開戦
両軍が対峙して三日目の朝、それまで沈黙を守っていたヤーヘン軍は突如行動を開始した。
彼らの布陣は、前衛を騎士と非魔術兵で固め、後方には攻撃魔術士を配置するという守りを重視するものであったから、ヤーヘンはケルサスの渡河を待ち、遠距離魔術で迎撃してくると思われた。川の上では動きが鈍り、補助も受けづらく無防備になりやすい。そこを攻撃魔術でつるべ打ちにし、漏らした敵は騎士でしとめる。ヤーヘンの保有する戦力から考えて、戦線を維持するにはそれしか方法がないとケルサスは考えていたし、それが定石だった。しかし、彼ら思いがけない行動にでた。
「正気か奴ら?」
川に近いところで、前線を預かっていたオヘブ騎士少佐は、副官であるアニイ魔術中尉に向き直った。
オヘブは四十を過ぎたばかり。ブロンド髪を後ろに撫で付けた筋骨隆々の美丈夫はあっけに取られたように口を開け放した。
「さあ?しかし、対処しなければいけませんね」
彼の副官は、よくこれで軍の規定に受かったものだと思われるほどに肥えた腹を揺らしながら、ため息をついた。
川向こうでは、横陣を引いた敵軍の中から、中隊規模の部隊が渡河を試みようと前進を開始していた。
たったこれだけの兵で何が出来るというのだろうか?近づいたところで蜂の巣にされるのが落ちだ。ケルサスの戦力を測ることすら出来ない。
「少佐殿、迎撃の伝令です!」
若い通信将校が声を張り上げて、二人の下に駆け寄ってきた。
オヘブは頷いた。
そんなに叫ばなくても聞こえているよ。
「少佐殿!」
頬を紅潮させ、息を切らせた新米少尉が彼を見上げる。
「ご苦労」
「はい!」
元気よく応えた少尉は動かない。
「・・・」
「・・・」
「・・・下がってよし。危ないぞ」
慌てて敬礼する少尉を尻目に、オヘブは肩をすくませ、アニイは噴出した。
「まあ、なんにせよ攻撃だ。後ろで小便を漏らしそうに震えている新兵どもには、いい気つけになるだろう。いつもどおりに頼むぞ」
「はいはい」
アニイが兵たちに振り向き、手を挙げる。
「まってました、中尉どの!」
「お母さーん!!」
「また太ったんじゃないですか?痩せたほうがいいんじゃないですか?」
「大好きです!!」
「さっさと、お願いしますよ!」
いい年をした男どもが、子どものように声高に叫ぶ。
それぞれの小隊を預かる貴族達も、魔力のこもった銃を抱えた非魔術兵も、一緒になってはやし立てる。
「落ち着きなさい。欲しがり屋の子ども達。今、ママがミルクをあげますからね」
アニイの周囲に立体式の魔法陣が展開される。はちきれんばかりの軍服から乳白色の魔力の渦が湧き上がる。それは大隊を包み、活力が満ちる。
アニイが続けて叫ぶ。
「結界兵は対魔術防御を一段引き下げ。対近接は二段引き上げ。・・・広域魔術は想定しなくてよし!来ないから!!あんっ?!私が信じられないの?っつたく。・・・大丈夫、本陣の中将が無いって言ってるから!!あいつのことは新兵だったときから知ってるの!私に逆らえないの!・・・それと、ヘルナンデス曹長、誰が痩せたほうがいいですって?ひっぱたいてやるから、あとで出頭するように」
アニイがマズルカを踊るように魔術を施していく。そのたびに兵たちが歓声を上げ、貴族、平民の垣根なしに頬を張り合い、気合を入れる。
彼らは王国でも指折りの大隊。指揮官オヘブはいくつもの勲章を受勲した英雄で、副官アニイは好きで中尉にとどまっている軍隊の肝っ玉お母さん。
「よし。クソ餓鬼ども!母ちゃんのおっぱいはたらふく飲んだな!」
「「おう!父ちゃん!!」」
オヘブの呼びかけに鬨の声が響き渡り、川面が波立つ。
敵の中隊が河に入る。足に魔術が施されているのであろう、彼らは沈むことなく進軍する。
オヘブが部隊に向かい指を立てた。すると、彼らは一斉に姿勢を正し、表情が消えた。そう、彼らは冷徹な戦争機械。何千、何万と繰り返した所作を、今一度繰り返すべく号令を待つ。
「さて、諸君。今、君らの目の前には美しい祖国が広がっている。左手を見たまえ。おなじみのドライ山地だ。私の故郷は、ここよりももっと内陸の麓に位置していてね。風景は違うが、やはり近いものがある。草原に寝転んだり、家付きのオークや小鬼とともに家畜を追い回して父に怒られたりしたものだ。君たちの中にも同じ思い出を持っている者もいることだろう。どうだ?その思い出はたまらなく眩しくないか?
