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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
111/131

魔晶4 -神のプロジェクト-

「何処にお出でか?」


 天幕から出たカイの目の前に、本営から来た騎馬隊が立ちふさがった。


「作戦までの間、むやみに動かれては困ります。この天幕にお戻りになられたことも、クリトン将軍閣下のご好意あってのこと。本来であれば、すぐにでも本営にお越しいただかなければならないことはご承知のはずでしょう?」


 馬上にある騎士たちは、警戒心と不信感を隠そうともせずカイを見下ろす。

 そして、その手はサーベルに置かれている。


「貴様ら、恥を知れ!!」


 怒声が響いたかと思うと、シュナイデル家の一隊が肩を怒らせてやってきた。


「無礼者が!!本作戦はグラナトゥム公国のケルサスへの無償の奉仕である!!

 なにゆえ、彼らがかような犠牲を払わなければならぬ?我らケルサス軍人は、平身低頭懇願し、無能を恥じ入らねばならんのだ!!

 それを、貴様ら、主国であることに傘を着て、なんという・・・」


「もういい」


「しかし、カイ殿!!」


「中に聞こえる。これ以上、我が主のお心を乱すことは許さん」


「はっ・・・」


 引き下がる隊長は騎士を睨みつけるが、彼らは気にする風もなく依然居丈高にカイを見下ろしている。

 カイは微笑んで、口を開いた。


「そんなに気になるならば、付いて来ればいいだろう?

 言っておくが俺は逃げんぞ。お前らと違ってな」


 騎士の口元が引きつるのを見て、歩き出す。


「主たちも同様だ。もし、貴様らが俺への牽制として彼女らに手を出すつもりなら、生きたまま生皮を剥ぎ、指の先から一寸ごとに切り刻んでやる。

 俺はやるといったらやるぞ。ハイデンベルグ城でのことを思い出してもらえれば、理解できるだろう。どうせ作戦前に処罰されることはないのだ。命を懸けるのだから、それくらいの楽しみは将軍様とやらも許してくれるんじゃないか?」


 たじろぐ騎士たちを尻目に馬にまたがる。

 慌てて後を追う騎士たちの目には、怯えがあった。


 ****


 カイは、本営から数キロ離れた丘の上で立ち止まった。

 付いて来る者はいない。

 自分から付いて来いと言ったものの、どうにも邪魔だったので、結局撒いてしまった。

 道中で馬を乗り捨てたカイの意志を察したシュナイデル家の兵たちが、本営の騎士たちを邪魔したのだった。


「シュナイデル家が張っているのだから、レオーネたちに手は出せまい」


 カイは一人ごちて、丘の上にそびえる一本の大木に寄りかかる。

 ため息をついて眼を閉じた。

 神気を集めて、天幕内にいたときから頭に響いていた声に耳を澄ます。

 自意識にもぐりこんで、己の存在の奥底で瞼を開けた。

 カイの眼に世界の法則が可視化する。

 魔方陣となって、まるで一つ一つが歯車のよう。

 がちりと組み合わさり、全てが連動し全体となって、究極の式が動き出す。

 そして世界は変質する。


 出現したのは、異なる次元が入り乱れる空間。

 大小様々の梵字が無数に浮かぶ、理念(イデア)のいただき。

 神々の頂点に立つカイの姉神、桔梗がまします世界だった。 


 見渡すかぎり畳み敷きの大広間。ろうそくが灯り、欄間(らんま)には生きた古竜が舞う。部屋の端は見えずに、無限に伸びる。

 懐かしい、かつて居た世界にカイは足を踏み入れた。

 歩みに従い、梵字が漂っては消え、また浮かび上がる。カイを歓迎するかのように絡みつくものがあれば、つっけんどんにそっぽを向いてしまうものもある。

 まるで、揺らめくそれぞれが意志を持つかのように振る舞うが、その一つ一つが世界。つまりは剣神としてのカイとの親和性を表している。

 無限にある世界に囲まれて、桔梗は君臨するのであった。


 カイが歩みを止めた左前方では、栗色の髪をシニヨンに纏めた少女が大きな飾り鏡を覗き込んでいる。その奥、一段高くなっている座には簾がかかり、ろうそくの淡い明かりの下、十二単を着込み髪をすくのが桔梗、あらゆる世界において、絶対的な力を行使する神の中の神。


