挑み続けていた。