目の前に広がる豊かで広大なナハル川はどうだ?君たちの子ら、あるいは君たち自身がその流れに身を浸し、幼馴染たちと水遊びをしたんじゃないかね?水しぶきに微笑む彼女の美しさは今もって君たちの胸をかき乱してたまらないだろう?」
オヘブは腕を組んで部隊を見渡す。敵はもうすぐそこまで迫っている。隣に布陣した部隊から、ひっきりなしに応戦の要請が来ているが、彼はそれを無視する。
アニイはまるで我が子を見守る母のように、魔術でもって叱咤激励し、部隊の戦闘能力を高め続ける。
「目をつむりたまえ、諸君。そして、おのおの故郷を思い描け」
敵軍が迫り来る中、部隊全員が目をつむる。例外はアニイのみ。両手を広げ、今まさに彼女の魔術は完成しようとしている。
「目を開けろ、我が益荒男どもよ。そして、認識しろ。貴様らの目には何が映る?」
オヘブが手を激しく振り、ナハル川を、侵略された領土を指し示す。
戦争機械から嗚咽が漏れ出し、その目から涙がこぼれ落ちる。
怒りという燃料が心という内燃機関に注ぎこまれ、彼らの体から魔力の光りが湯気のように立ち昇る。
「あれは何だ?奴らは誰だ?見たことないぞ?どうして我らの大地を踏みにじり、穢すのだ?」
怒りのままにこぶしを振るうオヘブが叫び続ける。
居並ぶ二千の瞳が赤色に、殺意がこもり、戦争機械が起動する。
穢された祖国の大地を思い、呪詛を吐く。
破裂しそうな憤怒を母の魔術がなだめ、志向性を与える。
取り戻したいのなら、落ち着きなさい。
敵は目の前、思いを刃に乗せて、殺されずに殺しなさい。
そして私の元に帰って来なさい。
「さあ、国土を穢されし私生児どもよ。私が授けし命は、唯一つ」
オヘブは自らの魔術を発動する。
黒色の刃が彼の身を包み込む。
大陸三大国家のケルサス王国、国王軍最強部隊があぎとを開く。
「―皆殺しだ―」
アニイに強化された、オヘブが振るう黒色の衝撃波が敵の結界を弾き飛ばす。
非魔術兵の魔銃から放たれた弾丸に、魔術士が術を乗せて、射程が飛躍的に延びる。
敵兵の個々人に掛かっていた結界が閃光を放ち、砕け散った。
川上に血しぶきが舞い上がった。
「よしよし。結果は上々。解析兵、迷彩も剥いだし、敵の戦力比は解析できたわよね」
「はっ、中尉どの!」
「うしっ!本陣に敵の種族構成比、結界強度、他もろもろ報告!」
敵の数が問題なのではない。重要なのは含まれる騎士、魔術士、亜人の数であった。敵の部隊には魔術の迷彩が施されていたから、攻撃を当てるまでは解らなかった。今ではそれが明らかだった。解析兵が記録し、リアルタイムで本陣に通信魔術で送り続ける。本陣からは、その情報に基づいた戦術が送られてくる。
「中尉殿、本陣より入電!『パンデミック』の恐れなし、殲滅されたし!」
「オッケー!少佐、聞きましたか?ちゃっちゃと片付けてください」
アニイの言葉にオヘブが口元を歪め、黒い刃の数が膨れ上がる。それと共に、魔術兵の発する魔術の光りが輝きを増す。魔銃の弾丸にかけられていた魔術が貫通を意図したものから、殺戮を目的とした破裂式に組み替えられる。
母なるナハル川は、敵軍の流す血の色に染まり、斃れた敵兵の遺骸は水底に向かい沈んでいく。
敵はそれでも、一歩一歩、ケルサスに向かい歩みを進める。
援助なぞあてにしてはいない。
ただ、そうする意思があるから、ケルサスの国土をヤーヘンの国土へと塗り変え続ける。
我が足跡が、進むことに意味があるのだと、彼らは血反吐を吐き続けた。
「あくまで撤退はしないか。いいだろう。もとより我らに慈悲などない」
オヘブが振るう剣筋が狂気を帯びる。
「あんたたち、ここに来るまでに、何をしてきたの?いくつの町を、村を焼いてきたの?何人吊るしてきたの?・・・許さないから」
アニイの詠唱は嘆きと怒りがこもる。
敵兵の絶叫が水面を伝わり、オヘブ達は甘露な殺戮に舌なめずりし、魔術は鋭さを増す。
戦場を吹き抜ける風が生臭い血の匂いを乗せ、戦場を見守る両軍の感覚を殴りつける。ヤーヘンは数百年にもわたる屈辱の歴史を口内にひろがる血の味と共に。ケルサスの若者たちには、命のしぶきに踊る狂奔の楽しさを。
この狂ったようなヤーヘンの宣戦布告は、これがただの戦争ではないことを告げていた。
ただの外交手段としてではない。
長きにわたる雌伏のときを経て、今、ヤーヘンは国土回復のために裂帛の意思を持ってケルサスに牙を剥いた。
後に魔晶戦争と呼ばれる、歴史の転換点はこうして始まる。
そして、その後、世界は激動する。
生きとし生けるもの全てが神を意思し、祝福と怨嗟に満ちた黄昏の時代が迫っていた。