「剣神、ただいま参りました」


 簾に伸びた影が動きを止めて、梵字たちが一斉に静まりかえった。


「よく来ましたカイ。苦労をかけますね。顔をお上げなさい」


 跪いたまま、じっと待つ。


「良いのです。顔をお上げ」


 カイは顔を上げた。


「まったく、わたしにもこんなに素直なら、言うことなしなのです」


 鏡を覗き込んでいたオルディナ、現世の神であるマーテルが言った。


「ふふっ、どうやらカイも、なにゆえ現世に送り込まれたか見当が付いたようですね」


「不肖ながら、この度のこと、俺はどうすれば?奴等の言うとおりに死ねばよろしいか?

 現世に堕ち、受肉したこの体、力を出さなければ滅ぼすことは可能でしょうが」


 挑むような声だった。瞬間、それまで動きを止めていた梵字が、狂ったように震えだす。

 尋ねられるまで黙っているのが礼儀であるのに、その前に口を開いたカイを責め、恐怖をあらわに乱れ飛ぶ。

 

「貴方はどうしたいの?」


 そう言って桔梗は微笑んだ。

 すると、全ての梵字が時間を止められたように停止した。


「はっ・・・」


 カイは残してきた者たちのことを思う。

 自分の出現が彼らに大きな影響を与えたとはいえ、もともと彼女らは素晴らしい魂を持っている。

 たとえ自分がいなくとも、神々の眷属として十分に勤めを果たせるだけの実力がある。導いてやる必要など、はじめから無かった。

 それでも己が現世に送られた。意味は自分にこそあるのだ。彼女らを導くのではなく、己自身の研鑽のために。現世を見て、ヒトを知る、そのために。


 そして、ヒトを見続けた今、カイの胸に去来するのは諦めだった。


 ヒトは神々が導いてやらねば、無限の時を争い、血を流し続けるだろう。

 彼らの本性が争いを求めるのではない。彼らの優しさが、利他主義が、理想を実現するための力が足らないから、そう振舞うことを求めるのだ。


「ヒトには力が足りません。そのくせ他者を思いやる。しかし、それはあくまで身内でのこと、敵と認識した者に対しては、どこまでも悪辣になりえます。

 この両面性は、自身が属する関係を構築する者のみがヒトであり、同胞であるという世界観に由来すると考えます。俺たち神には、まったく不合理な視点です。奴らの狭い社会の外にも、同じような社会が無数にあり、そのどれもが重複しているというのに。

 ですが、奴らもそれを理解していないわけではありません。他者が己と同等の存在であることは分っているのです。それを、国や人種間の差異など、小ざかしい理屈でごまかしている。

 なぜか?観察の結果、自他の同質性を認めることは、奴らにはどうしても出来ないことなのだと確信しました。もし奴らがそれを認めてしてしまえば、犯した罪の重さに耐えかね、己の内から瓦解してしまうのでしょう。だから他者を理解することは拒絶しなければならない。そのために、価値の判断基準を曖昧にする。・・・そうしなければ、生きていけないのです。

 結果、ヒトがヒトを裁くだとか、許すだとか、同じ階級に属する存在に対しては、決して成り立ちえない行動に出る。

 盲目的で、邪悪とも思われますが、そうとは限りません。本性ではなく、その力の限界にこそ理由を求めるべきだと判断いたします」


「それで?」


 俺が居なくても、奴らは戦い続ける。

 俺が居ても、何も変わらず、戦う理由を見つけ続ける。

 たとえ俺が神として顕現し、神の力を振るったとしても、むしろそのために戦い続けるだろう。

 奴らの力で実現できる幸福の総量は限られているのだから、己の世界を救うためには、力で持って手繰り寄せるしかないのだ。

 神の法を改ざんして、罰することを使命と自分を騙し、他人の幸福を吸い取り続ける理由とするのだ。

 愛する者のために。

 世界のために。


 俺が命じられたことも、同じこと。

 ケルサス王、現世において出合ったまぎれもない傑物、そいつが国のために虐殺を決断した。確かに、そうすればケルサスの兵と国は助かるだろう。虐殺者としての汚名を被ることになろうとも、奴らにとって、王としては正しい決断なのだ。

