第十七話 裏切りの代金と、返金不可
依頼書は、最初から薄かった。
薄い紙は、重要なことを書かない。
書かないから、燃やしやすい。
燃やしやすい依頼は、だいたい裏がある。
街の名は グラーフェンシュタット。
伯爵領の外縁にある小都市で、金融と仲介を生業にしている。
剣より契約、契約より保証金。
そして保証金より、“処理”。
アッシュが受け取った依頼は、こうだった。
対象:マルクス・ヘーネル
身分:地租管理官
内容:失脚に伴う口止め
支払:前金済
条件:証拠を残すな
失脚に伴う口止め。
よくある仕事だ。
権力を失った者は、急に“真実”を話し始める。
依頼主は フリードリヒ・ローテン。
仲介商会の顔役。
表向きは、秩序を売る男だった。
アッシュは疑わなかった。
疑う必要がない。
裏切りがあるなら、対処するだけだ。
夜。
マルクス・ヘーネルの屋敷は、静かだった。
失脚した役人の屋敷は、音が軽い。
使用人が減り、護衛もいない。
アッシュは裏口から入り、書斎へ向かう。
マルクスは机に向かっていた。
酒瓶と書類。
典型的な終わり方を待つ男だ。
「……誰だ」
振り返らせない。
背後から、短剣を心臓に。
速い。
音は出ない。
倒れる前に、囁く。
「話す前で、助かった」
それが、せめてもの誠意だった。
血は机に少しだけ。
書類は触らない。
必要ない。
屋敷を出る。
仕事は終わった。
――ここまでは。
街を出る途中、違和感があった。
足音。
一つ、二つ。
増えている。
路地に入った瞬間、弩が向けられた。
「動くな」
三人。
素人ではない。
だが、暗殺者でもない。
雇われだ。
「依頼主の?」
一人が答える。
「そうだ。
あんたはもう、終わった」
終わった。
仕事ではなく、“存在”が。
「理由は」
男は鼻で笑う。
「口止めだよ。
あんたもな」
やはり、そう来た。
アッシュは動かない。
弩は厄介だ。
だが、撃たせなければいい。
「マルクスは、もう話せない」
「知ってる」
「なら、俺を消す必要はない」
男は肩をすくめた。
「依頼主が、そう言った」
十分だ。
アッシュは外套を脱ぎ、地面に落とした。
右手は空。
左手も空。
「近づけ」
男たちは慎重に距離を詰める。
弩を構えたまま。
距離、三歩。
アッシュは踏み込んだ。
弩が鳴る前に、腕を払う。
矢は壁に刺さる。
一人目、喉。
短く。
二人目、膝を蹴る。
倒れたところを、顎。
三人目は逃げた。
追わない。
“伝える役”が必要だ。
そのまま、街を離れる……ふりをする。
夜明け前、アッシュは戻った。
仲介商会の建物へ。
フリードリヒ・ローテンは、書斎にいた。
帳簿と金貨。
裏切る者の典型的な風景だ。
扉を閉める。
「……終わったはずだ」
フリードリヒは、すぐに理解した。
護衛が来ない理由も。
「処理は済んだ」
「済んでいない」
アッシュは言う。
「返金がまだだ」
フリードリヒの顔が歪む。
「冗談だろう」
「契約だ」
「お前を消す契約も含まれている」
「それは無効だ」
「なぜだ!」
アッシュは机の上に、短剣を置いた。
血はついていない。
「依頼主が裏切った場合、
契約は“逆向き”に成立する」
フリードリヒは笑った。
「誰がそんな――」
言葉が途切れる。
首に、冷たい感触。
アッシュは、絹ではなく革の細紐を使った。
絹より遅く、革より確実。
「声は出る。
だが、叫ぶ前に終わる」
「ま、待て……金なら――」
「返金だ」
締める。
フリードリヒは、椅子からずり落ちる。
金貨が床に散る。
アッシュは数えない。
数えるのは、仲介商会の仕事だ。
三十秒。
四十秒。
終わり。
机の上に、一枚の紙を置く。
依頼主死亡
理由:契約違反
返金:不可
翌朝。
街に噂が流れる。
――仲介商会当主、急死
――前夜、強い酒を飲んでいた
――心臓が弱かったらしい
誰も、暗殺だとは言わない。
なぜなら、
暗殺を頼む側が死ぬ想定を、誰もしていないからだ。
ただ一つ、裏の街でだけ、言われる。
「アッシュに、二度裏切るな」
アッシュは街を出る。
金は取らなかった。
裏切りの代金は、命で足りる。
彼は暗殺者だ。
だが、
自分を殺しに来る依頼主だけは、必ず先に終わらせる。
次の街へ。
次の夜へ。
静かな夜を歩く者として。
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