第十六話 絹の首輪と、息が止まるまで
その街では、首に布を巻くのが流行っていた。
寒いからではない。
装飾でもない。
――隠すためだ。
街の名は シルヴァリア。
絹織物で名を馳せた街で、富も人も集まる。
だが、絹は軽く、血をよく吸う。
門をくぐると、香の匂いが鼻を突いた。
甘く、重い。
死臭を誤魔化す匂いだ。
アッシュは依頼書を内側で確認する。
紙は薄く、文字は短い。
対象:エルンスト・ヴァイス
身分:絹商会頭取
理由:不要
条件:騒ぎを起こすな
理由不要。
それで十分だった。
宿は上等だった。
絹商人の街は、旅人にも金を落とさせる。
女中が言う。
「夜会がございます。
ご参加なさいますか?」
「見るだけだ」
「でしたら、白い絹を」
白。
この街で、最も血が映える色だ。
夜会は館で開かれた。
音楽、笑い、ワイン。
首元には皆、絹のスカーフ。
理由は一つ。
――噛み跡を隠すため。
この街では、夜に“選ばれる”。
選ばれた者は、朝に消える。
事故、病、夜盗。
誰も真実を言わない。
エルンスト・ヴァイスは、中央にいた。
太ってはいない。
だが、重たい男だ。
周囲の空気が、彼を避けて流れる。
アッシュは壁際で観察する。
護衛は四人。
剣は持たない。
代わりに、契約書と金。
彼は“殺されない”男だった。
夜会の終盤、エルンストは個室へ向かった。
いつも通り。
若い女を連れて。
アッシュは十分遅れて後を追う。
廊下は厚い絨毯。
足音は消える。
個室の前で、護衛が一人立つ。
「誰だ」
アッシュは何も言わず、白い絹を差し出す。
護衛は一瞬、理解する。
この館では、白は通行証だ。
「……時間は短く」
アッシュは頷き、扉を閉める。
中では、エルンストがワインを飲んでいた。
女はもういない。
いつもそうだ。
彼は“直前”で興味を失う。
「遅いな」
エルンストは振り返らない。
「絹を直してくれ」
アッシュは近づく。
背後。
距離、半歩。
絹のスカーフを手に取る。
柔らかく、強い。
「……首が、冷える」
エルンストが言った。
「すぐ終わる」
アッシュは答えた。
それが、唯一の会話だった。
絹を首に回す。
締めない。
ただ、位置を決める。
エルンストが違和感に気づく。
「待て――」
締める。
力は要らない。
絹は摩擦が少ない。
喉仏を避け、血管だけを潰す。
音は出ない。
暴れない。
空気が、抜けていくだけだ。
二十秒。
三十秒。
エルンストの指が、空を掻く。
だが、何も掴めない。
四十五秒。
力を緩めない。
暗殺者が失敗するのは、ここだ。
一分。
完全に、終わる。
アッシュは絹を解き、元の形に整える。
首元に、赤い線が一本。
だが、スカーフで隠れる。
机の上に、依頼書を置かない。
何も残さない。
ただ一つ、ワインを床に少しだけ零す。
翌朝の理由になる。
扉を出る。
護衛が見る。
「終わったか」
「冷えただけだ」
護衛は頷く。
この街では、それで通る。
翌朝。
市に告知が出る。
――絹商会頭取、急死
――死因:心臓発作
誰も疑わない。
疑う理由がない。
だが、三日後。
街から“選ばれる夜”が消えた。
首に絹を巻く者が減った。
噛み跡を隠す必要が、なくなったからだ。
アッシュは街を出る。
外套の中、白い絹はもうない。
彼は暗殺者だ。
だが、殺すのは“必要な一人”だけでいい。
次の街へ。
次の夜へ。
必ず、終わらせるために。
⸻