 しかし、どんな詭弁を用いようとも、マーテルの法に照らせば、虐殺は明らかに悪であり罪。許されるはずがないことは、誰にでもわかるはず。

 だが、どうだ。

 この戦場では、罪が軽視されている。

 神は、忘れられている。

 まるで、善悪の彼岸にいるかのようだ。


「ヒトの理は理解しました。

 彼女らは俺の力がなくともやがて至ることでしょう。俺の役目はここまでと判断します。本来の戦場へ戻らせていただきます」


 こんな世界では、彼女たちは歴史の波に飲み込まれ、すぐに死んでしまうに違いない。

 彼女たちは力がありすぎて、無力すぎる。

 けれど、たとえ死んでしまったとしても、その運命は神の計画に組み込まれているのだ。

 また、すぐに会える。


 桔梗が薄く微笑み、オルディナはこれ見よがしにため息をついた。


「失望したのですか?この程度で?あんたの見た世界の罪、ヒトの不条理、まだまだお遊戯ですよ」


「我が弟ながら、なんて朴念仁。

 だから足りないの。

 これから起こる『降臨の儀』、立ち会って狂気の意味を知りなさい。

 アーティファさんが体現した慈愛。アルファスさんが為しえなかった安寧。足りなかった、現世の法の欠缺(けんけつ)。その目で見て、体験して、理解しなさい」


「介入ですか?」


 カイは表情を変えずに言った。姉弟といっても姉の考えていることなど、理解できたためしがない。


 マーテルは鏡を流し見て、口元を大きくゆがめる。


「あの子たちが使おうとしているもの、決して早くはないですが、状況が気に入らないのです。

 初めての大量殺戮兵器は、最大限の血と絶叫を響かせなくてはならないのですよ。亜人と邪教徒だけが犠牲となるなんて人間に都合よすぎるのです」


「そうよねえ、私もそんなのいや。それでは良い眷族が育たないわ」


 桔梗はカイに向き直ると、もてあそんでいた櫛をおいて姿勢を正した。


「封印された貴方の神気、ほんの一滴、微小極限ほど解放してあげる。罪深き者たちの命に従い、魔晶を使ってあげなさいな。もう一度、あの子たちに悔い改めさせて、福音を信じる意味、示してあげましょう。

 邪教徒とやらにも、教えてあげないといけません。

 祈れば、背徳を尽くせば神の眼にとまるですって?そんな企てで私たちを引き寄せようなんて、まったくの筋違い。ヒトと私たちには断絶がある。彼らがなにをしようと、私たちには決して響かない。

 用がある者は既に決まっているの。私たちの眷属になる資格がある塵以外は、眼の端に入れたことすらないというのに」


 カイは頷いた。


「でも、あらゆる命、幸せにしてあげるのです。10次元のあの現世、ひもの理なんて飛び超えて、異世界の法則をも適用して、恩寵を届けてあげるのです」


 マーテルが歌う様に言う。


「しかし、我ら神は、なにも気にしない」


 次元の狭間から、あらゆる出来事を記述する蛇人が鎌首をもたげる。とぐろ巻くハード・ディスク状の体から、細い舌を出す。


「私だけが記述しよう。貴様らの命、その輝きを」


「だから安心して生きて、死になさいな。私たちはそれぞれのやり方であなた方を愛しているのだから」


 停止していた梵字が動きだす。

 揺れて、震えて、けたたましい声で叫びだす。

 邂逅のために構成された世界が崩壊していく。

 桔梗が指を弾くと、カイの目の前に超新星が浮上する。臨界を迎えて、爆発する。

 極限の重力場が形成され、崩壊し、中心に梵字が浮かび上がった。それは桔梗の力、恒星の破滅を持って、世界の終焉を告げる。

 無限の平行世界が収縮して、あらゆる可能性が閉ざされた。

 無、そう形容するしかないものすら無くなって、言語の地平では表現できないモノが来る。

「素材」、最高善から最も遠いものが、はいずりまわって、侵食して、何かを創る。

 気体でなく、液体でもなくて、固体ですらない。人のようで、獣に似ていて、天使でありそう。だが、決定的に、あらゆる面で違う。

 属性すら否定して、あらゆる事象をも除外する、マイナスを期待する変数が入り乱れる。

 その渦に、プラスを期待する変数を宿した刃が投擲された。遥かなる軍団、オークの王が率いた世界樹の化身たちが攻め入ったのだ。

 援護するように、彼方から光線が貫いて戦道を開く。あらゆる救済をもたらす機械神メサイヤが砲門を開いたのだ。

 異世界から、エネルギーを供給する竜王が飛来する。

 極限のブレスが吐き出され、生まれるはずだった何かが悶え苦しんで、消滅した。

 

 世界炎上、そして、また世界は開闢(かいびゃく)する。


 ****


「監視をまいてくれて助かった」


 フードを被った騎士は、木陰に佇むカイの死角から声をかけた。


「なにやら覗いている奴がいると思っていたが、貴様がそうか。もう一人はどうした?」


「気付いていながら一人になるとは、無用心だな」


 風が吹く。

 木を見上げていたカイは、男に向きなおる。


「お前に俺を襲って利があるのか?ヤーヘンの者ではないのだろう?」


「・・・・・・」


「ただ、監視するのが役目だ。ケルサス軍を評価するために送り込まれた」


「お見通しか。もう一人は別行動だ。貴様に会わせるのは具合が悪いと思ってな」


 フードを後ろによける。


「どうやら、俺の判断は間違っていなかったらしい」


「邪教徒、か」


「ワーカー・ホリックと呼ばれている」


「ワーカー・ホリック、なるほど。

 姉上やオルディナが、なにやら言っていたな。俺たちに並ぶ者、アーティファやアルファスのほかの誰か。

 法の欠缺、未だ条件が整っていなかったらしいが、そうか、時は近いのだな」


 -オルディナ、あのメイドが、か-


「お前だけではなかったか」


「あそこにいるのはホアンの眷属に、公方の玩具か。

 姉上も、ずいぶんヒトに無茶をさせる。あれではいくら死ぬか分らん。

 冥界の王が、ぼやいているだろうな」


 男の(つぶや)きを無視して言葉を続ける。


「それで、最後の法の従者よ、俺になにを求める?

 邪魔をするなと、哀願しにきたか?」


「なにも」


 それまで男が強烈に発していた殺気は、風に吹かれたように消えている。


「俺たちは俺たちの正義を求める。その道になにがあろうと、例え神が相手だろうが、曲げることはない」


「本気で言っているのか?」


 -塵が-


「無駄だろう、なにをしても?

 なるようにしか、ならない。お前なら気まぐれであらゆる全てを切断してしまえるんだ」


「ならば、なぜ俺の前に現れた?」


「ご同輩を見たかったんだがな。誰かの眷属と目をつけていたが、まさか神が受肉していたとは思いもよらなかった。

 誤算だったが、おかげで確信した。

 神々はまだ、この世界で何かをするつもりだ。

 ほら、眷属であるこの俺がお前に不敬な口をきいても消し飛びはしない。俺たちには、まだ何かやることがあるのだろう?」


 -世界はまだ滅びたりはしない。ウラニアは最善を目指すことが出来る-


「だから、成り行きに任せることにする」


「良いのか?運命(エンジェル・ボイス)も、自由(ガーディアンズ)も、足掻いているぞ」


「無論、努力はするさ。諦めろと言っても、正義は人が言って聞くような奴じゃないのでね。

 だが、あいつは月の女神や慈悲の女神ほど恐ろしくはない。優しいことが取り得の女だ。余計ないざこざに首を突っ込めば、何処までも無理をするハメになる。

 誰かが側にいて、無茶をしないように見ていてやらねばならないんだ」


「余裕がないと?」


「そうだ。だからこそ、駆け抜けることができる」


「良い心構えだ。ならば、教えてやろう。俺の弟子に気をつけるんだな。未熟者だが、お前らヒトのおかげで迷いが晴れたようだ。

 手ごわいぞ。主神アルファスは手を出す気はないようだが、戦女神や白虎のお気に入りだ」


「なに?」


 そのとき、馬から下りた少女が二人に向かって駆けて来るのが見えた。


「時間切れだ。消えろ、目障りだ」


 キサラギはフードを被ると、気配を消してその場から立ち去った。


 -俺はもう、お前らには何も期待していない。

 せいぜい殺しあっていろ。

 死んで、肉から解放されてから出直してくるんだな-


 カイの前に来て、少女は肩で息をする。


「お前たちが愛するならば、手を出したりはしない。

 だが、手を貸したりもするものか。お前らがそうまでする理由はないのだ。

 ああ、本音を言えば、お前たちが大事にする全てを切り刻んで、憂いを絶ってやっても良いとすら思っている」


 なびく銀の髪に、見上げる蒼い瞳。


「な、なにか、お、おっしゃいました、か?」


「いえ、何も。ただ、こうしているのが不思議だったのです」


 肩に手をかけて、息を整えるのを助けてやる。


「あまり、無茶をなさらないように」


「申し訳ありません。でも、私たちには今しかないんです」


 涙を浮かべる彼女に、微笑みかける。


「確かに、そうかもしれませんね」


 最高の武力たる剣の神。

 この世界に受肉して、唯一学んだこと。

 それは微笑みの作り方かもしれなかった。


 ****


 ブリギッタは、勢いよく閉まった天幕の扉をしばらく見つめていた。

 ライラもサラもようやく寝付き、止める者がいなくなったというのに、さっぱり動こうとしないレオーネを急きたてるようにして走らせた。

 これで良いのだと思う。

 心の中に溜まっていた(おり)のようなものは無くなって、けれど、かすかな痛みが広がった。

 涙が溢れそうになって、それではいけないと、落ち着くために椅子に座る。

 すぐにオルディナが紅茶を入れてくれる。

 震える指でカップを持ち、口に含む。


「!?」


 喉を焼く衝撃に思わずむせ返った。

 水を求めてオルディナを見上げるが、彼女はにやにや嫌らしい笑みをうかべるばかり。


「あ、貴女、なにを?!」


「おやおやあ?この味を忘れたのですか?

 昔、おいたをした時にはいつも飲ませてあげたというのに」


 はっとして思い出す。

 王国に留学する前、才能を認められた私は、高名な渡りの魔術士に家庭教師をしてもらったことがあった。

 紅色の髪に紅色の衣を(まと)った老婆で、優しいのだけれど、魔術と料理のことになると誰よりも厳しかった。

 そんな彼女が罰として飲ませたのがこの得体のしれない飲み物。


「ど、どうして、貴女が?」


「ふうむ」


 オルディナが、ブリギッタの頬を両手で優しく包み込んだ。

 振りほどこうとしても、手が、体が麻痺して動けない。


「困ったものです」


 オルディナは眉を寄せる。

 懐かしく、しわがれた声音が静かに響く。


「お嬢ちゃんは、そんなこと気にしなくて良いのですよ?」


「そ、そんなこと?」


 過去に帰ったように、彼女の声をもだえながら聞く。


「ええ、貴女は貴女の思うようにすればいいのです。

 誰にも気をつかう必要は無いのですよ」


「でも、先生、わたし、誰も裏切りたくないの!!もう、嫌われたくないの!!

 友達が好きだから、レオーネがカイのこと好きだから、わたしは応援しなきゃ駄目なの!!」


「はあ、本当に駄目な子なのです。

 あれが、レオーネちゃん一人の手に負えるはずがないじゃないですか」


「それに、お父様が言っていたの。わたしは王族の助けにならなくちゃいけないって、そのために生まれてきたって。

 だから」


 -そう、だから-


「二人の幸せのために、カイの代わりに死ななきゃならないの!!」


 視界に星が散って、頭の痛みで拳骨が落とされたのだと知る。


「本当に馬鹿なのです!!」


 紅い老女が、天を仰ぐ。


「レオーネちゃんが、それで幸せになれると思っているのですか?

 無理無理無理無理、カタツムリなのです!!

 あの子だけでは、剣の神は満足しないのです!!

 それとも、眷属ごときに神がコントロールできると思っているのですか!?

 身の程を知るのです、知聖!!」


 紅い老婆が女神に姿を変え、世界が流転し、本質を現す。

 木々が、兵が、海が、そして月が、魔法陣へと変化する。

 この世の全ては紅い女神の魔術空間。


「貴女はなにを見てきたのですか?

 レオーネに、魂引きに、恋愛感情なんてものが存在するわけがない。

 あれは、そういった化け物です。

 そして貴女も、逆の意味で化け物、情に迷った狂女。

 そんな貴女たち二人の魂は剣の神に捧げられるべきもの。

 この現世の有象無象にかかずらって消費されるべきものではないのです」


 ブリギッタの意識が世界を踏破する。

 頂に至って、世界を見下ろす。


「貴女は黄金、彼女は白銀、二人で一つ。貴女たち二人が、剣神を完璧にする」


 暁の衣でブリギッタを包み込む。


「お聞きなさい。私と最高善の僕たる桔梗は、貴女たち剣神に侍る魂を、この穢れた世界に受肉させました。やがてこの世界に送り込まれる剣神に、そう、ここで出会わせるためにです。

 ですが、貴女たちの美は、この現世に住まうものには眩しすぎる。

 御覧なさい」


 手を伸ばした先には寝息を立てるライラ、そしてその手を握り髪を撫でるのは醜悪な悪魔。

 女神を恋焦がれながら、凄まじい憎悪で睨みつける。


「彼方たちをこの世界に送りだすにあたり、試験として美を、穢れのない魂を現世に送りこみました。

 それが彼女、聖女ナスターシャです。

 その彼女は、彼女を愛し愛される者たちに穢された。その美を求めて止まない魂たちは、彼女を最悪の形で手に入れようとした。ヒトは聖女に穢れを与えて、己のところまで引きずり下ろそうとしたのです」


「・・・」


「だから、私たち神々は貴女がたの魂の美を制限しました。そして片方は魔力を剥奪し、もう一方に守らせるために、身分制度という体制に組み込みました。あえて不完全にして、二人でこそ完成するように。

 すべては、剣神のため。最強の武を安定化せしめ、混沌を排除するために」


「カイに、そんなことを?あんなに優しい絶対を、戦のためだけに?!」


「愛しいのなら、助けなさい。

 その情で包み込んで、剣神に安寧を授けるのです。

 それが貴女の理。

 縁の神、無限の尾を持つ狐ホアンをモデルに創造された、織姫の愛なのですから」


 ブリギッタの意識が途切れる。

 そのとき、桔梗の世界開闢の戦が終わりを迎え、また現世が再構築される。

 宇宙に始まりが出来て、時間が生まれた。空間が顫動して、広がり始めた。一点に月が形成され、マーテルの魔力という月光、愛が放射される。

 魔法陣は神気を受けて、回りだす。


 神々の神秘。

 世界は、たったいま生じたのだという、現世に生きる者が認めることが出来ない矛盾。

 それを見るのは堕ちた聖女。

 大気すら消えてしまった世界で、一人ぼっちになってしまった彼女は響かない声で絶叫する。


 -わたしを、助けてください-


 まばらに抜け落ちた髪を振り乱し、枯れ枝のような腕で最後のエルフを抱きしめて、もう一方の手を精一杯、女神に向けてさし伸ばす。

 怖気がするほどに汚らわしい醜面を涙で濡らして、蝙蝠の翼は女神を求めて羽ばたく。

 悪魔は懸命に月に近づいて、けれども、引力という法則に囚われて、かつて在った座標に墜落した。

 眼を開いた聖女は、絶望する。

 ああ、また、呪われた身。

 変わらない、悪魔としての自分。

 咽び泣いて、愛し子の髪を撫でる。


 神を恨み、憎悪し、それでも愛し続ける。

 それが悪魔。

 邪教徒がマーテルを否定してその法を書き換えることを望むのに対し、悪魔はマーテルこそが至高と信じて(すが)る。

 否定ではない。批判するのだ。

 足りないものを身を持って指摘して、改善を促すために彼女たちは存在する。

 存在そのものが悲劇で喜劇。

 なぜなら、マーテルは指摘されるまでもなく欠点を知り尽くしているのだから、それは無駄でしかない。

 それでも悪魔は神のために尽くそうと、手を差し伸べてもらうために神を呪い続ける。


 -お願いします-

 -わたしは、もう、嫌なのよ。御身を恨みたくはないの-

 -だから、どうか、マーテルよ、光り溢れるそのお顔をお見せください。お救いください-


 けれども、聖女の声はマーテルに届くことはなかった。


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